『地域文化観光論』より 「地域文化観光論」と「観光学」 部分と全体との「つながリ合い」
部分と全体
本書『地域文化観光論』が目指しているのは、観光研究における一分野の研究(部分)が観光学という全体的研究とどのようにつながるか、そのつながり方を明らかにすることである。すなわち、観光人類学、観光社会学、観光地理学、観光経済学、観光経営学、観光心理学、観光統計学などの個々の領域の観光研究が、「部分的つながり(partial connections)」を通して「観光学」としての全体をイメージ・展望することを目指している。そのモデルとしては、「観光学の新たな展望」で述べたように、さまざまな研究領域から構成される人類学の分野においてこれまでなされてきた批判の過程を歴史的にたどることが参考になると考える。人類学では「ホーリスティック」な研究を目指し、現地に赴き、現地の言葉や文化を習得し、現地社会で生活するなかで、社会構造、政治・経済、儀礼・信仰・世界観、日常生活など、あらゆる視点から人々のあり方全体を記述することを目指した。しかし1980年代以後のポストモダン人類学では「誰が何をどのように書くか」という研究者にとっての基本的な問いかけに関心が向けられ、全体性を追求する研究そのものも批判の対象となった。今日では「文化を書く」こと自体への批判をいかに乗り越えるかが問題となり、混迷状態に陥っている。その過程を次節で明らかにするが、そのような状況から一歩を踏み出す可能性をもつのがマリリン・ストラザーンが提唱した「部分的つながり」であるように思える。
観光学ではあらゆる研究分野を網羅した「ホーリスティックな観光研究」が必要であるとまずは主張される。しかしながらそのような方向を目指す研究では、さまざまな要素が混ざり合い研究者のはるか先で激しい変化を遂げている「観光の現実」からますます乖離することになる。「観光の現実」を明らかにするアプローチとして、本書では「地域文化観光」研究が不可欠であり、「部分」ともいえるこの「地域文化観光」がいかに「全体」となる「観光の現実」に「つながる」のか、この両者の関係を個々のうちに全体像がイメージされ全体のなかに個々がイメージされる「部分的つながり」モデルで考える。すると「観光の現実」を明らかにするためには個々の「地域文化観光」を徹底的に研究すべきであるという結論になる。本章では、このような結論にいたるまでの経緯を明らかにする。
「部分的つながり」へ:人類学的研究方法の変遷
春日直樹『現実批判の人類学』[2011a]の序章の「人類学の静かな革命」を参考にして、人類学の変遷の概略を追ってみよう。人類学では研究室での「比較を主要な方法とする科学」が1850年代後期から姿を現したのを第一期とする。J.フレイザーをその代表とし、西洋の内外の急激な変化がもたらす攬乱的な状況を「文化」という領域として対象化し、地球規模で秩序づけてみせた。第二期では、第一次世界大戦が終結し、西洋各国が国民国家を完成させ、植民地統治機構を整備していくにともない、人類学研究者は自ら調査地に赴いて「ホーリスティックな」民族誌を書き上げようとした。各学問分野が自らの専門性を強く打ち出し学問間の壁も高くなり、専門性を誇った。高い壁に守られ確立した方法論で研究を進めることができた第二期の幕引きにポストモダン人類学が決定的な役割を果たした。
1978年に出版されたE.サイードの『オリエンタリズム』[1986]以後、あらゆる学問分野で植民地主義批判の大きな流れが形成され、民族誌作成の過程においても現地の人々の声が反映するような手法が模索された。いかに民族誌を記述するのか、J.クリフォードとM.マーカスが1986年に出版した『文化を書く』[1996]が、その困難さを指摘した。「それまで民族誌を支えていた国民国家的モデルを批判し、リアリズム的言説に疑義を唱え、他者を表象する権利自体を問題視する」ポストモダン人類学の呪縛から、人類学研究者の多くが解き放たれていない状況が今日まで続いている。その状況を乗り越えるための試みはいまも続いており、対象とする地域の人々について民族誌家はすべてを記述できるのか、そして作成された民族誌を読むことは対象となった「地域の人々の現実」を理解することになるのかといった反省と批判が、人類学の文献を対象にわき起こった。たとえ現地に赴いたとしても、結局はテキストからテキストを渉猟するのと同じ結果に終わるのではないかといった認識論的な懐疑からの脱出が困難となった。そのような状況から一歩を踏み出すことができる可能性をもつのがM.ストラザーンの提唱した「部分的つながり」であった。
春日はポストモダン人類学に触発され、これと対峙して研究を発展させたのは「静かな革命」の中核をなすストラザーンであるという。ポストモダン人類学では、「生成する出来事や制度や総体を過程的にとらえるという構え」が趨勢となり、動態的な民族誌が称揚されたが、「他者を表象するという問題、その表象を正当化するリアリズムについては、正面突破する力」をもち合わせていなかった。 S.タイラーが主張する民族誌における「喚起」に、人類学的方法としての比較をつなげて、ストラザーンは「喚起の比較」を考えた[。『文化を書く』[クリフォード&マーカス1996]が強調した「部分的真実」に対して、ストラザーンが見出しだのはpartial connections(部分的つながり)であったと春日はいう。比較が現実をつくり、つくられた現実が比較されてさらなる現実をつくっていく。「部分的つながり」では関係は文脈から文脈へ、領域から領域へとアナロジカルな増幅や切断や転倒をもって展開しているとの認識にいたる。部分が別の同類の部分と関係を形成し合い、その関係によって全体のあり方を新しくイメージさせていくのである。
「静かな革命」は、人間以外のモノや人工物を同等な要素として組み入れる点(ANTを指す)で、さらに実在はこれらとの関係においてのみ成り立つと主張する点で、またリアリティとは関係の生成変化に等しいと認識する点において、「徹底して」関係論的な認識になる。これまで定まった点から視覚が広がることを前提としてきたが、「定点なき視点」は人やモノや複合体がそれ自体を比較の基準としながら別なそれらへと新しくつながる「部分的つながり」を導く。ストラザーンは、反復複製的な関係の連鎖によって、文脈や領域をまたいでアナロジカルな増幅や切断や転倒が展開されると、規模は相似性の具現でしかなく、論点は関係性が諸次元で複製する過程へと移行するという。小が大に網羅されるのと同様に大が小に網羅されることも起こる。規模の非対称性が成立しなくなるのである。
第三期にいる人類学研究者は、細部に力があふれるかぎり、引用文献や既成の概念、他の資料、図表・写真などと一緒に構築される論理は、どこかの細部によって足をすくわれたり、真正さの一部を奪われるかもしれないことを認識している。いわゆる事例が法則の具現や主張の裏づけにとどまるのではなく、事例自体が法則や主張に働きかける力をもっているのである。第三期の人類学では、規模の序列化がしりぞけられ、どんなアクターにも均等な視点が付与される。法則や因果関係のような非対称的な関係が実体化されることなく、その関係がどのように作り上げられるのかが対称的に追跡されていく。細部が自らを基準として内側から差異を生成し、その差異をもって外部の差異へとつながっていく。そうやって外側に向けて新しい現実を作り出していく。「静かな革命」とは,細部に力を宿す人類学という学問の本領を、現実批判として発揮する運動であると春日は結ぶ。
「部分的つながり」では、「比較は対象自体に宿っており、おのれでおのれを比較すると考える。ものはみずからを対象とし、みずからを測定する。みずからが自己の内部の差異を見出し、その自己を参照しながら他の事例へとつながっていく。対象と基準との融合、その融合による外部へのリンク」、それが[部分的つながり]のきわだった特徴であるという。本書で「部分的つながり」をもち出したのは、観光研究に携わるさまざまな分野が「観光の現実」をどのようにイメージするかというアプローチ方法が、この「部分的つながり」のあり方とアナロジカルな関係にあると考えるからである。
観光学の分野は、さまざまな領域の研究が学際的に集合し、相互の研究が分断されたまま全体が見渡せない情況であるかのような印象をうける。一つのディシプリンとしての観光学の統合を叫ぶ研究者は、まるで世界が部分と切片にあふれていることを嘆く人々のように、それらを「集め」、「結び合わせ」ようとする。それは、西洋的な不安が原因となっていると考えられる。この不安のいくらかは、切断は破壊的な行為であるとの前提のもと、仮想される社会的全体性(または、全体としての「観光学」)がそれによって切り刻まれ、断片化されてしまうに違いないと感じられることに由来している。ストラザーンのいうように、身体が手足を失いつつあるかのように感じるのであろう。メラネシアでのように、切断が諸関係を現れさせ、反応を引き出そうという意図をもっておこなわれるところ、すなわち切断が創造的な行為であるような前提があるところでは、切断は、それぞれの内的な能力と、関係の外的な力を顕わにし、全体性を立ち現せる可能性を示すことになる。本章では、このような部分と全体との関係をアナロジカルに、部分としての「地域文化観光論」と全体としての「観光学」との関係で考えていく。
部分と全体
本書『地域文化観光論』が目指しているのは、観光研究における一分野の研究(部分)が観光学という全体的研究とどのようにつながるか、そのつながり方を明らかにすることである。すなわち、観光人類学、観光社会学、観光地理学、観光経済学、観光経営学、観光心理学、観光統計学などの個々の領域の観光研究が、「部分的つながり(partial connections)」を通して「観光学」としての全体をイメージ・展望することを目指している。そのモデルとしては、「観光学の新たな展望」で述べたように、さまざまな研究領域から構成される人類学の分野においてこれまでなされてきた批判の過程を歴史的にたどることが参考になると考える。人類学では「ホーリスティック」な研究を目指し、現地に赴き、現地の言葉や文化を習得し、現地社会で生活するなかで、社会構造、政治・経済、儀礼・信仰・世界観、日常生活など、あらゆる視点から人々のあり方全体を記述することを目指した。しかし1980年代以後のポストモダン人類学では「誰が何をどのように書くか」という研究者にとっての基本的な問いかけに関心が向けられ、全体性を追求する研究そのものも批判の対象となった。今日では「文化を書く」こと自体への批判をいかに乗り越えるかが問題となり、混迷状態に陥っている。その過程を次節で明らかにするが、そのような状況から一歩を踏み出す可能性をもつのがマリリン・ストラザーンが提唱した「部分的つながり」であるように思える。
観光学ではあらゆる研究分野を網羅した「ホーリスティックな観光研究」が必要であるとまずは主張される。しかしながらそのような方向を目指す研究では、さまざまな要素が混ざり合い研究者のはるか先で激しい変化を遂げている「観光の現実」からますます乖離することになる。「観光の現実」を明らかにするアプローチとして、本書では「地域文化観光」研究が不可欠であり、「部分」ともいえるこの「地域文化観光」がいかに「全体」となる「観光の現実」に「つながる」のか、この両者の関係を個々のうちに全体像がイメージされ全体のなかに個々がイメージされる「部分的つながり」モデルで考える。すると「観光の現実」を明らかにするためには個々の「地域文化観光」を徹底的に研究すべきであるという結論になる。本章では、このような結論にいたるまでの経緯を明らかにする。
「部分的つながり」へ:人類学的研究方法の変遷
春日直樹『現実批判の人類学』[2011a]の序章の「人類学の静かな革命」を参考にして、人類学の変遷の概略を追ってみよう。人類学では研究室での「比較を主要な方法とする科学」が1850年代後期から姿を現したのを第一期とする。J.フレイザーをその代表とし、西洋の内外の急激な変化がもたらす攬乱的な状況を「文化」という領域として対象化し、地球規模で秩序づけてみせた。第二期では、第一次世界大戦が終結し、西洋各国が国民国家を完成させ、植民地統治機構を整備していくにともない、人類学研究者は自ら調査地に赴いて「ホーリスティックな」民族誌を書き上げようとした。各学問分野が自らの専門性を強く打ち出し学問間の壁も高くなり、専門性を誇った。高い壁に守られ確立した方法論で研究を進めることができた第二期の幕引きにポストモダン人類学が決定的な役割を果たした。
1978年に出版されたE.サイードの『オリエンタリズム』[1986]以後、あらゆる学問分野で植民地主義批判の大きな流れが形成され、民族誌作成の過程においても現地の人々の声が反映するような手法が模索された。いかに民族誌を記述するのか、J.クリフォードとM.マーカスが1986年に出版した『文化を書く』[1996]が、その困難さを指摘した。「それまで民族誌を支えていた国民国家的モデルを批判し、リアリズム的言説に疑義を唱え、他者を表象する権利自体を問題視する」ポストモダン人類学の呪縛から、人類学研究者の多くが解き放たれていない状況が今日まで続いている。その状況を乗り越えるための試みはいまも続いており、対象とする地域の人々について民族誌家はすべてを記述できるのか、そして作成された民族誌を読むことは対象となった「地域の人々の現実」を理解することになるのかといった反省と批判が、人類学の文献を対象にわき起こった。たとえ現地に赴いたとしても、結局はテキストからテキストを渉猟するのと同じ結果に終わるのではないかといった認識論的な懐疑からの脱出が困難となった。そのような状況から一歩を踏み出すことができる可能性をもつのがM.ストラザーンの提唱した「部分的つながり」であった。
春日はポストモダン人類学に触発され、これと対峙して研究を発展させたのは「静かな革命」の中核をなすストラザーンであるという。ポストモダン人類学では、「生成する出来事や制度や総体を過程的にとらえるという構え」が趨勢となり、動態的な民族誌が称揚されたが、「他者を表象するという問題、その表象を正当化するリアリズムについては、正面突破する力」をもち合わせていなかった。 S.タイラーが主張する民族誌における「喚起」に、人類学的方法としての比較をつなげて、ストラザーンは「喚起の比較」を考えた[。『文化を書く』[クリフォード&マーカス1996]が強調した「部分的真実」に対して、ストラザーンが見出しだのはpartial connections(部分的つながり)であったと春日はいう。比較が現実をつくり、つくられた現実が比較されてさらなる現実をつくっていく。「部分的つながり」では関係は文脈から文脈へ、領域から領域へとアナロジカルな増幅や切断や転倒をもって展開しているとの認識にいたる。部分が別の同類の部分と関係を形成し合い、その関係によって全体のあり方を新しくイメージさせていくのである。
「静かな革命」は、人間以外のモノや人工物を同等な要素として組み入れる点(ANTを指す)で、さらに実在はこれらとの関係においてのみ成り立つと主張する点で、またリアリティとは関係の生成変化に等しいと認識する点において、「徹底して」関係論的な認識になる。これまで定まった点から視覚が広がることを前提としてきたが、「定点なき視点」は人やモノや複合体がそれ自体を比較の基準としながら別なそれらへと新しくつながる「部分的つながり」を導く。ストラザーンは、反復複製的な関係の連鎖によって、文脈や領域をまたいでアナロジカルな増幅や切断や転倒が展開されると、規模は相似性の具現でしかなく、論点は関係性が諸次元で複製する過程へと移行するという。小が大に網羅されるのと同様に大が小に網羅されることも起こる。規模の非対称性が成立しなくなるのである。
第三期にいる人類学研究者は、細部に力があふれるかぎり、引用文献や既成の概念、他の資料、図表・写真などと一緒に構築される論理は、どこかの細部によって足をすくわれたり、真正さの一部を奪われるかもしれないことを認識している。いわゆる事例が法則の具現や主張の裏づけにとどまるのではなく、事例自体が法則や主張に働きかける力をもっているのである。第三期の人類学では、規模の序列化がしりぞけられ、どんなアクターにも均等な視点が付与される。法則や因果関係のような非対称的な関係が実体化されることなく、その関係がどのように作り上げられるのかが対称的に追跡されていく。細部が自らを基準として内側から差異を生成し、その差異をもって外部の差異へとつながっていく。そうやって外側に向けて新しい現実を作り出していく。「静かな革命」とは,細部に力を宿す人類学という学問の本領を、現実批判として発揮する運動であると春日は結ぶ。
「部分的つながり」では、「比較は対象自体に宿っており、おのれでおのれを比較すると考える。ものはみずからを対象とし、みずからを測定する。みずからが自己の内部の差異を見出し、その自己を参照しながら他の事例へとつながっていく。対象と基準との融合、その融合による外部へのリンク」、それが[部分的つながり]のきわだった特徴であるという。本書で「部分的つながり」をもち出したのは、観光研究に携わるさまざまな分野が「観光の現実」をどのようにイメージするかというアプローチ方法が、この「部分的つながり」のあり方とアナロジカルな関係にあると考えるからである。
観光学の分野は、さまざまな領域の研究が学際的に集合し、相互の研究が分断されたまま全体が見渡せない情況であるかのような印象をうける。一つのディシプリンとしての観光学の統合を叫ぶ研究者は、まるで世界が部分と切片にあふれていることを嘆く人々のように、それらを「集め」、「結び合わせ」ようとする。それは、西洋的な不安が原因となっていると考えられる。この不安のいくらかは、切断は破壊的な行為であるとの前提のもと、仮想される社会的全体性(または、全体としての「観光学」)がそれによって切り刻まれ、断片化されてしまうに違いないと感じられることに由来している。ストラザーンのいうように、身体が手足を失いつつあるかのように感じるのであろう。メラネシアでのように、切断が諸関係を現れさせ、反応を引き出そうという意図をもっておこなわれるところ、すなわち切断が創造的な行為であるような前提があるところでは、切断は、それぞれの内的な能力と、関係の外的な力を顕わにし、全体性を立ち現せる可能性を示すことになる。本章では、このような部分と全体との関係をアナロジカルに、部分としての「地域文化観光論」と全体としての「観光学」との関係で考えていく。