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豊田市図書館の28冊

201.1『「世界史」の世界史』

201.1『歴史哲学講義(上)』

201.1『歴史哲学講義(下)』

383.81『事典 和菓子の世界』

115.4『なぜ世界は存在しないのか』

319.04『グローバル・ガバナンス学Ⅱ』・主体・地域・新領域

290.93『チェコ ポーランド スロヴァキア』

374『情報時代の学校をデザインする』学習者中心の教育に変える6つのアイデア

369『現代の社会福祉』

146.8『マイクロカウンセリングによるカウンセリング技法の習得』--モデリングと言語化の役割--

778.77『エヴァンゲリオンの深層心理』「自己という迷宮」

134.96『存在と時間 1』

134.96『存在と時間 2』

134.96『存在と時間 3』

134.95『可能性としてのフッサール現象学』他者とともに生きるために

104『意味と脱-意味』ソシュール。現代哲学、そして……

201.1『ドイツ・イデオロギー』

016.21『公共図書館の冒険』未来につながるヒストリー

674.3『文字でレイアウトで魅せる広告デザイン』

588.12『日本の砂糖近世史』土を使って白くする!製造の秘法を求めて

302『世界まちかど地政学』90カ国弾丸旅行記

204『東大生が身につけている教養としての世界史』

914.6『魂の秘境から』

402.8『世界を変えた50人の女性科学者たち』

493.72『精神科臨床を学ぶ 症例集』

689.4『地域文化観光論』新たな観光学への展望

520.87『アルヴァ・アールトの建築 エレメント&ディテール』

520.4『キーワードでわかる都市・建築2・0』
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『存在と時間4』解説

第五章の課題

 すでに第二章の初めで、世界内存在には三つの契機があることが指摘されていた。「世界内」と「存在者」と「内存在」である。第三章では、「世界内」という契機から、「〈世界〉の存在論的な構造を問い求め、世界性そのものの理念を規定する」(155)という課題が遂行されてきた。第四章では、「存在者」という契機から、「現存在の平均的な日常性という様態で存在する者は誰なのかを、現象学的に提示しながら規定する」(156)作業が行われてきた。

 そしてこの第五章では、第三の契機である「内存在」について、「〈内にあること〉そのものの存在論的な構成を解明する」(157)という課題が遂行されることになる。これらの三つの契機を考察し終えることで、現存在の世界内存在という存在様態についての洞察が深められることになる。

 こうした考察によって、「世界内存在の構造の全体性を改めて、そしてさらに確実な形で、現象学的なまなざしのもとに」(366)もたらし、点検することになる。世界内存在である現存在は、これらの三つの契機で構成されているのであり、この現存在の存在様態を統一する概念が、「気遣い」である。現存在はつねに「気遣い」という存在様式のもとにあるのであり、これは「この現存在そのものの根源的な存在」(同)を示すものである。

基礎存在論の課題

 ハイデガーはすでに序論において、『存在と時間』の究極の目的は存在そのものとその意味についての問いとしての存在論であるものの、その考察の手掛かりとして、こうした存在論的な問いを問い掛ける現存在という存在についての存在論的な考察が重要であることを強調していた。その際に、現存在の本質にかかわる存在了解には、現存在が生きる世界と、現存在の身近に存在する道具や事物などの存在についての存在論的な理解が、それと「等根源的にかかわっでいる」(038)ことが指摘された。

 こうした「現存在ではない存在性格をそなえた存在者を対象とするもろもろの存在論は、前存在論的な存在了解という性格によって規定された現存在そのものの存在者的な構造のうちに基礎づけられる」(同)のであり、これらのすべてが現存在の存在論を軸とするものであることが予告されていた。ハイデガーはこうした現存在についての存在論的な考察を「基礎存在論」(039)と名づけた。そしてこの第五章の初めでは、「本書での探求が目指すものは、基礎存在論的なものである」(367)ことが、改めて指摘されるのである。

 ハイデガーはこの「基礎存在論」の考察において、世界における現存在の存在様態である世界内存在について、その「全体性」を明らかにすることを目指しており、その際は世界に存在するさまざまな存在者の考察そのものではなく、現存在を対象とする基礎存在論を軸とするものであることを強調している。

 その根拠として、消極的な理由と積極的な理由があげられる。消極的な理由としては、これまで検討してきた現存在の二つのまなざし、すなわち「配慮的な気遣いとその〈目配り〉のまなざしについて、顧慮的な気遣いとその〈顧慮〉のまなざしについて、そのさまざまな派生的なありかたを比較しながら性格づけること」(367)によって、さらに世界に存在するさまざまな存在者についての存在論的な考察を進めることはできるものの、この書物はあくまでも現存在についての基礎存在論的な考察であって、世界における人間の位置を考察することを課題とするいわゆる「哲学的な人間学」を目指すものではないことにある。

 こうした「哲学的人間学」の考察の実例としては、本書でもその名前が挙げられているマックス・シェーラーの「宇宙における人間の位置」のような書物があるが、本書はこうした「哲学的な人間学の実存論的なアプリオリな原理をもれなく仕上げるという課題」(同)を目指すものではない。本書は基礎存在論として、「現存在そのものの根源的な存在を把握するための道を切り拓く」(366)ことを目指しているのである。これが本書の課題に基づいて、こうした考察を行わない消極的な理由である。

 積極的な理由として挙げられるのは、現存在には「自然の光」のようなものがそなわっていて、みずからを照らしだすという特性があることである。「現存在はみずからの〈そこに現に〉をもともと携えているものであり、これなしでは事実として存在しなくなる。それだけではなく、そもそもこのような本質をもつ存在者でなくなるのである。現存在はおのれの開示性なのである」(370)。

 現存在には、こうした考察を経由しなくても、みずからのうちから、自己を解釈するための手段をそなえているのである。これまで現存在の世界内存在について、世界と存在者という観点から考察してきたが、現存在にはさらに自己のうちに、みずからを解釈するための「光」がそなわっているのであり、この「光」が現存在そのものを照らしだすのである。現存在は「自己において世界内存在として明るくされている」(同)のである。

第五章の構成

 それではこのようなみずからが開示性である現存在の「そこに現に」を考察するにはどうすればよいだろうか。そのためにはまず、現存在の実存というありかたに注目して、現存在は世界においてどのような形で実存しているかを考察する必要があるだろう。しかしハイデガーはそれだけではなく、現存在が世界において日常的にどのようなかたちで存在しているかを考察しようとする。A項「〈そこに現に〉の実存論的な構成」では、現存在をその本来の実存という観点から考察することを軸とし、B項「〈そこに現に〉の日常的な存在と現存在の頽落」では、それが非本来的に頽落しているありかたを分析することに重点を置くことになる。

 このA項の分析は、大きく三つの契機に分けて考察される。古代のギリシアで人間が言葉(ロゴス)をもつ動物として定義されたように、現存在の実存としてのありかたをもっとも明確に表現するのはロゴスを使って語るという活動である。このロゴスを使って他者とともに世界で共同現存在するありかたを、語りという概念によって考察するのが第三四節「現-存在と語り。言語」である(ただし記述の順序では、この第一の契機は最後に考察される)。

 この「語り」という第一の契機によって、現存在の他の二つの契機、すなわち情動的な存在特性である「情態性」という契機と、世界を認識する「理解」という契機が規定されている。「情態性と理解は等根源的に語りによって規定されている」(373)からである。

 この第二の情態性という契機は、「情態性としての現’存在」(第二九節)と「情態性の一つの様態としての恐れ」(第三〇節)に分けて考察される。第三の理解という契機は、「理解としての現―存在」(第三一節)、「理解と解釈」(第三二節)、「解釈の派生的な様態としての言明」(第三三節)で考察される。
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『存在と時間1~4』目次 『存在と時間』

『存在と時間』
 序論 存在の意味への問いの提示
  第一章 存在の問いの必然性、構造、優位
   第一節 存在への問いを明示的に反復することの必然性
   第二節 存在への問いの形式的な構造
   第三節 存在問題の存在論的な優位
   第四節 存在への問いの存在者的な優位
  第二章 存在への問いを遂行するための二重の課題。探求の方法とその構図
   第五節 現存在の存在論的な分析論--存在一般の意味を解釈するための地平を開拓する作業
   第六節 存在論の歴史の解体という課題
   第七節 探求の現象学的な方法
   第八節 考察の概要
 第一部 時間性に基づいた現涛催の解釈と、存在への問いの超越論的な地平としての時間の解明
  第一篇 現存在の予備的な基礎分析
   第一章 現存在の予備的な分析の課題の提示
    第九節 現存在の分析論の主題
    第一〇節 人間学、心理学、生物学と異なる現存在の分析論の領域の確定
    第一一節 実存論的な分析論と未開な段階にある現存在の解釈、「自然的な世界概念」を獲得することの難しさ
   第二章 現存在の根本機構としての世界内存在一般
    第一二節 内存在そのものに基づいた世界内存在の素描
    第一三節 基礎づけられた様態による内存在の例示。世界認識
   第三章 世界の世界性
    第一四節 世界一般の世界性という理念
    A 環境世界性と世界性一般の分析
     第一五節 環境世界において出会う存在者の存在
     第一六節 世界内部的な存在者においてみずからを告示する環境世界の世界適合性
     第一七節 指示とめじるし
     第一八節 適材適所性と有意義性、世界の世界性
    B 世界性の分析とデカルトによる世界の解釈の対比
     第一九節 広がりのあるものとしての「世界」の規定
     第二〇節 「世界」の存在論的な規定の基礎
     第二一節 「世界」についてのデカルトの存在論の解釈学的な考察
    C 環境世界の〈まわり性〉と現存在の「空間性」
     第二二節 世界内部的な手元存在者の空間性
     第二三節 世界内存在の空間性
     第二四節 現存在の空間性と空間
   第四章 共同存在と自己存在としての世界内存在、「世人」
    第二五節 現存在とは〈誰なのか〉を問う実存論的な問いの端緒
    第二六節 他者の共同現存在と日常的な共同存在
    第二七節 日常的な自己存在と〈世人〉
   第五章 内存在そのもの
    第二八節 内存在を主題とした分析の課題
    A 〈そこに現に〉の実存論的な構成
     第二九節 情態性としての現-存在
     第三〇節 情態性の一つの様態としての恐れ
     第三一節 理解としての現-存在
     第三二節 理解と解釈
     第三三節 解釈の派生的な様態としての言明
     第三四節 現-存在と語り。言語
    B 〈そこに現に〉の日常的な存在と現存在の顛落
     第三五節 世間話
     第三六節 好奇心
     第三七節 曖昧さ
     第三八節 頽落と被投性
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『存在と時間4』目次

第五章 内存在そのもの
 第二八節 内存在を主題とした分析の課題
  365 準備段階の課題
  366 今後の課題
  367 等根源性の考察
  368 内存在とは
  369 「そこ」の意味
  370 開示性としての現存在
  371 現存在の開示性の解釈のための二つの課題
  372 この章の構成
  373 「語り」の役割
  374 A項の構成
  375 実存論的な分析とは
  376 B項の構成
A 〈そこに現に〉の実存論的な構成
 第二九節 情態性としての現-存在
  377 情態性とは
  378 気分の存在論的な意味
  379 気分の開示するもの
  380 被投性とは
  381 被投性と気分
  382 信仰や知識の無力
  383 情態性の第一の本質性格
  384 たんなる気分の開示と隠蔽
  385 情態性の第二の本質性格
  386 情態性の第三の本質性格
  387 世界との出会い
  388 観想のまなざし
  389 気分の考察としてのアリストテレスの『修辞学』
  390 近代における情動の解釈の地位の低下
  391 シェーラーの考察の価値
  392 情態性についてのまとめ
  393 実存論的な分析論の課題
  394 恐れの考察
 第三〇節 情態性の一つの様態としての恐れ
  395 恐れの現象の三つの観点
  396 〈何について〉恐れるか--恐れの対象
  397 怯えやすさ
  398 恐れの理由としての自己
  399 恐れることが開示するもの
  400 他人の代わりに恐れること
  401 〈恐れ〉の諸様態--驚愕、戦慄、仰天
 第三一節 理解としての現-存在
  402 実存カテゴリーとしての理解
  403 理解の開示するもの
  404 実存カテゴリーとしての可能性の概念
  405 現存在の可能性の存在と存在可能
  406 理解と自己知
  407 新たな課題
  408 〈世界内における存在可能〉としての内存在
  409 投企の構造
  410 現存在の存在可能の意味
  411 本来的な理解と非本来的な理解
  412 存在可能のありかた
  413 〈貫くまなざし〉
  414 世界への無知
  415 〈まなざし〉と「見ること」
  416 純粋直観の優位の剥奪
  417 存在理解の可能性
  418 〈被投された投企〉
  419 次の課題
 第三二節 理解と解釈
  420 解釈
  421 〈あるものとしてのあるもの〉という構造
  422 解釈の開示機能
  423 予持、予視、予握
  424 解釈の前提となるもの
  425 「予‐構造」と「として‐構造」のもたらす問い
  426 先立つ問い
  427 意味とは
  428 没意味と反意味
  429 存在の〈意味〉の問いの意味
  430 解釈学的な循環
  431 悪循環という誤認
  432 「循環」概念の不適切さ
 第三三節 解釈の派生的な様態としての言明
  433 言明の分析の目標
  434 三つの目標
  435 言明の三つの意義
  436 提示としての言明
  437 叙述としての言明
  438 伝達としての言明
  439 妥当概念の三つの意味とその限界
  440 言明の実存論的な土台
  441 解釈の派生的な様態としての言明
  442 「として-構造」における変様
  443 解釈学的な〈として〉と語り的なくとして〉
  444 中間段階
  445 語り的な〈として〉への注目
  446 古代の存在論におけるロゴスの探求
  447 ロゴス論の崩壊
  448 記号論理学の立場
  449 コプラの意味
  450 古代の存在論の欠陥
 第三四節 現-存在と語り。言語
  451 言語の主題的な分析
  452 実存カテゴリーとしての語り
  453 語りと言語
  454 聞くことと沈黙すること
  455 ~についての語り
  456 伝達の意味
  457 語りの「語りつくす」性格
  458 語りを構成する契機
  459 「言語の本質」
  460 聞くことによる了解
  461 〈聞き耳を立てること〉
  462 「純粋な騒音」と了解の関係
  463 他者の語りを聞くということ
  464 「言葉遣い」の評価
  465 相手に答えること
  466 耳を傾けて聞くこと
  467 沈黙することができるには
  468 言語学の課題
  469 哲学的な言語研究の課題
  470 語りの解釈の役割
B 〈そこに現に〉の日常的な存在と現存在の顛落
 471 世人への問い
 472 世人の分析のもたらすもの
 473 分析の課題
 第三五節 世間話
  474 日常的な語りの分析の課題
  475 伝達の目的
  476 平均的な了解可能性
  477 世間話の成立
  478 世間話と公共性
  479 語りの世間話への転倒
  480 問いや対決の抑止
  481 解釈内容の汚染力
  482 〈根を失った〉存在
  483 土台の喪失の不気味さ
 第三六節 好奇心
  484 明るみと〈まなざし〉の意味
  185 「見ること」を好む好奇心
  486 アウグスティヌスの「眼の欲情」
  487 眼による知覚の欲望
  488 世界内存在からの自由
  489 好奇心の三つの構成契機
  490 世間話と好奇心が保証する「生き生きとした生活」
 第三七節 曖昧さ
  491 曖昧さの発生
  492 〈かぎつけていること〉
  493 世間話の復讐
  494 真の創造性の可能性
  495 現存在の見誤り
  496 曖昧さが好奇心と世間話に与えるもの
  497 他者の存在
  498 世人への抵抗
  499 存在連関の考察
 第三八節 頽落と被投性
  500 頽落とは
  501 本来性と非本来性
  502 頽落は堕落ではない
  503 世界への頽落
  504 頽落の誤解
  505 世界内存在と頽落の関係
  506 世間話、好奇心、曖昧さが開示するもの
  507 頽落の「動性」
  508 世界内存在の誘惑
  509 世界内存在の安らぎ
  510 世界内存在の疎外
  511 世界内存在と自己への囚われ
  512 現存在の転落
  513 渦巻く頽落
  514 被投性と渦巻き
  515 頽廃と実存
  516 頽落の現象の示すもの
  517 信仰や世界観と頽落
  518 この章の主導的な問い
  519 分析の成果
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