『シャルマの未来予想』より 良い億万長者、悪い億万長者--お金持ちを見ればその国の将来が分かる
成長なき再分配政策
最悪のケースが、アフリカだ。権力の座にあった30年以上もの間、ジンバブエのムガベ政権は強力に土地の再分配政策を進めた。旧支配階級の白人から土地を取り上げ黒人の一般大衆に再分配したが、いつも恩恵にあずかるのは彼の側近だった。2000年には白人農園主を追放し、代わりに黒人の農園主を据えたが、多くの場合、彼らは農業経営について何も知らなかった。農業生産は壊滅状態となり、かつての食糧輸出国は純輸入国へと転落した。失業率は90%以上に急上昇し、1日ごとに物価が2倍になるハイパー・インフレーションが勃発した。その結果、通貨の価値は紙くず同然となり、卵1個の値段は数十億ジンバブエ・ドルとなった。1米国ドルと交換するのに3京5000兆ジンバブエ・ドルが必要になった。2015年にムガベはジンバブエ・ドルを廃止し、現在は米国ドル、南アフリカ・ランドなど外国通貨が国内で流通している。
成長なき再分配政策は経済運営への信頼を損なうと言われるが、ムガベ体制はまさにその最悪のパロディと言っていい。しかし似たような悲喜劇は、多くの地域で演じられてきた。パキスタンでは1960年代に、ズルフィカール・アリー・ブトーによって人民党が結成された。1971年にインドとの戦争で屈辱的な敗北を喫した後、ブトーは政権奪取のチャンスを得た。彼は早速、不平等を正すための公約の実現に着手した。一般の市民が所有できる土地に上限を設け、金融、エネルギー、製造業の企業を次々に国有化していった。その帰結は、腐敗、ハイパー・インフレ、生活水準の切り下げだった。国家権力で富の再分配を実施したいという思いは、かつてほど強くなくなったが、最近でも指導者の心を駆り立てて止まないようだ。たとえば、1990年代後半のフィリピンのジョセフ・エストラーダ大統領、2000年代のタイのタクシン・シナワトラ首相、最近ではチリのミシェル・バチェレ大統領である。エストラーダは1998年に地方住民の支持で権力の座に就いた。当時のフィリピンは民営化政策で高い経済成長を実現していたが、その恩恵にあずかったのは都市部の一部市民だけで、地方住民は強い不満を感じていた。そこでエストラーダが採用したのが、土地を小作農に分け与え、福祉支出を増やすという一般的な格差是正策だった。その結果、政府の借金や財政赤字が急増し、インフレは加速した。ついには大規模な抗議行動も勃発した。エストラーダは3年後、政権の座を去ることになった。
自己破壊的なポピュリズム
中南米ほど、自己破壊的なポピュリズムが隆盛を極めた地域はないだろう。このポピュリズムを絶えず焚きつけてきたのが、植民地時代に端を発する巨大な不平等の蔓延だ。この地域では独立後も、欧州系の特権階級が権力を失うどころか、むしろ逆に政治的、経済的な権力基盤を強化してきた。権力や富が特権階級に集中すればするほど、その再分配を公約に掲げるポピュリズムが台頭した。その起源は、1950年代のキューバのフィデル・カストロだ。その系譜は現在まで脈々と続く。1960年代に始まるペルーのファン・ベラスコ・ァルバラード、1970年代のメキシコのルイス・エチェベリア・アルバレス、1980年代のニカラグアのダニエル・オルテガ、1990年代後半のベネズエラのウゴ・チャペス、2000年代のアルゼンチンのネストル・キルチネルなどである。たとえばメキシコのエチェベリア。彼の前の政権は、新産業の育成に熱心で、それが都市と地方の所得格差を拡大させた(工業化の初期段階ではよくあることだが)。エチェベリアは政権に就くやいなや食糧補助金の拡大、外国資本の規制、小作農への土地の再分配、鉱業や電力の国有化などの政策を矢継ぎ早に打ち出し、格差の是正に取りかかった。こうした過激な政策に恐れをなした海外投資家やメキシコの富裕層は、大量の資金を海外逃避させた。その結果、メキシコ経済は、国際収支危機、エネルギー不足、失業率やインフレの高騰、成長率の鈍化といった危機的状況に陥った。大規模な抗議活動が盛んになると、観光客も蜘蛛の子を散らしたようにいなくなった。
これらがチリのピニェラ元大統領の言う破壊的な「回れ左」だ。この周期的な大衆の反乱がついにチリに押し寄せてきた時、彼は不安に駆られた。1970年代以降、チリでは中南米のポピュリズムに感染することがほとんどなかったからだ。当時は、独裁者アウグスト・ピノチェトの政権が、外国との貿易や投資の自由化、官僚主義の打破、政府債務や財政赤字の抑制とインフレの鎮静化、国営企業や年金の民営化などによって、安定的な高成長を実現した時期だった。クーデターによって権力を掌握したピノチェトは残忍な手法で野党の指導者を次々に弾圧したため、次第に人心が離れていった。血で汚れたピノチェト政権は1990年3月に幕を閉じた。17年間の長い統治だった。彼の政策が格差拡大の種を蒔いたとの批判はあるが、ピノチェトの経済的な遺産は長く続いた。その後の20年間、チリの人々はピノチェト体制を支えた右翼政党を排除し、中道左派の指導者を選び続けたが、彼らの政策が財政金融を大きく不安定化させることはなかった。2006~2010年のバチェレ政権の第1期も、例外ではなかった。2014年に政権に返り咲いた後も、バチェレはピノチェトが確立した財政規律を破ることはなかった。彼女は、低所得層への支援を拡大する場合は、必ず財源確保のために増税を提案した。
チリの新たな成長に必要な投資資金を海外へ追い払ってしまったのは、バチェレのポピュリズム的な表現だった。チリでは平均所得が1万5000ドルに達し、分厚い中間層も形成されていた。しかし成長のためには、国際商品市況が下落していても、銅のような天然資源を輸出しなければならなかった。チリはそうした資源依存を打破するために新たな投資を必要としていたが、その出鼻をくじかれてしまった。バチェレが富の再分配を求める国民の声に応えたい気持ちは分からないでもないが、それが不用意にも経済成長の妨害になってしまった。
不平等は罪悪か?
本質的な問題は「経済にとって格差は脅威か」である。これは経済学よりも政治手腕によって解決しなければならない問題だ。人々が富の創造の仕方に疑いを持ち始めると、不平等は成長にとって脅威になる。起業家が消費者に喜ぼれる新製品を生産するために工場を作り人々を雇用したとしよう。こうした富の創造は世の中で広く歓迎される。しかし政治家に取り入って政府契約を独り占めし、特に親のツテを使って財を成した場合は、大衆の反感はつのるばかりだ。国民の関心は富の創造よりも富の再分配へ向かう。
不平等に関する綿密な統計は、私たちに社会の全体像を示してくれる点で有益だ。しかしその統計は頻繁に更新されないので、人間の感情の変化を先取りして必要な警鐘を鳴らすことはできない。所得の不平等を示す一般的な統計は、ジニ係数だ。1からOの間の数字で、不平等を採点する。1は完全に不平等な社会で、全体の所得を1人で独占していることを意味している。Oは完全に平等な社会であり、すべての人の所得が等しい。しかしジニ係数は学者が目的に応じて公式データから独自の手法で算出するのが一般的なため、発表の時期は不確定で、調査の対象国も一貫していない。最新の国別比較では、世銀のデータが最も役に立つ。2015年半ばの時点で最新のジニ係数は、チリが2011年、米国は2010年、ロシア2009年、エジプト2008年、フランス2005年とバラバラだ。ジニ係数の算出時期が古くなるほど、利用価値が低下する。不平等の高まりでどの程度、危機のマグマが高まっているかを知る手がかりには到底なりえない。
不平等を察知する私の手法は、大地にじっと耳を寄せて、辛抱強くその振動音をキャッチすることだ。富の不平等に対する不満のマグマが、どのように蓄積されているか。それを先取りするデータを私は持ち合わせていないが、人々の不満の原因は超富裕層の資産規模とその源泉であり、『フォーブス』誌の億万長者リストを注意深く読めぼだいたいの感触をつかむことができる。国全体の所得に占める超富裕層のシェアが異常に高く、しかもその過大なシェアがさらに上昇している。そのような国をあぶり出すために、国全体の所得に対する超富裕層のシェアを計算してみた。超富裕層の世襲化か進みつつある国を見つけ出すために、超富裕層における相続財産の割合を推計してみた。最も重要なことは、「悪い億万長者」の資産の源泉をたどると、石油、鉱山、不動産のような腐敗との関連性が強いとされる産業に行き着くことだ。これらは伝統的に腐敗が生じやすく、生産性の低い産業で、悪い億万長者の世襲化か進みやすい。これが経済の成長を妨げ、国民の怒りを買い、ポピュリスト政治家につけいるすきを与える。私は、一般の人々がその国の代表的な超富裕層についてどのように語っているかに注目している。政治的な反動やポピュリズム的な政策を引き起こすのは、現実の不平等よりも不平等への人々の感じ方である。
これまでの富の不平等に関する議論や億万長者リストの活用などの手法は、まだるっこしすぎると感じている人もいるだろう。しかし、ちょっと待って欲しい。これらこそが今後ますます重要なサインになってくると強調したい。世界の指導者の一部には、不平等やそれを助長する腐敗は特に発展の初期段階にある途上国で目に付くかもしれないが、すべての国に大なり小なり存在するのだから、人類に不可避の永遠の罪悪であるとして大目に見る傾向がある。しかしいこれは責任回避の口実だ。開発途上の社会は先進国よりも不平等が高まる傾向があるにしても、その不平等が自然に緩和に向かうという保証はない。