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「未唯の手紙」でグランド・セオリーを目指す

未唯へ。検査入院の金曜日から日曜日まで3日間、「未唯への手紙」のバージョンアップを行っていた。ずっと、考えていた。昨日の夜に、中学校以来のトラウマが発症したので、自分の中の拠り所を求めて、完成を急ぎました。

トラウマは「絶対孤独」です。自分がなくなってしまう時に、全てが崩壊する、というものです。その時には、気が狂います。宇宙の空間に投げ込まれテ、何もない状態になります。できるだけ、自分を客観視しようとするが、「これは自分のことだ」と感じた時の絶望感はたまりません。言葉にはできないという、言葉にしかなりません。

中学生の時は、そこから逃げるのに、「絶対的なモノ」を探していた。特効薬は「初恋の女性」でした。彼女がいるから、「この世界は安心できる」と念じるようにしていた。そのころに、ドストエフスキーの「罪と罰」、トルストイの「戦争と平和」も読みだした。ロシア映画「戦争と平和」のナターシャ役のリュドベラ・サベリーエフの存在も「安心材料」でした。

その頃から、女性の存在が欠かせないものになりました。常に恋していないと、精神の安定が保てないことは自覚していました。

もう一つは、「考える」ことです。人間は考えるから、存在しているのです。だから、対比としての「無」を考えました。すべての源流は、この「無」です。「無」に対しては、何もできないということ、「無」に対して、何もかも空しいということです。

高校生になって、「真理」という言葉を知り、純粋数学を目指すようになったのも、このトラウマ解消のためです。数学では「真理」をそれなりにつかめたが、未だに、解決できていません。この相対的な世界にいて、より絶対的なものに近いモノを求めて、「未唯の手紙」では「グランド・セオリー」の構築を急いでいます。

数学的、心理学的には、以前に書いたように「存在」=「無」が貼り合わされた空間をイメージできました。今は、「無」に関しては、道元に頼るつもりです。岡崎市の図書館であれだけの道元の最新の資料の揃っているのを見つけたのは偶然ではありません。私に理解せよということを示しています。

昼休みに、グループでの女性への激励会がありました。参加者はグループ15名全員ですが、半分は知らない人です。一言も話さずに終わりました。女性、休日出勤、御苦労さまでした。
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