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なぜ哲学は社会のしくみを理解するための武器になるのか?

『社会のしくみが手に取るようにわかる哲学入門』より なぜ哲学は社会のしくみを理解するための武器になるのか?

いまの社会はとても複雑なしくみのもとでなりたっています。

あまりに複雑すぎて、たとえばニュースをみていても、それをどのように理解したらいいかその是非をどう判断したらいいか、よくわからないこともしばしばでしょう。

そんな社会の複雑なしくみを少しでも明晰に把握できるようになるには、じつは哲学という学問はとても有効な武器になります。

とはいえ、読者のなかには驚く人もいるかもしれません。

なぜ社会のしくみを把握するのに哲学が有効なのだろうか、と。

さらにはこんな疑問をもつ人もいるかもしれません。

哲学なんていう難解な学問を社会のしくみを把握するために活用したら、よげいに話がややこしくなってしまうのではないか?

こう思うのも無理のないことでしょう。哲学は答えのない問題を延々と議論しつづげる学問だと一般には思われていますから。

哲学はものごとをできるだけわかりやすく把握する知的作業とは対極にある学問だと思われているんですね。

しかしそうしたイメージは、哲学がもつ、ほんの一つの側面にすぎません。

どういうことでしょうか。

ここで少しだけ、哲学がどのようなことを考える学問なのか、説明させてください。

哲学がおこなう議論には大きく分けて二つの種類があります。

当為論と存在論です。

いきなり難しい言葉がでてきましたが、身構えなくても大丈夫です。

まず、当為論というのは「何をなすべきか」を考える哲学の議論のことです。

たとえば、髪を切った友人があなたに感想を求めてきたとします。あなたはその新しい髪型を「変」だと思いましたが、正直にそれを言って友人を傷つけたくはありません。しかし友人は率直な感想を求めています。このとき、あなたは正直に感想を言うべきでしょうか、それともウソをついてでも髪型をほめて友人を喜ばせるべきでしょうか。

当為論ではこのように「何をすることが正しいのか」ということを考えます。

たとえば安楽死は認められるべきかどうか、犯罪抑止のための監視はどこまで許されるか、といった問いはすべて当為論に含まれます。個々の事案について「私たちは何をなすべきか」をそれらは問うているわけですから。

こうした当為論は大きくなると「私たちはいかに生きるべきか」といった壮大な問いに行き着きます。多くの人が考える「いかにも哲学的な問い」にそれはかなり近いのではないでしょうか。

つぎに、存在論ですが、こちらは一般的にはあまり馴染みのない議論かもしれません。

存在論とは何でしょうか。それは一言でいえば「どのようにそれは存在しているのか」「その存在はどのようになりたっているのか」を考える哲学の議論のことです。

たとえば古代ギリシャの哲学者、アリストテレスは、私たちが生きている物質の世界を「形相(エイドス)」と「質料(ヒュレー)」という概念でとらえようとしました。「形相」とはその物質がもつ「かたち」のことであり、「質料」とはその物質の「素材」のことです。

木製の机を例にしましょう。

この場合、机というかたちが「形相」で、その素材である木材が「質料」ということになります。

ただ、その「質料」である木材も、セルロースやヘミセルロース、リグニンといった主要成分からなりたっています。そのことを考えると、それらの主要成分が「質料」で、樹木というかたちが「形相」であると、さかのぼって考えることができるでしょう。

さらにさかのぼって、それらの主要成分は炭水化物(ブドウ糖)でなりたっていることを考えるなら、炭水化物(ブドウ糖)が質料で、セルロースやヘミセルロース、リグニンが「形相」であると考えることができます。さらにさかのぼって……。

このように物質のなりたちをどんどんさかのぼっていくと、最終的にはどんな形相も性質ももたない純粋な「質料」にまで(理論的には)行き着きますよね。アリストテンスはそれを「第一質料」と呼びました。

また、その「第一質料」に備わりうるような原初的な「形相」を「純粋形相」と呼びました。

そしてアリストテレスは、「第一質料」に最初の「形相」をあたえる働きについて、それは何かに作用されることなく純粋に作用だけをおこなうものであると考え、それを「不動の動者」と呼びました。

このようにアリストテレスはこの世界(宇宙といったほうがいいかもしれません)のなりたちを、「第一質料」に「形相」をあたえる「不動の動者」の働きによってとらえようとしたのです。

これがアリストテレスにおける存在論の概要です。

ところで、宇宙のなりだちといえば物理学がずっと探求してきたテーマです。いまやその探求はきわめて高度で専門的なものになっていますが、たとえば物体からどのように重力が生じるのかといった問いへの探求をみると、アリストテレスの存在論は議論のかたちとしてはそうした物理学の探求と響き合うものであることがわかるのではないでしょうか。

アリストテレスの存在論についての説明が少し長くなりました。

哲学における存在論の議論とは、このように、ものごとがどのようになりたっているのかを概念的に考察していく議論のことです。

ただしこの存在論は、哲学の世界ではけっして物質のなりたちについてのみ議論されるわけではありません。さらにそれは人間社会のなりたちについても議論されます。

哲学の世界には人間社会がどのようなしくみでなりたっているのかを考察する存在論の系譜があるということ。これこそ私がここで強調したいことです。

たとえばホッブズの国家論はその一つの典型例です。

17世紀イングランドの哲学者、トマス・ホッブズは、当時のョーロッパで形成されつつあった近代主権国家がどのようなしくみのもとでなりたっているのかを「社会契約」という概念をもちいて明らかにしようとしました。まさにそれは国家の存在論と呼ぶべき考察です。

へーゲルの歴史哲学を例にすることもできます。

19世紀前半に活躍したへーゲルは、人間の歴史がどのようなロジックのもとで進展しているのかを考察しました。そこにあるのは壮大な歴史の存在論です。

ヘーゲルはその考察をつうじて、人間の歴史を突き動かしているのは自由の拡大というロジックだと論じました。奴隷制が廃止されたり、フランス革命が起こったりしたのは、その具体的なあらわれだということです。

こうしたへーゲルの歴史哲学は、その後、マルクスがそれをもとに共産主義社会の到来を予想したほど、大きな影響力をもちました。

現代でもヘーゲルの歴史哲学の影響はさまざまなところでみられます。

たとえばアメリカの政治学者、フランシス・フクヤマの議論がそうです。

フクヤマは冷戦後、ヘーゲルの歴史哲学にもとづいて、自由民主主義こそが政府の最終形態であり、その最終形態が勝利することで人間社会の発展は完成すると論じました。このフクヤマの考察は、冷戦後の世界がどうなっていくのかという問いをめぐって世界的な論争を巻き起こしたほど話題となりました。

哲学における存在論の議論は、20世紀になるとマルティン・ハイデガーによって洗練され、深められました。20世紀以降の現代の哲学を理解するうえで、ハイデガーの影響を無視することは決してできません。

その一つの例がミシェル・フーコーの権力論です。

フーコーの権力論がいかにハイデガーの存在論から影響を受けたものであるのかは、フーコーの著作を読めば読むほど実感できます。まさにその権力論は権力の存在論というべきものです。

フーコーの権力論はそれまでの権力をめぐる議論を根本的に刷新しました。その考察は、それ以降の社会哲学や社会理論に「フーコー以前と以後で議論の中身がまったく変わった」といわれるほどの影響をあたえたのでした。

本書がおもに立脚するのは、こうした哲学における存在論の系譜です。

一言でいえば、存在論とは「……とは何か」を考える哲学の営みのことにほかなりません。

私は冒頭で、社会の複雑なしくみを把握できるようになるためには哲学はとても有効な武器になる、と述べました。その哲学の力は、哲学における存在論の系譜からきているのです。

哲学の世界では、何をなすべきかを考える当為論はしばしば存在論にまで行き着きます。というのも「何をなすべきか」を考えるためには、問題となっているものごとが「どのようになりたっているのか」を考える必要があるからです。

たとえば国家について「どのような国家のあり方が望ましいのか」「よりよい社会のためには国家をなくすべきか、それとも維持すべきか」といった問いを考えるためには、そもそも「国家とは何か、それはどのようになりたっているのか」を把握しなくてなりません。

同じように、日々のニュースや出来事をまえに私たちが「それをどう判断するか」「社会をどうしていくべきか」を考えるためには、社会のしくみを理解することが不可欠です。

本書のテーマは、現代社会におけるさまざまな事象をとりあげながら、哲学の観点から社会のしくみを明らかにすることです。

それによって読者の方々が、社会のしくみを概念的にとらえられるようになり、かつ哲学的な考え方も身につけられるようになること。それが本書ではめざされています。

項目は全部で二〇あります。それぞれの項目は独立しており、どこから読んでも問題ないように構成されています。

現代社会に生きる私たちはとかく忙しい生活を送っているうえに、さまざまな情報にさらされ、それを有効に活用しなくてはならない必要に迫られています。

ですので、本書も、読者の方々がこま切れの時間を役立てられるよう、それぞれの項目が独立した構成になっています。

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今を生きる意味--宇宙を人間が知るということ

『みんな幸せってどんな世界』より 私たち人間はどこへ向かう? 自分・世界・地球・宇宙

かつてアフリカを起源とした人類は、ゆっくりとした歩みで地球の各地に広がっていきました(5~10万年前)。その後、それぞれの場所で独自の生息環境に適応し活動域を広げて、地域の環境を改変しつつ独自の文化を生み出してきました。長い時の経過のなかで、対立と融合を繰り返しながら、人間社会は再び統合への歩みを進めています。そして20世紀、人間の活動領域は地球を飛び出して宇宙にまで広がりました。

人間の大繁栄の反面、地球の生物種の数多くが絶滅し、生物多様性が急速に消滅しています。気候変動は、かつては数万年ないしは数千年単位での変化だったものが、現在、人間の活動が影響していると考えられる気候変動は、数百年どころか数十年単位の大変動か起こりつつあります。これから20年、50年後に、人類はどこに向かっていくのでしょうか。

人間活動のスケールは、世界へ、宇宙へと向かう外的な活動領域とともに、一方では内面的な意識、認識面においても大きく拡張してきました。その一つが、認識しにくい大きなスケールのものを俯瞰的にとらえる能力です。巨大な宇宙の世界を、私たちは凝縮したスケールで想い描きます。

一例として、地上の日常世界からどんどんズームアウトして、太陽系、銀河系、宇宙全体へと広がり、反対に、極小の世界の素粒子にまでズームインする映像がユーチューブに公開されています。1977年に作成された「10の累乗」という映像です。ぜひ孫悟空になった気分でこの宇宙世界を旅する感覚を試してみてください。

イメージしやすい例として、時間的なスケールの認識において、よく使われるのが宇宙カレンダーです。宇宙の誕生から現在までを1年間とすると、太陽系の誕生は8月末、原始生命の出現が9月中頃、恐竜の出現は12月23日で絶滅したのは29日です。猿人の登場は12月31日22時40分頃、現生人類は23時58分過ぎに現われました。産業革命と化石資源(石炭・石油)利用で、近代化の幕開けをむかえた今の時代は、ほんの数十秒という一瞬の出来事にすぎません。そこでの世界と環境の激変ぶりには驚くばかりです。

そもそも「宇宙」という文字は、紀元前2世紀頃の書物『淮南子』によれば、宇は空間を、宙は時間を意味しており、時間と空間の世界を表現したものとされています。

また別のパノラマとして、生命進化の時間的推移を視覚化した「生命の樹」の図と動画があります。一つの生命の種から、幾本もの枝分かれが無数に生じていく姿として描かれており(系統樹)、今日の多種多様な生物種が地球上にて生み出されてきた様子が活き活きとイメージできます。それは幾本もの無数の光の筋として伸び、広がっていく神秘的な動きとして、見事に映像化されています。その最終的な図柄は、中心から周辺へと多彩な模様が描き出された絵図で示されており、まさに生命世界の縮図(曼荼羅)のごとくです。わたしは、これをエコロジー曼荼羅と呼んでいます。

このようなパノラマ的な認識は、自分と世界を宇宙的な視野からとらえなおすことにつながります。私たちは、新しい自己認識と世界認識を手にし始めているのではないでしょうか。宇宙的世界と極小の世界、日常的世界とグローバル世界や歴史に刻まれた世界は、認識の次元として別世界であり、大きな質的差異があるため、普通にはなかなか認識したり把握が難しい世界です。それを私たちは、階層性の落差や差異を超えて想像力を働かせパノラマ的に認識することで、現実に生きる世界が非常に狭い部分でしかないことをはっきりと自覚できます。この能力があるから、日常世界の利害対立や民族対立などを相対化して、ともに生きる世界を大きな視野から再構成できるのです。そうすることで、自分たちはどのような存在なのか、この世界を宇宙スケールで認識しなおす時代が始まりかけているのです。

人間存在の新たな認識方法を、今の自分自身に当てはめると、

 ①宇宙・生物的存在(客観的世界)

 ②人間集団の構成体のなかで生きている存在(社会・経済・政治・文化において独自の秩序を形成している)

 ③私の存在(個別に主観的世界をもちつつ共通認識を形成する存在、世界認識を共有し合う個人として共同主観的な世界を形成する)

という3層構造として描けます。図は外側の世界を意識した図で、上の図は個人の内的世界を意識して描いた図です。自分か認知し意識している表層は、氷山の一角でしかないこと、奥底には宇宙的な関係性までもが深く潜在していることを表しています。

大海に浮かぶ二つの島の海岸を想い描いてみましょう。私たちは、そこの小さな砂粒のような存在として、世界を生きています。そうした一個人ではありますが、「井の中の蛙大海を知らず」(井戸の中のカエルは大海の存在を知らない)という諺に反して、私たちは井戸を越えて大海原を認識することができつつあります。いま新しく認識し始めたこの世界は、極小の素粒子から極大の宇宙までを含めた存在世界の全体領域にまで広がってきました。

このように奥深い世界認識を獲得しつつ、私たちは、あらためて自分たちの存在について、根源的な問いを突きつけられています。
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自己啓発と自己成長へ向けて

『家庭と仕事の心理学』より これからのワーク・ライフ・バランスに向けて

時代の変化に応じた対応

 現代社会の生活の在り方は多岐に渡りますが、このような状況の中で今問題とされていることを指摘し、今後のワーク・ライフ・バランスの問題点について触れることにします。

 現代社会は少子高齢化といわれるように年齢の2極化か進行していますが、少子化問題に関連したワーク・ライフ・バランスの在り方については既に指摘したとおりです。しかし、高齢化に関しては今までの考え方で捉えられていたワーク・ライフ・バランスの考え方に時代の変化に伴い、さらに今まで考えられていなかった新たな意味合いが含まれるようになっているのも事実です。

 従来ワーク・ライフ・バランスという考え方はどちらかといえば子育て期の問題に焦点を当てることが多く、しかもそのことはかなり現実的な視点として捉えられていたようです。しかしながら、子育て期の問題は男性の、特に夫としての在り方を含めて、子育てという行為に一人の親として当然のこと関わるべきであるとする方向に進んでいます。またそれに伴って、妊娠・出産に直面している女性への職場での対応の在り方、子育てのための整備などが進められて来ているのが現状です。

 その一方で、高齢化に伴って新たな現象と問題が生じています。その1つは、平均寿命が年々伸びるにっれて高齢者が増え、介護や看護をする必要性が生じていることです。介護や看護の必要性はライフステージの最終段階において生じる課題であり、この時期老夫婦のいずれかが亡くなり一人での生活を余儀なくされる場合もあります。しかし、子ども夫婦にとっては介護あるいは看護という福祉や医療に関連する関わりが求められ、それが仕事や家庭生活に大きな影響をもたらすこととなるのです。その際に特に問題視されるのは、介護や看護に携わるために仕事を辞めるという、いわゆる「介護離職」という結果に結びつくことです。

 介護と仕事の両面に関わる場合、精神的・肉体的な疲労などが重なりやすいことは想像に難くありません。自分の親の面倒を見つつ仕事にも従事するのは人並み外れた精神力と体力を要し、そのために職場を退職という形で離れる人が多いのです。

 平成14年~平成25年にかけて、介護や看病のために仕事を辞めた人の数を図10-1に示しました。圧倒的に女性が多く男性は少ないのですが、それでも年々男性の数も増加していることがわかります。老年期を迎える頃、自分の両親の身体的衰退によって介護と看護に関わる人が多くなっているという新たな課題が出現しているのです。国は現在「介護離職ゼロ」を目標に取り組みを始めていますが、老後の時期に生じる介護・看護と自分の生活の在り方をどのように調整したらよいのかといった、新たなワーク・ライフ・バランスが模索されているのです。

 しかし、現在自分の親を中心とする介護とはいっても、介護形態が全て一律に全介護ではなく身体の状況に応じた介護が行われているのが現状です。例えば、デイサービスを利用している家族もあり、このような場合には介護者は一日中家にいるのではなく、高齢者が老人ホームなどで介護を受ける時間帯はそれを利用して仕事をすることも可能であり、少しずつ介護状況に応じて自分の可能な時間を利用して仕事を進める人も現れています。勿論勤務先の理解と協力が不可欠であることは確かですが、このようなことが実際に進行することによって、介護疲れによる心身の疲労やストレスが減少し、介護に従事しながら仕事を継続でき、生活のための家計の援助と同時に自己の生き甲斐にも繋がることとなり、介護にも弾みがっくことが期待されています。現在、テレワークというインターネットなどを使用して時間や場所の制約を受けずに、柔軟に働く形態の仕事の仕方も導入され、介護、子育てと仕事の両立のための手段も利用され始めています。

 次に指摘できるのは、老後に仕事を望む人が多くなっているということです。図10-2に示すように、日本、アメリカ、ドイツ、スウェーデン各国の老後の就労意識についての調査結果から、収入を伴う就労を希望するのは日本44.9%、アメリカ39.4%、ドイツ22.7%、スウェーデン36.6%となっており日本は高い比率を示しています。この結果は各国の政治的・文化的背景なども影響しているものと考えられるのですが、それでも日本人の老後の就労意欲は高く、老後の労働生活と共にワーク・ライフ・バランスの問題は継続していきます。一方、内閣府の「高齢者の生活と意識に関する国際比較調査」では、望ましい退職年齢については、日本の男性は「65歳くらい」の希望が最も多く42.1%、 2位は「70歳くらい」で33.0%に対して、アメリカは「65歳くらい」が45.9%「70歳くらいJ 16.5%、ドイツは「65歳くらい」が62.4%「70歳くらい」3.2%の割合になっており、70歳以上を希望する日本の退職希望年齢の高さが際立っています。さらに、65歳以上の高齢者の就業率については国際比較の中でその高さが目立ちます。総務省の発表によりますと、日本、アメリカ、カナダ、イギリス、ドイツ、イタリア、フランス各国の65歳以上の高齢者の就業率は日本21.7%、アメリカ18.2%、カナダ12.8%、イギリス10.1%、ドイツ6.1%、イタリア3.8%、フランス2.6%となっています。

 高い労働力率を持つ日本ですが、65歳~69歳の高齢者の就業の理由の中に、「生きがい、社会参加のため」とする人の比率も年々上昇傾向にあります。これは、老後の仕事の位置づけが若い頃と異なり、仕事第一ではなく楽しんで取り組むというように人生の中の生きがいに繋がるような二次的な位置づけであるようにも考えられます。言葉を換えれば小遣い程度の収入を得たいという反面、人間として自己の持つ能力を発揮し、それに対応した収入を得ることの中に自己の生き甲斐を見つけるというディーセント・ワーク(Dcent Work: 働き甲斐のある人間らしい仕事)にも関わるものと考えられるのです。

 このような視点から見て、老後の仕事と家庭生活の在り方にも、仕事に関わることが今まで以上の意味を持つ場合があることも含めて、これからの高齢者のワーク・ライフ・バランスの方向性についても検討していくことが求められるでしょう。

 さらに最近教育に関連して地域ぐるみで子どもを育てることの重要性が指摘されています。核家族化か進行し、地域での隣同士の交流が少なくなっている現状の中、子どもが地域と関わって生活することが少なくなっているようです。その一方で、家庭内では親の教育力の低下、家族としての基盤の脆弱化など子どもの育つ家庭環境の弱体化も指摘されており、子どもが育つべき環境の問題が徐々に大きくなっているともいえるのです。このような問題の背景を受けて、ワーク・ライフ・バランスに求められる機能も変化しているといえるでしょう。それは、ワーク・ライフ・バランスの持つ機能の1つとして地域への関わりがあげられるのですが、地域との触れ合いが大きな意味を持つことです。それは単に地域社会への関わりを持っのではなく、家庭や学校の教育力の低下、家庭や地域コミュニティーカの低下や孤立化への対応力としての意味合いを持つと考えられるからです。つまり、地域社会との関わりを持つことによって、子どものとの関わりを持ちながら子どもの教育に関わることになると考えられ、地域による教育力を高めることにより、子どもを総合的に育てて行くということに繋がると思われるからです。このようなコミュニティー・スクールとしての機能は現在求められている「教育再生」への踏み台としての意味合いが強いと思われるのです。これについては既に第1章でも触れましたが、ワーク・ライフ・バランスの持つ機能については時代の変化とともにより発展的な視点が求められると考えられます。

自己啓発と自己成長へ向けて

 18歳以上の人へのアンケートから私達の日常生活の中でこれからどのようなことに力を入れていきたいのかが示されていますが、多い順に「レジャー・余暇生活」「資産・貯蓄」「食生活」「所得・収入」「住生活」「自己啓発・能力向上」となっています。特徴として自分の生活に潤いを持だせようとしている点があげられ、それは金銭によるものは勿論ですが、自己啓発・能力向上にみられるような人間としての自分の生き方そのものを精神的に豊かにしようとする生き方が定着していると思われることです。それと関連してレジャー・余暇活動も同様に高い率で定着しているのです。この2領域は別々に活用されることもあるでしょうが、基本的には深く関連しているようにも考えられます。実際、余暇活動をする中で自分の生きがいを見つけたり、新しい友人と出会うことにより新しい生き方や価値観に触れたりするなど、現在の生活に新しい風を送り込み異なった価値観を持つ生活に変化していくこともあり得るのです。これは人間としての成長発達に向けた生き方がワーク・ライフ・バランスの大きな柱として存在し、我々の生活にとってなくてはならないものとしてあることを示しています。

 ワーク・ライフ・バランスは本来的には、「仕事」「家庭」「余暇時間」「地域」の各要素の活用のされ方によっては家族に及ぼす影響の相違が出てきます。各要素とも極めて大切なものですが、例えば「余暇時間」について見ると、Dumazedier(1972)は余暇時間は身体的・肉体的疲労の回復のみならず自己実現のための重要な時間であることを指摘しています。基本的に「余暇活動」には3つの機能が含まれるとしていますが、1番目は「休息」です。これは連日の仕事などによって生じる心身の疲労などを回復させるのが大きな目的になりますが、人々にとってはなくてはならないものです。2番目の機能は「気晴らし」です。これは連日の労働を含めた生活の中で生ずる単調さから気持ちを変えて日常とは異なる隔絶した世界に逃避したりする行動があり、旅行、遊戯、スポーツや映画、演劇、小説などがその対象になります。そして3番目の機能は「自己開発」とばれるもので1番目2番目の機能とは多少趣が異なるように感じられます。「自己開発」は自分の生き方、価値観、行動などめ人としての在り方そのものをより高度な方向へ変化させるものであり、人としての成長する姿そのものを表現したものです。以上のように3つの機能が指摘されていますが、1番目~3番目の各機能は個々別々にあるものでもなく、相互に関わり合っていて個々の人々の生き方にも影響をもたらすものと考えられます。

 さらにDumazedierは「余暇とは、個人が職場や家庭、社会から課せられた義務から解放されたときに、休息のため、気晴らしのため、あるいは利得とは無関係な知識や能力の養成、自発的な社会参加、自由な創造力の発揮のために、全く随意に行う活動の総体である」としています。この言葉の中には、人間として成長するための重要な活動が含まれており、これなくしては人間として成長しないとも考えられます。言葉を換えれば、余暇活動は生活そのものに新しい価値観をもたらし、今までとは異なった生活をもたらすものといっても良いのではないでしょうか。このような視点から見ると、ワーク・・ライフ・バランスは単に生活と仕事のバランスをとるということ以上に新しい生活観、価値観を生み出し人間としての生き方に大きな変革と魅力をもたらすものと考えられます。
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未唯宇宙 5.8.1~5.8.4

5.6.4「思いをカタチ」

 モノつくりはサファイア循環に基づいた行う。作るのが目的ではなく、使うことをイメージする。 組織を活かすことそしてそれを超えること。循環のエネルギーであり、変革の原動力になる。

 見直しの表現はコンパクトにする。空間にあるものは前提とする。論理が通るかの一貫性。

5.7.1「存在の力で分化」

 5.7は地域での分化と統合。市民が存在の力に気付くことが始まり。そこにいる意味から覚醒する。市民主体の発想がエネルギーを生み出す。

5.7.2「分化の連鎖」

 トポロジーは点から近傍を作り、チェーンで拡大する。同様なシナリオ。中間の場を設定し、ユニット活動で地域のインフラを再構成。その上で行政を取り込む。

5.7.3「統合の意識」

 現在、起こっていることでハイアラキーにすることをまとめ、地域主体での解法を探る。地域の活動に企業を取り込む。具体的な事例を新しい車社会で表す。 問題点を抽出。

5.7.4「地域の統合」

 市民主体の共有意識から地域を再構成する。国があっての地域ではなくて、配置されたものとしての地域をつくりあげていく。多様な中間の存在。それを組み合わせていく。効率も新しく定義していく。

 市民が主体となった 車社会で実験を行う。地域インフラを再構成する。
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豊田市図書館の30冊

291.03『世界の中の日本地図』16世紀から18世紀 西洋の地図にみる日本

140『心理学』

332.3『現代ヨーロッパ経済』

361.1『社会のしくみが手に取るようにわかる哲学入門』複雑化する社会の答えは哲学の中にある--

361.5『若い読者のためのサブカルチャー論講義録』

372.1『日本の公教育』ガクリョク・コスト・民主主義

699.67『伸也のラジオっ子』リスナー・はがき職人・構成作家

686.21『【図説】日本の鉄道 全国通勤電車大解剖』満員電車を解消することはできるのか?

375.3『21正規の教育に求められる「社会的な見方・考え方」』

361.9『想像力欠如社会』

227.2『世界の教科書シリーズ イランの歴史』イラン・イスラーム共和国高校歴史教科書

114.2『よりよき死のために』「死への準備教育」創始者が伝えたいこと

210.01『「名著」から読み解く日本社会史』古代から現代まで

410.7『数学ガイダンス2018』大学数学への完全ガイド

290『シリーズ地誌トピックス サステイナビリティ』地球と人類の課題

361.45『THE RHETORIC 人生の武器としての伝える技術

338.21『没落の東京マーケット』衰退の先に見えるもの

122『はじめて学ぶ中国思想』思想家たちとの対話

756.7『図解 防具の歴史』

159.4『Google流疲れない働き方』

041『ドイツとの対話』<3・11>以降の社会と文化

316.1『メディアと市民』責任なき表現の自由が社会を把握する

159『もっとずぶとく生きてみないか』

147.3『ラー文書」「一なるものの法則」第二巻』

367.7『シニアライフ入門』「第二の人生」の生活術

143『家庭と仕事の心理学』--子どもの育ちとワーク・ライフ・バランス--

361.04『みんな幸せってどんな世界』共存学のすすめ 一人ひとりが「魔法のメガネ」の存在に気づくと未来はもっと希望に輝く

164.31『100の傑作で読むギリシア神話の世界』名画と彫刻でたどる

336『シリコンバレー式最高のイノベーション』

367.9『トランスジェンダーと現代社会』多様化する性とあいまいな自己像をもつ人たちの生活世界
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