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OCR化した5冊

『現代の社会福祉』

 現代社会の変化と社会福祉

  少子高齢社会の現状

   少子社会の現状
   少子化かもたらす影響
   人口高齢化の現状
    高齢化社会から超高齢社会へ
    わが国の高齢化の特徴

  現代家族の動向

   家族形態の変化
    縮小する家族規模
    家族構成の変化
    65歳以上の高齢者のいる世帯の状況
   家族の変容
   家族の機能の変化

  現代の社会的不平等
   不平等とは何か
   現代社会の不平等問題
   現代社会と子どもの貧困

『世界まちかど地政学』

 ロシアの飛び地までたどり着く

  簡単にはたどリ着けないカリーニングラード
  入管設備なき国内線仕様のカリーニングラード空港

 無人の公園となっていた旧ケーニヒスペルク中心部

  〝ケーニヒスベルクの墓銘碑〟のような「ソヴィエトの家」
  広島の爆心地を思い出させるカント島

 随所に残る第二次大戦末期の激戦跡

  激戦の歴史を秘める旧ケーニヘスベルグ市の防衛線
  琥珀博物館で考える

 〝ドイツの北方領土〟の今後は?

  「欧州市民」になれないカリーニングラード住民

『地域文化観光論』

 「地域文化観光論」と「観光学」 部分と全体との「つながリ合い」 

  部分と全体

   「部分的つながり」へ:人類学的研究方法の変遷
   部分と全体:カントールの塵と残余
   サイボーグ:想像と現実の接合による「ひとまとまり」のイメージ
   思考のサイボーグ、部分的なつながりと拡張

  部分的つながりとANT

   視点(perspective)とANT
   ネットワーク間の部分的つながり:私たちの視点と彼らの視点

  大学における「新たな観光教育」の展開とアクターネットワーク理論

   観光の全体性を明らかにする
   「モノ、人、コト」
   「認識論から存在論への転回」:「観光まちづくり」論の可能性
   まとめ

『なぜ世界は存在しないのか』

 なぜ世界は存在しないのか

 超思考

 ニヒリズムと非存在

 外界と内界

『精神科臨床を学ぶ』

 急性期の関わり--そばにたたすむこと

  はじめに
  出会い
  初日
  翌日から
  そばにたたずむ
  シュヴィング
  現実世界につなぎ止める
  保護室使用の良し悪し
  統合失調症の予後
  おわりに
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精神科臨床 そばにたたすむ

『精神科臨床を学ぶ』より 急性期の関わり--そばにたたすむこと

はじめに

 統合失調症の精神療法、特に急性期の精神療法を考えたとき、その原点となるのは、まずは何もせずとも、患者のそばにたたずむことから始めること、だと筆者は考えている。本稿では、筆者が精神科医になりたての頃に受け持った患者の話をしたい。

出会い

 私が医学部を卒業して医師免許を取り、大学病院の精神科研修医として働き始めてまだ何カ月も経っていない頃の話である。統合失調症の急性期の患者を初めて受け持つことになった。「入院患者が当たったから、外来に来るように」との電話が医局に入り、私は外来に向かった。

 外来診察室に入ってみると、若い女の子(以下A子とする)が診察室のベッドに座って泣いていた。ちょうど筋肉注射をし終えたところで、A子はベッドに座って「痛いよう」と言って泣いていた。外来医が「この先生が担当になる村上先生です」と言い、患者と母親に私が紹介された。私は「村上と言います」と挨拶をしたがA子の返事はなかった。「注射が痛かったんだね」と声をかけると、「心臓に穴があいた」と言って泣き続けた。そして、心配して寄り添う母親に向かって振り返り、「お母さんじゃない。本物のお母さんじゃない」と言ってにらんだ。母親は何とも言えない辛そうな目をしていた。外来医が医療保護入院の説明と手続きを行ない、泣いているA子、母親や看護師と共に病棟へ移動した。

初日

 A子の病室は閉鎖病棟の大部屋だった。まずはその大部屋に入ってもらったが、全く落ち着かなかった。泣いていたかと思うと急に笑い出した。何かに怯えた様子で手を合わせて般若心経を唱え始めたりもする。と思ったら今度は壁に向かって、精一杯の振りを付けて当時のアイドルの流行歌を歌い始めた。と思ったら今度は壁と会話を始め、あっと言う間に、ケンカのような言い合いになり、わーっと泣き崩れた。いわゆる支離滅裂という状態だった。

 その大部屋で少し様子を見たが、全く落ち着かず、暴れたりするわけではないが他患にも迷惑になるので、仕方なく保護室に移ってもらった。しかし保護室なら人に迷惑はかからないので、施錠をする必要はほとんどなかった。入院に際して指導医には「まずは出来るだけ、患者と一緒に過ごすことから始めなさい」と言われた。幸い、その頃の私はとても時間があった。精神科1年目の同期が10人ほどいたので、1人の担当患者は2~3人であり、外来の予診や診察の書記、その他の研修医業務も10人で分担すると1人の負担はたいしてなかった。今の時代の研修プログラムのような、講義やカンファレンスもわずかしかなかった。自由な時間がたくさんあったので、私は1日の多くの時間をA子と過ごすことに決めた。

 しばらくしたら夕食の時間になったが、なかなか食事は進まなかった。別に拒食というわけではなく、壁と話をしたり泣いたり歌ったりが忙しくて、とても食事どころではない、という感じだった。ひと口食べるたびに食事が中断した。行動がまとまらないので、食事をボロボロとこぼしもした。看護師さんも他の患者の看護で忙しいので、A子の世話ばかりはできない。途中からは私が食事を手伝った。それでも、1時間以上かけて半分ほど食べるのが精一杯でそれで食事は終了とした。次に、薬を飲んでもらうのだが、これもひと苦労した。別に拒薬というわけではないのだが、笑ったり踊ったりの合間に少しずっしか薬が飲めない。合間をみては粉薬を少しずつ口に入れるのだが、「苦いよう目と言って泣き出したりもする。それでも看護師さんとなだめたりしながら、薬は何とか飲めた。

 薬が飲めたので、後は眠ってもらうだけとなった。ただ、「入院初日は、患者の不安は強いので、患者が眠ったのを確認するまでは帰らぬように」と指導されていたので、しばらくは待つことにした。「今日は疲れたでしょ。早く寝ましょう」と言ったところで眠るはずもなく、壁と会話をして笑ったり泣いたり歌ったりするA子を眺めながら、私は保護室の壁にもたれて床に座ってすごした。だが、しばらくして、さすがに内服と注射が効いて来たのか、眠そうになって来た。看護師さんに布団に誘導してもらい、A子が寝息を立てるのを確認して、私の1日の仕事が終わった。

翌日から

 翌朝、出勤すると私はすぐに保護室に向かった。A子は朝食は半分程度手を付けただけで、早速、壁と話をしていた。「おはよう」と声をかけたが、返事はない。私はしばらく、A子が壁と会話をする様子を見守った。しかし、ずっとその様子を見ていても、何もすることがない。「イ可をしたら良いのだろうか?」と私は考えた。指導医は「一緒に過ごすことから始めなさい」とは教えてくれたが、どうやって過ごせば良いのかは、何も言われなかった。

 「私はなりたてではあるけれども、一応は精神科医だ。精神科医たるもの、まずは何と言っても、患者と面接をすべきではないか」と私は考えた。そこで私は壁と話をしているA子の横から話し掛けた。「昨夜は眠れた?」、「何か困ることはないかな?」。当然ながらA子からの返事はなかった。二、三話し掛けただけで、私は黙りこくってしまった。もっと話し掛けても、結果は同じであろうと、私にも容易に理解が出来たからだ。こんな時、どうすれば良いか、指導医には教えてもらってはいなかった。

 私は少し考えて、「患者と面接するにしても、それは精神療法というものなんだから、壁と話をしている患者の背後や横から声をかけるのでは、これは精神療法とはきっと言えないだろう」と気付いた。決心した私は、しばらくタイミングを計ってから、A子と壁との間に入り込むことに成功した。そして話し掛けた。「しんどそうだけど、大丈夫かなあ」と。これで会話が出来のではと思った。しかし私の期待は、数秒後にもろくも崩れ去った。A子は壁との間に入った私などには目もくれず、横を向き、今度は横の壁と話を始めたのだ。

 あっけに取られた私はしばらく立ちすくんだ。しかしそうもしていられない。私は再び壁とA子の間に滑り込んだ。するとA子は今度は横の窓を向いて、窓と話を始めた。私も負けじと再度、A子と窓の間に入った。するとA子は、なんと床と話をし始めた。

 今考えると、「イ可とバカなことをしていたのか」と思うが、当時の私はそれなりに一生懸命だった。それでも、このような方法がうまくはいかないこと、無理に会話をしようとするのは、むしろ害になる面がありそうであることは、さすがの私にも何となく理解することができた。

 それからと言うもの、私は、保護室の壁にもたれて床に座り、彼女を眺めて時間を過ごすようになった。そして、看護師さんと一緒に食事を手伝ったり、薬を飲ませたりして1日が終わる、という日が続いた。読者の多くは、このような事は看護の仕事であり、医師の仕事ではない、と考えるかもしれない。だが、当時の私は、医師免許はもらいたて、処方も指導医に決めてもらわないと何も分からないという状態であったので、患者と直接接して関わることが出来る時間は新鮮だったし、面倒だと思うことはなかった。「今日こそは、何か少し関係が取れるかもしれない。どうすれば良いだろうか」と考えながらA子と接する毎日は、やり甲斐があって充実した日々だった。

 毎日同じことの繰り返しのようでも、少しずつ変化も感じるようになった。外来や他の用事で呼ばれて「じゃあ、またね」と声をかけたり、「じゃあ、今日は帰るからね。また明日、お休み」と言って保護室から私が出て行こうとすると、A子はチラッとこっちを見たあと、壁との会話がひどくなったり、壁にひどいことを言われたのか泣き出したりすることが多くなるのだった。「私や看護師の存在や介入を無視しているかのようでも、実は、誰かがいてくれた方が安心できるんじゃないか、誰もいなくなることは不安なんじゃないか?」と感じるようになった。「人がそばにいることは意味があり、いるだけでも良いのではないか?」と私は考えるようになった。

そばにたたずむ

 「面接をしなくても良いらしい」「そばにいるだけで意味がある」と気づいてからは、私は楽になった。保護室で黙ってそばに居るだけで、何だかつながっている感じがし始めたので、無理に何かをしようとすることはなくなった。ボケーッとしたり、本やマンガを読んだり、精神科薬物療法や脳波所見の付け方の教科書、指導医に勧めてもらった中井久夫先生や成田善弘先生の本を読んだりして過ごした。読んでなるほどと思った箇所は、「音読」してみたりもした。すると、A子がこちらをチラッと見たりすることもあった。

 ただ黙ってそばにたたずむ、ということを積極的にできるようになったら、その上でちょっと関わってみようとすることも私はするようになった。A子が当時のアイドルの曲を歌って踊っている時、私も横に行って、見よう見真似で歌って踊ってみたりした。ただ、数秒単位でどんどん曲が変わるので、ついて行くのは大変だった。数分でクタクタになるので、長くは出来なかった。でも、私が歌や振りを間違えると彼女がチラッとこっちを見る反応も見られるようになった。一緒に歌って踊るのは疲れるので、私は観客側に回って手拍子を叩いたりもした。

 そんなある日、例によって筆者が彼女の傍らでボケーッとしていると、彼女が「やめて! やめて!」と泣き叫び出した。いつものことなので、同じようにそばにたたずんでいたが、ふと思い付き、意を決した私は彼女と並んで壁に向かって立った。そして、「やめろ! この人は僕の患者だ。この人をいじめることは僕が許さない。どこの誰だが知らないが、出て行ってくれ。文句があるなら、正々堂々と僕に言え! この人がこんなに苦しんでいるのが分からないのか!」と壁に向かって言った。A子と壁との会話が止まり、彼女がちょっとびっくりしたような表情でこっちを見た。私もA子に視線を向けた。しっかりと視線が合った。私は嬉しくなり二コッとした。A子も微笑み返してくれた。私が「僕は君の味方だよ」と言うと、A子は笑い、壁との会話を再開した。

 この出来事をきっかけに、A子と会話的にもつながりがかなり取れるようになっていった。A子が保護室から大部屋へ移ったのは、それからもうしばらくしてからのことだった。

 A子は半年ほどの入院で良くなって退院した。入院中の教授回診やカンファレンスでは統合失調症の「典型的な解体型(破瓜型とも言われ、無為自閉と言われる症状が進みやすく、統合失調症で最も予後が悪いとされる型)」だとされていた。退院の頃は意欲減退などもあり、統合失調症の「欠陥症状」とか「無為自閉」だと言われていた。しかし退院後、「消耗期」を経て元気になると共に、退院後2年ほどで断薬してしまった。しかしそれでも相談事があると時々受診して来た。少なくとも断薬したまま4年ほどは寛解していたことは分かっている。その後の経過は受診がないため不明ではある。
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なぜ世界は存在しないのか

『なぜ世界は存在しないのか』より なぜ世界は存在しないのか

まず、わたしたちの得た最初の大事な認識、すなわち意味の場の存在論の等式を、もういちど取り上げておきましょう。

 存在すること=何らかの意味の場に現象すること

何らかの意味の場に何かが現象することがありうるためには、その何かがそもそも何らかの意味の場に属していなければなりません。たとえば、水はガラス堰のなかにあることがありえますし、何らかの着想はわたしの世界観に属するものでありえます。同じように、ひとは国民として何らかの国家に所属していることがありえます。3という数は自然数に属していますし、分子は宇宙の一部をなしています。このように何かが何らかの意味の場に属しているわけですが、その属し方こそが、その何かの現象する仕方にほかなりません。決定的なのは、何かの現象する仕方がいつでも同じわけではないということです。すべてが同じ仕方で現象するわけではありませんし、すべてが同じ仕方で何らかの意味の場に属するわけではありません。

以上に述べたことが正しいとしましょう。すると、ここでようやく、世界が存在するかどうかをきちんと問うことができるようになります。第1章で見たように、世界は、すべての領域の領域として考えれば最もうまく捉えることができます。これはハイデガーに帰することのできる捉え方でしたが、ここで、この捉え方をもっと正確にして、こう言い直すことができます--世界とは、すべての意味の場の意味の場、つまりそれ以外のいっさいの意味の場がそのなかに現象してくる意味の場であり、もってすべてを包摂する領域である、と。これはいわば世界の究極の定義ですから、もういちど強調して記しておき、用語集に載せることにしましょう。世界とは、すべての意味の場の意味の場、それ以外のいっさいの意味の場がそのなかに現象してくる意味の場である。

すると、存在するいっさいのものは、世界のなかに存在していることになります。世界こそ、いっさいの物ごとが起こる領域にほかならないからです。世界のそとには何も存在しません。世界のそとにあると考えられるものも、そう考えられるものとして世界のなかに存在しています。かくして、存在するということには、つねに何らかの場所の規定が含まれていることになります。存在するとは、何かが何らかの意味の場に現象することだからです。だとすると、こう問わなければなりません--世界が存在しているとすれば、その世界はどのような意味の場に現象するのだろうか、と。世界は意味の場S1に現象すると仮定してみましょう。ここでS1は、さまざまな意味の場のひとつです。つまりS1と並んで、S2・S3……と複数の意味の場が存在しています。ほかの意味の場と並んで存在しているのに現象しているのであれば、世界は存在している。このようなことは可能でしょうか。

世界とは、それ以外のいっさいの意味の場がそのなかに現象してくる意味の場のことでした。とすれば81には、ほかのいっさいの意味の場が、いわばS1に包摂される副次的な場として現象していることになります。S1には世界が現象しており、その世界にはすべてが現象しているはずだからです。

とすると、S2・S3……の意味の場は、いずれもS1と並んで現象しているだけでなく、S1のなかに現象してもいることになります。S1には世界が現象しており、定義上、その世界にはすべてが現象しているはずだからです。したがって、たとえば82は、二度存在していることになります。一度は世界と並んで、もう一度は世界のなかにです。しかし、S2が世界と並んで存在するはずがありません。世界と並んで--つまり世界のそとに--存在するものなど、何もないからです。同じことが83にも、またそれ以外のいっさいの意味の場にも当てはまります。したがって、ほかのさまざまな意味の場と並んで現象する何らかの意味の場に世界が現象するということ、そんなことはそもそも不可能です。もしそんなことが可能だということになれば、ほかのさまざまな意味の場はおよそ存在することができないことになるからです。というわけで、次の点は確認できました--世界は、世界のなかに現われてはこない。

さらに、もうひとつ別の問題もあります。世界がS1に現象するのだとすると、それでは81自身はどこに現象するのでしょうか。すべての意味の場がそのなかに現象する意味の場が世界だとすると、S1のなかに現象するはずの世界のなかに、S1それ白身が現象しなければならないことになってしまいます。込み入った厄介な状況です。

世界がそのなかに現象しているS1、そのS1がそのなかに現象している世界は、S1のなかに現象している世界とは明らかに違います。現象している世界は、当の世界が現象する場としての世界と同じではありません。

それだけではありません。ほかのすべての意味の場も、世界のなかに現象します。ほかのすべての意味の場も、ともに同じ図に含まれるのです。すると、どの意味の場も、やはり二つのポジションをもって現われてくることになってしまいます。一方では81のなかの「世界」のなかに現われ、他方ではS1と並んで現われてくるわけです。

しかし、世界のなかに世界は現われてこないということは、こうしたやや形式的な論証とは別に、もっと簡単に確かめることもできます。視野を例にして考えてみましょう。視野という領域のなかで、けっして当の視野それ自体は見えません。そこで見えるのは、眼に見える対象だけです--隣席乃女の人、カフエ、月、日没など。せいぜいできそうなことは、視野を絵に描いて表現しようとすることくらいでしょう。ここで、たとえば眼前に拡がる視野を寸分違わず絵に描く才能が、わたしにあるとしましょう。このときわたしは、わたし自身の視野を描いた絵を、じっくり見ることができるでしょう。けれどもこの絵は、もちろんわたしの視野そのものではなく、わたしの視野のなかにある何かにすぎません。これと同じことが、世界にも当てはまります。わたしたちが世界を捉えたと思ったとしても、そのときわたしたちが眼前に見ているのは、世界のコピーないしイメージにすぎません。わたしたちには、世界それ自体を捉えることはできません。世界それ自体が属する意味の場など存在しないからです。世界それ自体は、世界という舞台に登ることがありません。世界それ自体は、立ち現われてくることもなく、わたしたちにとって表象となることもありません。

古典的映画『猿の惑星』シリーズの第三作『新・猿の惑星』では、オットー・ハスライン博士なる人物が、独自の時間理論を展開しています。未来から過去へと猿たちが遡行してきたこと、これがいかにして可能なのかが、この理論によって説明されるというわけです。(スラインのテーゼによれば、時間というものを理解するには、時間をある種の「無限背進」として捉えなければなりません。(スラインは、自らが出演している報道番組の視聴者に、この時間理論を説明するために--この映画の世界では、未来からやって来た二匹の猿がその番組を視聴しているわけですが、もちろん当の映画を観ているわたしたちも、同じようにその番組を視聴していることになります1---説得力のある例を用いています。わたしたちが、絵に描かれた何らかの風景を観ているとしましょう。このときわたしたちは、この風景を誰かが描いたということを知っています。したがって、この風景画を描いた画家と当の風景画とがともに描かれた絵を、さらに想像することができます。しかし、この絵もやはり描かれたものです。それも、当の絵に描かれている画家によって描かれたものではありません。絵に描かれた画家は、絵のなかに描かれている絵を(絵のなかで)描いているにすぎません。そこでわたしたちは、もともとの風景画を描いている画家が描かれている絵を描いている画家が描かれている絵を想像することができる--これが無限に続きます。無限背進です。

すべてを描いている画家は、自らが描いている絵の制作にさいして、まさに当の絵を制作している自己自身を描くことはできません。絵に描かれた画家は、それを描いている画家と、けっして完全に同じではありません。今問題にしている『新・猿の惑星』のシーンで注目すべきは、この映画の観客であるわたしたちが、未来から来た二匹の猿とまさに同じ状況にあるということです。作中の二匹の猿が観ているのと同じテレビ映像を、わたしたちも観ています。興味深いことに、そのテレビ映像に映し出されているテレビ画面の背景には、報道番組の司会者と(スライン博士とが映り込んだ鏡が見えています。これによって、少なくとも三つの視 点が象徴的に融合することになる。すなわち、未来から来た二匹の猿の視点、報道番組の司会者と(スライン博士の視点、そしてわたしたちの視点です。この映画--わたしたちの世界--は、このような果てしない入れ子構造でできているわけです。

不安をかきたてる不気味な表現によって、このような真理に導いてくれる映画作品はほかにもたくさんありますが、なかでも特に恐ろしいのが、ヴィンチェンゾ・ナタリの映画作品『キューブ』のシナリオです。『キューブ』では、さまざまな登場人物たちが、なぜか--はじめは一人ずつ別々にー立方体状の部屋のなかにいます。どの部屋にも、開閉のできる扉が六面の壁すべてについていて、それぞれ隣の部屋に通じています。なかには、命に関わるような罠のしかけられた部屋もあります。映画が先へ進むにしたがって明らかになるのは、部屋と部屋のあいだに見られる数字の組み合わせが、部屋の移動のサイクルを表わしているということです。これに気づけば、立方体のそとに出られるわけです。しかし立方体のそとには、空虚・虚無しかありません。これは、映画の最後には明るい光として表現されてもいます。

こうして映画作品『キューブ』は、終始一貫して、立方体のそとの世界を表現するのを放棄することで、わたしたちにとって重要な事実の映像的表現たりえていることになります。すなわち、無限に数多くの意味の場が存在し、無限に多様な仕方で入れ子構造をなしているという事実です。しかし、この果てしない入れ子構造は、虚無のただなかで--つまりはどこでもないところで--生じています。物ごとの起こる場所を規定するということは、およそ何らかの意味の場のなかでしかできません。意味の場の外部など存在しないのです。このような状況を、ジャンーパウルは、一七八五年の『ある蔵言家の伝記』において、ほかに類のない風刺的なスタイルで描いています。「彼はつねづね本を書きたいと思っていた……その書きたがっていた本のなかで彼が証明したいと思っていたのは、たしかにさまざまな存在者が存在しているけれども、存在するということそれ自体はどこにも存在していないということであった」。

世界は存在しません。もし世界が存在するならば、その世界は何らかの意味の場に現象しなければなりませんが、そんなことは不可能だからです。もちろん、この洞察はたんに破壊的なだけではありません。この洞察によって明らかになるのは、期待と違って世界は存在しないのだということだけではありません。むしろ何が存在するのかを理解しようとするのであれば、この洞察は生産的なものにもなりうるのです。
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「Against」のアンダーは久保

「Against」の生駒抜けた後のアンダーは久保。理由は「生久星」(いくぼし)という語呂のよさと「さらば、シベリア鉄道」でみせた歌唱力。

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