goo

アラブの春とその後

『国際政治ハンドブック』より 中東・アフリ力

1 アラブの春(中東諸国の民主革命)

 2010年12月にチュニジアで起きた反体制デモが発端となり、アフリカ・中東諸国では民主化を求める民衆運動が激化し、各国で長期独裁政権が崩壊した。

 11年1月 チュニジア ペンアリ政権(23年)崩壊

 11年2月 エジプト  ムバラク政権(30年)崩壊

 11年10月 リビア  カダフィ政権(42年)崩壊

 11年11月 イエメン サレハ政権(21年)崩壊

 その他  バーレーン、ヨルダン、モロッコ 憲法改正

2 アラブの冬:各国の現状

 しかし政変後、安定した民主政権の樹立には至らず、逆に権力の空白状況を突いて過激派勢力や国際テロ組織が入り込み拠点化を進め、混乱や内戦が一層拡大する事態が続く。

 (1)チュニジア

  2011年1月、民衆のデモによって23年続いたベンアリ大統領の独裁政権が打倒され(ジャスミン革命)、11月には穏健派イスラム政党ナハダを第1党とする暫定連立政権が発足した。 14年1月に制憲議会が民主的な新憲法案を承認、10月の人民議会選挙で世俗派政党ニダチュニスが第1党となり、12月の大統領選挙でニダチュニス党首のカイドセプシが当選、翌年2月に挙国一致の連立政権が正式に発足した。

  民主的手続きを経た新政権の誕生で「アラブの春の優等生」や「中東民主化のモデル」とも称されたが、その直後、イスラム国に連なる過激派組織アンサール・シャリアが首都チュニスの博物館を襲撃、日本人3人を含む外国人観光客ら23人が殺害されるテロ事件が発生し(15年3月)、政情の不安定さが表面化した。チュニジアから3汗人以上がイスラム国の戦闘員に参加。

 (2)エジプト

  チュニジアに続きエジプトでは100万人規模の民衆の抗議運動でムバラク政権が崩壊。全権を掌握した軍事最高評議会の下で大統領選挙が行われ、イスラム同胞団のムルシ候補が当選(エジプト初の文民大統領)。 12年12月にはイスラム教の価値観重視の新憲法を制定したため自由主義勢力が反発。経済も低迷し、13年7月軍部のクーデターで追放された。軍部がイスラム同砲団を弾圧するなか新憲法が制定され、14年5月にシーシ元国防相兼軍総司令官が新大統領に選出された。

 (3)リビア

  カダフィ独裁政権に反対する部族が武装蜂起し、NATOを主体とする多国籍軍が軍事介入した。 2011年10月カダフィ大佐が殺害されると、部族ごとの争いから各地で武力衝突が多発した。その後、国民評議会を経て12年8月に全体国民会議(旧議会)が発足し、憲法制定と正式政府の発足を目指したが、9月にはカダフィ政権崩壊後に勢力を拡大させたイスラム過激派組織がリビアのアメリカ領事館を襲撃し、大使が死亡するなど混乱が拡大した。

  2014年6月新憲法が出来ないまま新議会の選挙が行われたが、選挙で選ばれた世俗派中心の新議会(国民議会)と、その議会への権限移譲を拒否するイスラム勢力が対立。世俗派政府・新議会は首都トリポリの支配権を喪失し、東部の港湾都市トブルクに退去、一方首都を掌握したイスラム勢力は独自の政府・議会を設立、二つの政府・議会が互いに正当性を争う異常事態となり、それぞれを支持する勢力が国の東西に拠点を置いて武力衝突を繰り返す内戦状態に陥っている。この混乱に乗じてイスラム国が、北部のシルトや東部のダルナ周辺を拠点に勢力の拡大を図っている。

 (4)シリア

  11年3月アサド政権と反体制派の間で内戦が勃発。アサド大統領は辞任を拒否し、軍隊を動員して民主化を求める反体制派を弾圧。12年4月には国連監視団が派遣されるが失敗、13年4月には化学兵器(サリン)が使用された。欧米やアラブスンニ派諸国は反体制派、イランや中国、ロシアはアサド政権を支持。

  13年8月アサド政権が再び化学兵器を使用したため、アメリカが軍事介入を検討したが国内外の反対で撤回。シリア政府は化学兵器を廃棄したが、14年にはイスラム国(スンニ派)が勢力を伸ばし、アサド政権・体制派VS(欧米が支持する)反体制派・シリア国民連合VSイスラム国等スンニ派過激勢力の三つ巴の内戦状態が続く(クルドも独自に関与)。

 (5)イエメン

  反政府デモが活発化し、2012年2月北イエメン時代から33年間統治したサレハ大統領が退陣し、元軍人のハディ副大統領が大統領に就任。

  2014年、北部を拠点とするシーア派武装勢カフーシが台頭(イランが支援)、一時ハディとフーシは内閣刷新で合意するが、15年1月新憲法草案巡り対立。フーシは大統領府を制圧し、ハディは辞任を表明。翌月首都サヌアを制圧したフーシは政権掌握を宣言、サレハ前大統領と連携するが、南部アデンに逃れたハディは辞意を撤回、国連やアラブ諸国に軍事介入を要請した。

  これを受け15年3月サウジアラビア等湾岸10か国(スンニ派)がフーシヘの空爆を敢行。サウジなどペルシヤ湾岸諸国はスンニ派の君主制国家だが、スンニ派支配に不満を抱くシーア派住民を抱えている。スンニ派(国民の65%)とシーア派(同35%)が混在するイエメンでシーア派フーシによる国家転覆を許せば、自国の体制が揺らぐとの危機感から軍事行動に踏みきった。

  ハディ大統領派とイスラム教シーア派武装組織フーシとの地上戦や、ハディ政権を支援するサウジアラビア主導の連合軍によるフーシ側への空爆が続くなか、権力の空白に乗じてイエメン南部を拠点とするアルカイダ系国際テロ組織「アラビア半島のアルカイダ(AQAP)」やイスラム国の分派がテロ活動を活発化させており、宗派閥対立による混乱の拡大も懸念される。

3 二つの対立構図

 政権争奪  独裁政権VS民主化求める民衆

 宗派間闘争 シーア派(諸国) VSスンニ派(諸国)
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

ヨーロッパを題材にして天声人語

『天声人語』より ⇒ ムスリムを扱った論説が少ないのはなぜか?

強制収容所解放70年 1・29

 15年前に見た映画を思い出している。題名は「スペシャリスト--自覚なき殺戮者」。元ナチス親衛隊中佐アドルフ・アイヒマンは先の大戦中、ユダヤ人らを強制収容所に送り込む専門家だった。彼を死刑としたイスラエルでの裁判の記録映像に基づくドキュメンタリーだ。

 大虐殺に関わり、「人類の敵」と指弾された男は一見、神経質な役人にしか見えない。自分は上からの命令に服従しただけだから、自分に責任はない。彼は法廷でそう繰り返す。犯罪の巨大さと人間の卑小さとの落差に驚いたものだ。

 収容所から生還したイタリアの作家プリーモ・レーヴィも書いている。親衛隊員や獄吏は怪物ではなかった。顔も頭脳も意地悪さも普通だ。狂信者もいたが、多くは無関心か、罰を恐れているか、出世したいか、あまりに従順だったかだ、と。

 ドイツ系ユダヤ人の政治哲学者ハンナ・アーレントは、前世紀の惨劇の底に「凡庸な悪」を見た。平凡な人間たちが皆、思考を停止し、周囲に同調して悪魔の所業に加担した。恐ろしいからくりである。

 ポーランドのアウシュビッツ強制収容所が解放されて70年がたった。おとといの式典では85歳の元収容者が演壇から訴えた。「傍観者になるな」。自分で考えよ、凡庸な悪に陥るな、という戒めと聞こえた。

 記憶の継承が危ぶまれるなか、世界には憎悪や排斥、暴力が再び広がる。日本にとっても、「一億一心」の同調圧力の下で戦争に突き進んだ経験を確かめ直したい節目の年である。

ワイツゼッカー氏死去 2・3

 ドイツの戦後の歩みを一身に具現するような政治家だった。「過去に目を閉ざす者は現在にも盲目となる」という戦後40年の演説は、あまりに有名だ。統一を挟んで10年にわたって大統領を務めたワイツゼッカー氏が亡くなった。

 「荒れ野の40年」と邦訳された1985年の演説は、ドイツが降伏した5月8日に国会で行われた。ナチスの過去を変えたり、起こらなかったことにするわけにはいかない、われわれ全員が過去を引き受けなければならない--と訴えた。

 大戦ではポーフンド侵攻に従軍した。この時、兄を失う。戦後、ヒトラー政権の外務次官だった父が捕らえられ、弁護人の助手になった。その仕事を通じナチスの犯罪を知ったことが、後の人生に大きく影響したという。

 数々の演説を残した。90年、ドイツ統一の式典では「統合された欧州の中で平和に貢献したい」と宣言。2年後、極右による外国人排斥の襲撃が頻発し、ナチス政権誕生前夜のようだともいわれた時は、暴力反対のデモを呼びかけた。ベルリンの街を30万人が埋めた。

 演説集などを翻訳した永井清彦さんは、元大統領を「言葉の人」と表現する。多くの人の話を聞き、じっくり演説の想を練る。草稿も人任せにせず自分で書くのを常とした。

 戦後40年の演説の最終盤で、若い世代へ呼びかけている。「他の人々に対する敵意や憎悪に駆り立てられることのないようにしていただきたい」。宗教的な過激派の悪逆が続く今まさに、その言葉が光彩を放つ。

ウクライナ停戦合意 2・14

 看板の「量り売り」という文字が目立つ。東京・お台場の商業施設の一角で、「ロシェン」というメーカーのチョコレートが期間限定で売られている。色とりどりに包装された一口大のチョコを好みで選んで、100グラムあたり450円。バレンタインデーを前にした昨日はかき入れ時だったろう。

 ロシェンは、ウクライナ大統領のポロシェンコ氏が1996年に創業した会社だ。キャラメルやゼリーも製造し、世界に商品を展開。これで財を成した氏は「チョコレート王」の異名をとる。

 学生時代に国際関係を学んだ大統領は、今回の16時間にも及んだマラソン交渉にどんな心境で臨んだのか。ウクライナ東部での政府軍と親ロシア派武装勢力との戦闘を、15日に停止することが合意された。昨春以来、5千人超の死者が出ている。

 対立するロシアとの間を独仏首脳が取り持つ4者会談だったが、米国の存在も大きかった。オバマ大統領はプーチン大統領に電話し、ロシアの出方次第ではウクライナに武器を提供すると示唆したらしい。駆け引きの側面もあるとはいえ、米口の「代理戦争」を予感させて不気昧だった。

 危機は本当に去ったのか。昨年9月にいったんは停戦合意に至って、ほどなく反故になった経緯がある。ポロシェンコ氏も、合意の履行は「簡単ではない」と述べている。角突き合わせる当事者に賢慮と自制を望むしかない。

 ロシェンのパンフレットに「幸せを世界へ」とある。せめて平穏を、今度こそ取り戻せないか。

『ブリキの太鼓』作者逝く 4・15

 作家というよりは農夫に見える。ドイツ文学者の池内紀さんがそんな観察を記している。骨太な体つきに、口ひげ。ドイツの田舎でよく見かけるタイプだという。確かに写真で見るギュンター・グラスさんは素朴で武骨な印象を与える。

 池内さんが新訳を手がけた代表作『ブリキの太鼓』は素朴どころではない。狼雑で、滑稽で、愚かしく。ナチズムに絡め取られていくドイツ社会を、3歳の誕生日に自分の意思で成長を止めた「小さな大人」の目を通し、冷徹に描く。

 母国の「過去」に向ける視線は厳しかった。過去から目を背けようとするふるまいにも。1990年のドイツ統一に反対の論陣を張ったのも、不幸な歴史に照らしてのことだったろう。旺盛な政治的発言で知られたノーペル文学賞作家が87歳で亡くなった。

 2006年に発表した自伝『玉ねぎの皮をむきながら』に、〈私は沈黙してしまった。しかし、重荷は残った〉と書いた。少年時代にナチスの武装親衛隊に所属していたことの告白である。自身の過去を長く秘してきたことへの批判は覚悟の上だったに違いない。

 作家の大江健三郎さんと親交があり、戦後50年にあたる95年には本紙上で往復書簡を交わした。大江さんに宛てた印象深い言葉がある。2人とも年老いたけれどくいぜんとして焼跡の子どものままです〉。

 また、2人がそれぞれの母国に向ける批判的な目は〈私たちの国に対する愛情のもっとも正確な表現です〉とも。言論人としての気概に打たれる。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

文化立国 芸術には「毒」もある

『文化立国論』より 「文化立国」実現のために

文化は私たちに心地よさをもたらしてくれるものであるが、文化のなかにはそれと対照的な作用をするものもある。じつは芸術がそうミ芸術というものは本来、現状を打ち破る力をそなえている。

芸術作品が私たちにもたらすものは、感動ばかりではない。驚きとか困惑、ときに不快感やイライラ感だったりする。それまでだれも思いつかなかったような形状や色彩や音は、私たちをさまざまに揺さぶる。私たちは慣れ親しんだ世界に浸っているとき心地よさに包まれているが、そこから新しいものは生まれない。そういう意味で穏やかで心地よい文化は、保守的で現状肯定的であり、創造性やエネルギーにとぼしい。だからこそ、あえて不安とか狂気、驚きといった刺激をもたらしてくれる天邪鬼としての芸術が社会には必要なのである。

そういう意味で芸術は安定した穏やかなものを否定するところで生まれる。そうした芸術が誕生すると、社会は大きな包摂性をもっているから、トゲトゲしたものもくるんで呑み込んでしまう。すると、また異質な刺激因子としての芸術が必要になってくる。その繰り返しによって、社会と文化のエネルギーが維持されるのではないか。

安定した穏やかな社会は、そのままでは停滞していく。そのため、社会が停滞しないように世の中をある意味でアジテートし、エネルギーを抽出するような役割を果たす芸術がどうしても必要となる。科学技術の進歩においてイノベーションが必要なのはいうまでもなく、科学技術のイノベーションは人類史そのものといってよい。それと同様に、新しい芸術作晶もまた社会にとって大切なイノベーションの役割を果たすのである。そのためには芸術は心地よいものばかりであってはならない。

今日、歴史的な名作とされている作品が発表当時、多くの反発やひんしゅくを買ったという例は多い。たとえば明治の文豪、夏目漱石は今日でもよく読まれているが、漱石の作品は、それらが発表された明治末から大正はじめにかけての時代、必ずしも人びとから称賛ばかりされていたわけではない。漱石が書こうとした近代人のエゴや孤独、個人主義的な市民感覚などは、当時の中産階級がはっきりではないにしろ、うすらぼんやりと自覚しかかふていたことではなかったか。そこを突かれて唸った読者とともに不快感を覚えた読者もいたはずである。自分たちの恥部になりかねない部分をわざわざ指摘してくれなくてもいい。漱石の作品からそう感じた人も少なくなかったであろう。

つまり漱石の作品は、当時の日本人にとって、おもしろさや共感と同時に眉をぴそめさせるところがあった。そうした両面をもっていたからこそ、漱石の作品はより多くの人をひきつけたのである。

新しいものに賛否がつきまとうのは世の習いだが、かつて一九六〇年代に世界の若者を熱狂させたビートルズも、当時の大人にはおしなべて不評であった。あんなものは音楽ではない、ピートルズに夢中になる若者は不良だ、などという極論も聞かれた。眉をぴそめたのは大人だけではない。ビートルズが来日したのは一九六六年だったが、そのころには東京の真面目なお嬢さん学校に通う女学生たちもビートルズに熱狂しはじめ、その姿に同世代の硬派の男子学生が眉をひそめるといった空気があった。当時、イギリス生まれのこの口″クバンドをめぐって、若者も是と非で二分したのである。

しかし、ビートルズの曲がそれまでの音楽にない斬新なものであったことはまちがいなく、時間の経過とともに社会のなかに浸透していき、やがて音楽の教科書にも登場するようになった。六〇年代にピートルズが感じさせた反社会的な匂いと高い音楽性は表裏一体になっていたのだ。

というょうに、芸術には賛否両論をおこす「毒」の部分があるが、それは安定した穏やかなものを否定するのが芸術であるからにほかならない。

そうした芸術の天邪鬼性は、活力よりも穏やかさが優勢になりがちな成熟社会においてはより重要である。しかも、いまは昔とちがって世の中の変化のサイクルがどんどん短くなっており、これは芸術を生み出す側に大きな変化が求められていることを意味している。なぜなら時代の変化に合わそうとすると、必然的に次々と作品を世に出さなければならず、個々の作品の質を高めることがむずかしくなる。質を高めて完成域に近づいたときには、もう時代は次のサイクルに入。ていて、次の作品に取りかからなくてはならない。

つまり芸術家に求められているのは、作品の完成度ではなく、新しさである。芸術作品の質を極めるということにあまり価値はなくなり、次々に新しいものを生み出すことに価値がおかれるようになる。

このような芸術の変化は、もうすでに現実のものになっているが、ある意味で芸術家にとって厳しい時代にあっても、私たちはつねに新しい芸術の誕生を期待しなければならない。日本はすでに成熟社会に足を踏み入れている。つまり、より複雑で、よりいろいろなものが絡まりあい、原因と結果がよりわかりにくい社会になりつつある。しかも、グローバル化によって心地よい旧来の日本文化が揺さぶられかねない現実に直面している。

この成熟社会の煩雑さとグローバル化への反発から、私たち日本人は今後これまで以上に穏やかで心地よい文化を希求するようになるであろう。穏やかな心地よさは、かけがえのない大切なものであるが、それだけでは社会は活力を失い、停滞していく。だからこそ、そうならないために、現状をつねに否定したり刷新したりする芸術はこれからの日本社会になくてはならないのである。

そうした芸術が刺激と活力をもたらし、ぴいては健全な「文化立国」に近づけてくれるにちがいない。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

「配置」って、何?

M2の「配置」

 M2の「配置」って、何? 見つけ出したもの? そこを原点として、拡がるもの。じゃ、「社会」って何? まず、社会の構造はどうなっているの? 社会を揺らすものは何? 多様化とローカル化。社会が目指すものは何? 社会をどこから見ていくの? 内なる世界から見た、外なる世界。

 それでは「社会の構造」って何? 「社会の多様化」って何? 「社会のローカライズ」って何? 社会の目的は「幸せな社会」というけど、それは何? それぞれが独立したもの。

パートナーには存在を認められたい

 パートナーから存在を認められていない。彼女は生きているのか。

 次にやることが明確になっていない。だから、同級会とかカテーテル監査のような外なる世界が気にならない。「考え抜く」とあるけど、考えてさえしていない。

「サファイア」って何なの?

 「サファイア」って何なの? 社会の空間モデルから出て来たから、全体の動きを表します。サファイアはパートナーから生まれたから、最終的には彼女に帰す。

 これこそ、配置そのものです。バラバラなものを配置していく。その中での理論づけすることによって、それぞれのユニットの遷移を表す。このモデルと現実社会を比べた時に、何が足りないのか。それが次のマーケティングを示す。

 循環項目として、ローカルとグローバルがあるけど、もっと大きいのは「思考」と「行動」を罰に考えることです。行動するは結果が全てではない。思考が全てなのかもしれない。

 そして、アナロジー、特に数学のトポロジーとの関係。トポロジーは未来を示す。サファ異によって、未来が見えてくる。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )