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豊田市図書館の25冊

537.6『図解でウンチク カーナビの謎を解く』

685.01『道路交通政策とITS』

686.2『世界の地下鉄』

914.6『100歳になっても! これからもっと幸せなひとり暮らし』

913.6『この世にたやすい仕事はない

498.12『どうなる! どうする! 医療事故調査制度』

596.7『ラテアート&デザインカプチーノ上達BOOK』プロが教える本格テクニック

376.21『<お受験>の歴史学』選択される私立小学校 選択される親と子

304『民主主義をあきらめない』この憲法がある限り、切り捨てられる“弱者”はいない。 ⇒ だから、彼らは憲法改正をターゲットにしている。

368.6『だまし犯罪百科』巧妙な話術と手口の全貌

291.08『ニッポンの星、月、夜の絶景』

292.35『アンコールワット』るるぶ』

913.6『お任せ!数学屋さん3』

049『ヤバすぎる「都市伝説」大全 超最新版』

451.98『避難の科学』気象災害から命を守る

493.7『シュレーバー回顧録』

548.3『pepperプログラミング』基本動作からアプリの企画・演出まで

188.84『片づける禅の作法』

748『心も染まる 紅葉』

289.3『悪役 世界でいちばん貧しい大統領の本音』

290.38『世界地図が語る12の歴史物語』

141.6『孤独病』寂しい日本人の正体

596.65『大人のほろ酔いチョコレート』

141.6『嫉妬をとめられない人』

290.93『海外パックツアーをもっと楽しむ本』
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EU諸国間の富、貧困、不平等

『揺れる大欧州』より 社会モデルはもうなくなったのか

他の福祉指標と同じく、富と所得の不平等な状況はEU諸国間でかなり異なる。しかし大半の国々の中では、二〇〇八年までの約二〇年間に格差が広がった。二〇〇七年時点のEUにおいて、貧困の中で暮らしていたのは約七九〇〇万人、その多くは子どもだった。南北の違いが際立った。子どもの貧困率は、スウェーデン、デンマーク、そしてフィンランドで総人口の四%以下だった。ギリシャは二〇%、イタリアは一八%だった。貧困および子どもの貧困の割合はひとり親家庭で一番高かった。対照的に、南の国々では、多くの貧しい人々が「普通」の家庭で暮らしていた。

貧困は、ある形をなし、ずっと変わらない状態のようにしばしば語られる。人々は貧困地区から抜け出せず、出口がないのだと。そういう状況もあるが、実際のところ、それは比較的まれだ。国内でも、国家間でも、「貧しい人々」は極めて多様だ。いろいろなタイプの貧困地域、地区、界隈が一つの社会の中にすらあるのだから、ヨーローパ全体では言うまでもない。それらは、さまざまな、時に正反対の力学で動く。だから、町にできたスーパーマーケットの影響で田舎の貧困がひどくなる時のように、ある地域で繁栄を生む流れが、他の地域で貧困を引き起こしかねない。貧困生活への出入りの動きは、これまで考えられていたよりずっと大きいことを最近の調査は示している。二〇〇七年のEU一五カ国で貧困期間を調べると、その約四〇%は一年以内に終わっている。こうした調査を踏まえれば、「貧困地区」を以前とは違う見方で捉える必要がある。「同じ状態のまま」の地域で、ひょっとすると大量の人間が出入りしているかもしれない。

この知見は、土着の人々と同じくらい移民集団にあてはまり、実際、それにぴったりあてはまる事例がある。これまで明らかにならなかったのは、ほとんどの調査実施期間が短いからだ。東アジアからの移民集団が多い英国のボルトンとブラッドフォードでの長期研究によって、移民の大部分が都市中心部から移動したことが明らかになった。彼らは、多くの人が目指す郊外や地方へと向かった。

ドイツでの研究によって、この国の貧困層の出入りにどの程度の流動性があるかが明らかになった。「回転作用」、つまり貧困から抜け出てしばらくすると戻り、一生を通じてその循環を繰り返す人がいる。だが、貧困から抜け出た大多数は、ずっとそのままだ。ドイツの研究者たちは、個人の貧困体験に影響を与える環境を三種類に分けた。(一)どのくらいの期間、貧困が続くか、その間に何が起こり、それが人生のどの時期にあたるか。(二)社会の周縁に追いやられないために利用できる社会的支援があるか。(三)貧困体験が「一代記」、つまり離婚や病気のような人生の特定の出来事の結果であるかないか。こうした出来事の影響は、単に収入を失ってしまう事よりも、振り払うのはより難しいかもしれない。

伝統的な福祉国家は、貧困に陥るやいなや、その人への配分を懸命に増やそうとした。今やこのやり方は適切ではない。先制型福祉は、初期段階で人々を貧困から遠ざけ、いったん抜け出したら逆戻りさせないことに目標を絞る。「フレキシキュリティ」がここで重要になる。従来の給付金とは対照的に、再訓練を重視して仕事に復帰させる実践的な取り組みだ。米国が先駆者となった先制型政策は、ヨーロッパにも適用できる。

例えば、斜陽産業の労働者たちに、それぞれの仕事が消えてしまう前に再訓練への申し込みを認めるのは、うまくいったやり方だ。地域の大学がインターネット上で教育訓練を行い、週末の授業で補習する。柔軟に使える教育銀行口座の例もある。米国のいくつかの都市は、生涯学習クレジットを導入し、仕事を持つ労働者の学習や再訓練費用の二〇%を州が支払っている。こうした手立ては、高齢者の仕事継続という大事な課題にとりわけ重要であることがわかっている。

子どもへの投資はとくに大事である。子どもの貧困だけでなく、その能力形成に幼少期がいかに肝要であるかが、研究の蓄積により明らかになったからだ。社会生活の他の領域と同じように、子どものありようは変わりつつある。先進国では今や、「かけがえのない子ども」の時代である。子どもたちは今もなお、「やって来る」ものだ。しかし、どんな収入水準であれ、ほとんどの親にとって、子どもを持つと決めたら、それだけですむ。かつては当たり前だった一〇代の妊娠がここまで脅威と捉えられている理由の一つがここにある。結婚の平均年齢が一世代前よりずいぶん高くなり、避妊が簡単にでき、そして意識的な決断によって子どもは持つものと広くみなされている。だから、「妊娠した」一〇代はタブーを犯していることになる。彼女はおそらく貧しい身の上で、両親やパートナーの援助もなく、生活の苦闘は避けがたい。

過去二〇~三〇年の間に多くの女性が労働市場に参入したことは、貧困の力学に大きく影響した。家庭に二人の稼ぎ手がいれば、子どもの有無にかかわらず、ほとんど貧困にならない。概して女性は男性より転職が多く、それが生涯にわたる貧困パターンに影響している。子どもの貧困削減政策は、その世帯と子育てのありようをよく見て決めるべきだ。子どもが貧困になる傾向は、全員無職の世帯で最も高く、親が二人であろうとなかろうと、稼ぎ手が二人だけの世帯が次に続く。ほとんどのEU諸国は、保育スペースについて、二〇一○年のバルセロナ目標を達成していない。

三歳から義務教育開始年齢までの子どもの少なくとも九〇%、三歳以下の子どもの三三%が託児所に通えるようにするのが目標である。しかし、公に提供されない限り、子育て支援は貧困抑制に役立つよりも、むしろ貧困を際立たせる。大半のEU諸国で、最も所得の多い世帯が、保育サービスも一番よく利用している。

景気後退と高い失業率に見舞われるヨーロッパで、何らかの救済措置が取られなければ、貧困と不平等の双方が増えるのは必至だ。EU統計局の最新指標によれば、二〇一一年のヨーロッパ人口の二四%に「貧困もしくは社会的排除に陥る危険」があった。いわゆるAROPE(at risk of poverty or social exclusion)値である。この用語の定義は、その年の貧困線以下となるリスクがある人、「深刻な物質的欠乏」状態にある人、そして安定した仕事についている者が世帯の中にいない人によって定められる。AROPE値は加盟国間で大きく異なる。EUの最高値はブルガリアの四九%、続いてルーマニアとラトビアの約四〇%だ。ギリシャは三〇%となっている。優良国すら値はかなり高く、例えばドイツ、オーストリアそしてオランダで約一六%だ。

東部および南部の国々でとくに貧困が急増しそうなのは、明らかに危うい。裕福な国に比べると大半がひ弱い福祉制度しか持たず、今やそれすら解体の危機にある。給付金が削られて、個人や家族はどんどん無防備になる。社会問題担当欧州委員のラースロー・アンドルが的確に述べたように、今の傾向が続けば。仕事のない者は「巨大な貧困の罠」にはまりかねない。
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欧州社会モデル(ESM)

『揺れる大欧州』より 社会モデルはもうなくなったのか

実際の欧州社会モデル(ESM)は、その表現で示されるよりもっと捉えどころのないものである。うまい言い方がある。ESMは、完全にヨーロッパ的だとは言えない、完全に社会的でもない、単一のモデルでもない。もし、大衆教育や健康保険を提供し、失業者や弱者を守ろうとする国家機関のことを指すならば、そんな機関は米国など、すべての先進国にある。ESMが完全に「社会的」だと言い切れないのは、経済的繁栄、そして、富める者から貧しい者への経済再分配に、究極のところで依存しているからだ。ESMが単一のモデルと言えないのは、福祉制度の種類、不平等の水準、その他多くの特質において、それぞれのEU諸国間に大きな隔たりがあるからだ。

ESMは多様な面を持つが、EUの多くの領域と同じく、再構築と改革を必要としている。約一五年前にまで話をさかのぼろう。多くの人たち同様、私は、福祉国家を初めて築いた戦後初期とかなり異なる現代社会状況の下で、福祉国家はどうなるべきかを考え始めた。やや重要な補足を加えれば、そのとき私が作り上げた枠組みは今日でも十分通用するに違いない。ウィリアム・ベバリッジのような戦後福祉国家の創設者たちは、福祉制度と富の創造の関係について深く考えなかった。今日、これらの関係が中核的だと考えなければならない。福祉国家は、社会的投資国家に変貌すべきである。

社会的投資国家とは、富の創造を扱うのであって、ものごとがうまくいかなくなってから事態を収拾するべく汲々とする制度ではない。社会的投資国家は、「否定的」から「肯定的」な福祉へと移行する。べバリッジは、以前から存在する社会経済的な弊害を正すと訴えた。無知、不潔、窮乏、怠惰、そして疾病という「五大悪」に対抗する必要性を、彼はとりわけ強調した。これらの悪を肯定的なもの、すなわち追い求めるべき強い願望へと転換するのが今日の課題なのだ。言い換えれば、教育と技術、繁栄、積極的な人生の選択、社会や経済への参加、そして健康で充実したライフスタイルの追求を促すことが大切だ。

ベバリッジは、彼の有名な後継者T・H・マーシャルがそうだったように、権利面に思考をすべて集中させた。今日、福祉は権利のみならず市民の側の義務も前提にしていることを認めねばならない。義務は、多少なりとも拘束力によって強いるべきもので、それは奨励策でも、より懲罰的な方法でもかまわない。例えば失業手当は、昔は主に権利とみなされたが、結果は程度の差こそあれ逆の効果を生んだ。「福祉依存」は、実際にある現象だ。福祉を受ける者が二定期間を過ぎれば仕事を探すとか訓練に従事することを義務づける。そうした能動的な労働市場政策の導入によって、失業者を減らせることがわかっている。

伝統的な福祉国家はリスク管理の仕組みだった。人が自分では対処できない、例えば健康や仕事、個人的事情のリスクに保険を提供するのだ。リスクを最小限に抑えることが肝要であり、それが「安全」だと定義される。しかし、私たちが前向きに人生のチャンスを考える時、リスクはもっとニュアンスに富み、微妙な観念である。とくに急速に変化する世界でリスクを取ることは、明らかに多くの場合、肯定的な面を持っている。

機会とリスクとの複雑な関係に戻って考えてみよう。リスクを減らしたり避けようとしたりするより、積極的に受け入れることで、安全はしばしばより強化される。こうした意見は、起業家にも多くの労働者にもあてはまる。「フレキシキュリティ」の概念は、まさにこの相互作用を捉えようとする試みである。

多くの執筆者、とくに政治的左派の人々は、福祉国家を「非商品化」という観点から考えてきた。そもそも市場本位の経済では、通貨、価格、そして利益が、必然的に人生の最も多くの面で支配的な役割を持つ。言い換えるなら、ものや人間の労働力も売買される商品である。福祉国家は、これと異なる場をつくり出し、別の価値観が花開く。だから、市場原理が関わると、その本質的特性が傷つくのだという。だが、そんなふうに区別しても助けにならない。例えば、職場は経済的思考に支配されているかもしれないが、多くの他の価値もそこに関われるし、また関わるべきである。

単調な仕事の場合ですら、多くの人は、仕事から生まれる収入そのものより、そこから得る満足を重視する。反対に、福祉国家が提供する多くのサービスは「無料」かもしれないが、それはいつも、「引き渡し時に無料」であることを意味している。つまり、くだんのサービス利用者には無料で提供されるということだ。言うまでもなく、福祉国家は必要な代金を支払ってもらわなければならない。利用時に「無料」だとしても、制度利用者は通常、無料ではない。その人は自らが払う税金によって費用の一部を負担している。

今日の状況では、税の支払いに加え、福祉制度の利用者による直接的な拠出もなされるべきだ。「無料」サービスは、高貴な理想を具現化しているが、よく知られる困難に陥りやすい。サービスは乱用され、過小評価されがちで、時として制度劣化の悪循環を生む。比較的小さな額であったとしても直接的拠出によって、こうした問題は抑えられる。サービス利用に対する責任ある態度を促し、貧困者に受給を躊躇させる抑止効果が生まれることもない。不平等を減らすためにつくられた制度が、こうでもしなければ、結局はそれをつくり出しかねない。

対応策が二重になる傾向が出てきており、そこでは裕福な者は単に離脱する。つまり、医療、教育、その他の分野で、私的給付と公的給付に分かれ、支払う余裕のある者たちは、一般社会とは異なる高水準の手当や支援を享受する。だから拠出原則、つまり利用者からの直接的拠出を、とくに現状ではもっと普及させなければならない。作られた不平等を最小化することを改革の主目的の一つに置くべきだ。離脱可能な人々を公的サービスの大きな傘の中に引きとめることは、貧困層にいる人々を置き去りにしない状況を作るのと同じくらい大切なことだ。

社会正義が、社会的投資国家でも基本であることに変わりはない。しかし、将来への投資は、事後の再分配と同じくらい、不平等是正のために重要であろう。例えば、教育面で成功するかどうかは、幼児期に何か起きたかにしばしば左右されることがわかっている。

不利な状況から子どもを救うための先行投資が、ここでは極めて重要になる。最上位階層もまさしく同じだ。前章で述べたように、不平等は、EU諸国をはじめ、ほとんどの先進国で過去二〇年ほどの間に急拡大した。その多くは、少数のエリートによって蓄積された驚くほど膨大な収入の結果だ。このような不平等は、単に税制によって是正できはしない。それを生み出した経済秩序への積極介入によってのみ縮小できる。

福祉国家の改革、もしくは社会的投資国家への転換には、問題になっている「国家」に注意を払う必要がある。先に引用した「先生、先生!」ジョークのように、伝統的な福祉国家は、個人を受け身の国民として扱いがちだった。

失業登録した人は、お役人に見下され、冷淡に扱われかねない。国家という制度は、巨大な官僚制になる傾向があり、官僚の関心や懸念は、本来仕えるべき市民から遠くかけ離れがちである。利用者の権限強化と、政策決定の分散化が論じられるべきだ。こうした過程は民営化などとはっきり区別すべきである。人的および社会関係資本を育てることは、福祉制度の鍵を握る部分であるし、そうなるべきだ。幼い子どもが学校に行く権利から高等教育や生涯学習までの幅広い教育改革が基本となる。人的および社会関係資本は、積極的な社会参加だけでなく、労働市場での成功にとっても重要だ。だから、社会的投資国家は、伝統的な福祉国家以上に、介入主義を取らねばならない。
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図書館と絵本

『絵本と社会』より

「指定管理者制度は導入しない」「厳しい財政状況でも、図書館への優先順位を下げては断じてなりません」と宣言して活動し、全国的にも高い評価を得る伊万里市民図霞館。スターバックスコーヒーや蔦屋書店が併設され、図書館を利用するとポィントが付与される制度を導入して視察やメディアの取材が相次ぐ武雄市図書館。伊万里市民民図書館は利用登録数が市民の5割を超える。その秘密は子どもたちの読書にあった。ブックスタートを導入し、家族で同じ本を読む「家読」(うちどく)活動に収り組んで成果を上げ「文字・活字文化推進大賞」を受賞、市は2010年には「子ども読書のまち」宣言を行った。一方、武雄市図書館は、図書館を官民連携によりおしゃれな知的集客施設に変えた先駆的事例として全国の公共図書館の見直しに一石を投じた(『つながる図書館』猪谷千香/ちくま新書/2014)。ともに佐賀県にあり、車なら30分で行き来できると注目を集める二つの対照的な図書館、どちらの道を選択するかはそれぞれの自治体と市民が決めることだが、公共図書館の今後を占う注視すべき動向である。

図書館は、図書、雑誌、視聴覚資料、点字資料、録音資料などを収集・整理、保存し、利用者に提供し、併せて行事の実施や図書館利用の指導を行う施設であり、サービス対象別に国立図書館、公立図書館、大学図書館、学校図書館、専門図書館、その他の図書館に分類される。「図書館法」(1950年制定)により、公共図書館のサービスが明確に定義されたが、図書館サービスが十分に行われるようになったのは『中小都市における公共図書館の運営』(略称・『中小レポート』、日本図書館協会、1963年)からであり、現在の図書館サービスの基本となっているのは「中小レポート」を整理、発展させ公共図書館の新しいモデルを提示した『市民の図書館』(同協会、1970年)からだとされる。そこで示された公共図書館の具体的なサービスは、(1)市民の求める図書を自由に気軽に貸し出すこと、(2)児童の要求にこたえ、徹底して児童サービスすること、(3)あらゆる人々に図書を貸出し、図書館を市民の身近に置くために、全域にサービス網をはりめぐらせることであった。これによって市区町村立図書館は大幅に増え、貸出点数も飛躍的に増加した。

公共図書館の児童サービスの目的は、(1)子どもと本を結びつけ、読書の楽しみを伝えること、(2)子どもたちが必要な情報にアクセスすることができるようにすること、(3)図書館の使い方を指導することである(|『児童サービスの歴史』汐崎順子/創元社/2007年)。本来「児童」は、7歳から12歳までの小学生をさすが,2000年の「子ども読書年」の制定,2001年のブックスタートの開始により、0歳児をサービスの対象とすることが一般的になり、現在ではO歳から12歳くらいまでの乳児、幼児、児童とその保護者を対象とし、さらに児童資料を利用する学生や研究者など一般成人や、児プ礒関連機関の人々を対象とすると定義されている。図書館における児童登録者数の割合(児童登録率)は, 1965年以降着実に増えている。これは、公共図書館の増加に加えて、公共図書館が児童サービスに力を入れてきた成果だといえる。

戦後の児童サービスの歩みは、「選書」をめぐる論争の歴史でもあった。1960年代は石井桃子らによって紹介された(『児童文学論』リリアン・H・スミス/岩波書店/1964年)古典に基準を置いて本の評価を行い、質の高い優れた図書を選書し、その中から子どもに自由に選ばせるという考え方が支配的であった。しかし、「市民の図書館」が市民の求める図書を貸し出すことが図書館の当面の重点目標であるとして以降、絵本を含む児童図書も子どもの要求に従って人気の絵本を購入するようになった。そのため、貸出冊数のみに目を奪われ、良書を子どもに手渡す働きかけが弱まる結果を招いた。現在は子どもの要求や貸出回数を重視する図書館と、質の高い優れた絵本を収集し提供しようとする図書館の二極化の傾向が見られる。前者は「優れた絵本というのは、大人の自己満足であって、読まれなければ何の意味もない」と主張し、後者は「子どもや保護者が絵本の優劣を見分けることは簡単ではなく、経験豊富な司書によって選ばれた優れた絵本のなかから保護者や子どもが自由に選ぶのが望ましい」と主張する。トロントの「少年少女の家」で日本人でただひとり司書を経験した桂宥子は、『理想の児童図書館を求めて』(中公新書/1997)で、子どもと良書の橋渡しをするプロの児童図書館員や司書が大切であること、図書選択こそ児童図書館員の最も重要な仕事であり、公共図書館の厳しい選択が児童出版界の質的向上につながることを強調している.

90年代以降子どもと読書をとりまく動きが活発になった。政府は「子ども読書年」制定を機に、「読み聞かせキャンペーン」をマスメディアを使って展開した。2001年,には「子ども夢基金」が創設され、民間団体が行う子どもの読書活動への助成を開始した。2002年には、初の国立の子ども図書館「国際子ども図書館」が全面開館。2003年には,都道府県や市町村で「子ども読書活動推進計画」が策定され、この計画のもとで図書館、学校、地域団体が連携して子どもの読書に関する取り組みを行った結果、不読率が減少し平均読書冊数が増加している(『公共図書館児童サービス実態調査報告2003』日本図書館協会、2004年)。

たとえば、世田谷区ではすべての小学校で保護者やボランティアによるおはなし会が行われており、図書館と文学館の共催による研修プログラム「学校おはなしボランティア養成講座」(5日間)、経験者のための「ステップアップ講座」(3日間)、関係者が事例報告を基に話し合う場、「子ども読書推進フォーラム」を2006年から毎年実施している(子ども読書の現状と、絵本を中心とした読書推進計画の具体的な収り組みを東京・世田谷区と三鷹市の事例を中心に報告。「子ども読書と絵本再考」生田美秋/『現代の図書館』2008.3)。同様の取り組みは全国の自治体でも実施されている。

この一連の動きの背景には、2003年のOECD生徒の学習到達度調査(PISΛ)において日本の子どもの読解力が41か国中14位に低迷したことがある。文部科学省は2005年までの「読解力向上プログラム」を作成、さらに学習指導要領の改訂を行い、子ども読書の推進と国語力の向上に取り組み、次の調査では読解力の順位は上がり、文部科学省の取り組みは功を奏した形となったが、調査は学力低下以上に深刻な問題として、学びを拒絶し、学びから逃走する子どもたちの急増(「趣味としての読書をしない」小学生が53%を占め、OECD参加国中、最も多い)という現実を明らかにした。

指定管理者制度の導入やコンピューター化による運営の合理化が急速に進み、絵本の選書や児童サービスを行う図書館司書資格を有する職員がいなくなることへの危惧が深刻になってきた。絵本の場合、広い見地から優れた作品を選び、子どもや保護者からの質問に適切に対応できるようになるためには豊富な経験が必要である。また、子どもの読書を支える場として家庭、公共図書館と並んで学校図書館の充実が課題となっており、司書教諭と常勤の学校図書館担当職員の配置による活性化が急務である。

冒頭に紹介した公共図書館を町づくりの中核施設、情報拠点として見直す動きと並行して、全国各地に「子ども図書館」「絵本図書館」が誕生し始めている。子どもと読書への理解が浸透し、人間形成の基礎を培う乳幼児期に絵本に親しみ、楽しむ環境づくりを行うことが重要であるとして、ブックスタートの実施自治体の拡大と並んで全国的に見られる動きである。新設の「子ども図書館」「絵本図書館」は、図書館であると同時に子育て支援の場と位置づけられているところに特徴があり、司書と共に保育士を配置している所もある。2016年には高崎市の子ども図書館、札幌市の絵本図書館のオープンが予定されている。
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未唯配置から未唯空間への接続 外なる世界

M.1 社会

 M.1.1 社会構造 ⇒ 1.3.4 社会構造
  3.2.1 社会を知る
  3.2.2 行政を知る
  5.6.1 社会はどう変わる

 M.1.2 多様化 ⇒ 4.1.4 多様化
  3.1.2 社会の動き
  3.1.3 社会の情報
  7.5.2 情報を得る
  8.4.2 ライブラリ

 M.1.3 地域 ⇒ 3.4 地域配置
  1.6.2 社会へ発信
  3.2.4 地域の課題
  9.1.3 地域の循環系
  9.4.2 内部の方針

 M.1.4 幸せな社会 ⇒ 1.8.3 幸せを実現
  3.8.4 サファイア社会
  4.4.1 多くの人の幸せ
  9.2.1 地域は多様
  10.1.1 多くの人がいる

M.2 国家

 M.2.1 国民国家 ⇒ 4.2.2 国民国家
  4.3.2 戦争と平和
  4.6.2 国家による自由
  4.7.4 国家連合
  4.8.2 地域と超国家

 M.2.2 政治形態 ⇒ 4.3.4 政治形態
  4.1.2 共産主義
  9.6.3 超・資本主義

 M.2.3 民主主義 ⇒ 4.1 民主主義
  4.1.1 全体主義
  4.3.1 国に対する意識
  9.6.4 超・民主主義

 M.2.4 合意形成 ⇒ 3.7.4 合意形成
  6.6.4 意思決定
  9.2.4 統合としての政治
  9.5.4 勇気づける

M.3 サファイア

 M.3.1 空間モデル ⇒ 2.2 空間モデル
  3.3.1 ハメリンナモデル
  5.1.4 数学を生かす
  9.5.2 循環モデル

 M.3.2 ファイア理論 ⇒ 2.5 サファイア理論
  9.5.1 4つの機能
  9.6.2 内部の制御

 M.3.3 サファイア循環 ⇒ 9.4 サファイア循環
  2.2.4 思考と行動
  2.4.1 部分から全体
  4.3.3 地域と国
  9.5.3 機能を具体化

 M.3.4 新しい数学 ⇒ 2.7 新しい数学
  2.2.2 トポロジー思考
  2.7.2 集合が点
  2.7.4 内から外を作る

M.4 情報共有

 M.4.1 ソーシャル ⇒ 8.4 ソーシャル
  3.7.3 ソーシャルネット
  5.3.1 ネットワーク

 M.4.2 ポータル ⇒ 3.7.2 ポータル
  6.5.1 ポータル
  8.5.3 ストック情報
  8.5.4 データベース
  8.6.3 内部の構造

 M.4.3 コラボ ⇒ 6.5.2 コラボ
  5.3.3 チーム活動
  5.4.1 お客様情報
  8.6.4 内部のまとまり

 M.4.4 状況把握 ⇒ 3.5.2 状況把握
  5.4.2 状況把握
  8.1.2 状況を把握
  8.2.1 クルマ状況
  10.4.1 状況把握

M.5 コミュニティ

 M.5.1 地域配置 ⇒ 3.4 地域配置
  3.4.2 静脈系が前へ
  5.4.3 地域を支援
  8.3.1 中間をまとめる
  8.3.4 地域から循環

 M.5.2 中間配置 ⇒ 3.5 中間配置
  8.3.3 中間が課題解決
  9.2.2 コミュニティ対応
  9.7.2 地域インフラ
  10.1.4 生きられる

 M.5.3 まとめる ⇒ 8.7 まとめる
  3.5.1 知識と意識
  3.8.2 地域のまとまり
  8.3.2 地域をまとめる
  8.7.3 統合への接点

 M.5.4 知の世界 ⇒ 7.6.4 知の世界
  6.7.4 知の共有

M.6 システム設計

 M.6.1 パートナー ⇒ 5.6.3 パートナー
  6.4.1 先を知る
  8.2.2 中間が前面対応

 M.6.2 要望 ⇒ 8.1 要望
  1.2.2 夢を聴く
  5.1.3 夢をカタチに
  5.6.2 要望を聴く
  8.1.3 システムを提供

 M.6.3 システム構成 ⇒ 5.5 システム構成
  5.5.3 コンテンツ系
  5.5.4 意思決定系
  8.1.3 システムを提供
  8.4.1 コミュニティ

 M.6.4 システム設計 ⇒ 8.5 システム設計
  2.4.4 システム設計
  5.1.1 3部門+全般
  5.1.2 システム設計
  8.7.2 つなぐもの

M.7 持続可能性

 M.7.1 日本型循環 ⇒ 4.7.1 日本型循環
  1.7.4 持続可能な社会
  4.7.3 国を変える
  9.8.2 存在の力の社会
  10.2.3 哲学を変える

 M.7.2 教育を変える ⇒  6.4.4 教育を変える6.6.2 学ぶということ
  6.8.4 知のカプセル

 M.7.3 仕事を変える ⇒ 5.8.2 仕事を変える
  4.7.2 企業を変える
  9.7.3 企業のあり方
  9.8.4 高度サービス
  10.2.2 生きていく力

 M.7.4 家庭を変える ⇒ 7.6.2 家庭を変える
  3.1.1 生活視点
  7.3.3 家庭の生き方
  8.2.2 マーケティング
  9.8.1 シェア社会

M.8 環境社会

 M.8.1 グローバル化 ⇒ 9.3 グローバル化
  4.1.3 グローバル化

 M.8.2 地域インフラ ⇒ 3.6 地域インフラ
  3.6.3 地域インフラ
  4.8.2 市民と国家

 M.8.3 環境社会 ⇒ 9.8 環境社会
  2.6.2 環境社会
  9.3.3 超国家

 M.8.4 クルマ社会 ⇒ 8.8 クルマ社会
  8.2.4 クルマを活かす
  8.8.3 地域を統合
  8.8.4 クルマ社会
  10.3.4 循環が始まる
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月末の新刊書は少なすぎる

スケジュールをキッチリと

 スタバでやることを決めておきましょう。そうしないと、どうしても道草が多くなります。その為にはやはり、スケジュールですね。それとやはり、散歩です。歩かないといけない。それと朝の起床。

月末の新刊書は少なすぎる

 豊田市図書館の月末の新刊書はひどいですね。ほとんど、本がない。だから、がんばって、25冊だけ借りました。こういう時に意外な本があるもんですけど。

 「存在と時間2」が出てこない。何時出るのかな。訳者は亡くなっているから、順番の発行するだけだけなのに。これ一冊、あれば、雰囲気はかなり違う。

 それよりも、入院中に読む時間つもりだったけど、未唯配置の方に気がとられてしまった。読む時間を入れたら、かなり、時間的には足りなくなります。

 『リーマン予想とはなにか』を返す時の会話:「やはり、難しいので、リーマンはよそう」
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