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OCR化した6冊

『個店の魅力発見ツアー実践マニュアル』

 「個店ツアー」を手掛けてみよう

 「個店ツアー」とはどのような取り組みか

  個店を回る体験型イベント

  参加人数は5~8名程度が適切

  ツアーガイドが引率

 個店ツアーを実施するメリット

  自店の存在、特徴を知ってもらえる

  顧客になってくれる

  口コミで広げてもらえる

  来店者の声を聞くことができる

  店主さん自らの研鎖にも役立つ

  個店同士が連携できる

 個店ツアーのデメリット

  自店の評価が低い場合、かえって生活者を遠ざけることもある

  必ずしも自店にフィットした参加者が訪れるわけではない

  自店が否定されるような生の声が出されることもある

『読み切り 世界文学』

 戦争と平和

  ピエールとアンドレイ

  それぞれの離別

  ナターシャの婚約

  長すぎた春

  壊れた関係

  戦場となったモスクワ

  ピエールのさとり

 解説

  世界の文豪トルストイ

  作家の誕生

  トルストイの回心

  晩年

  人生の師

  トルストイの歴史哲学

  ダメ男こそ幸せ

  なるようになるさ

 カラマーゾフの兄弟

  カラマーゾフの三兄弟

  そしてもうひとり

  ミーチャの恋

  父殺し

  犯人は誰だ

  イヴァン

  アリョーシャ

  スメルジャコフ

  公判のゆくえ

 解説

  波乱に満ちた生涯

  これぞ小説家

  根源的な物語

  人類の縮図

  衰弱する神

  僕は神になるために自殺する

  イヴァンの無神論

  愛による世界の救済

  あなたはなぜ殺人を犯さないのか?

『料理の裏ワザ・基本ワザ大全』

 美味しいネタのおさらい帖

『世界史を動かした思想家たちの格闘』

 暴走する「世界最初の民主主義」

 アメリカはなぜ「正戦」を続けるのか?

 デカルトの衝撃

『地方創生を考える』

 地方創生の糸口

 少子化対策

  優先順位

  雇用が第一

 コンパクトシティー

  税収の確保

  更新コスト

 自治体連携

  協定で担保

  CCRC(Continuing Care Trtirement Cimmunty)

  多様な自治

 暮らしを支える

  生きがい

  発想の転換

  法人格の付与

 公立大学の役割

  押し売り

  地域のプロ

  奨学金優遇

 NPOの役割

  ブランド化

  創造的過疎

  解決力

 産業観光

  逆転の発想

  非日常

  オンリーワン資源の活用

 スポーツ観光

  専門組織

  実動部隊

 外国人観光客

  アジア唯一

  富裕層

  ルート開発

 自治体アピール

  頼みの綱

  かわいい

  武将ブーム

 環境協力

  成功の象徴

  長い目で

  互恵

『ビジュアル版 コンピューター&テクノロジー解体新書』

 今後の展望

 量子

 量子ドット

 ディープラーニング

 グラフェン

 3D印刷
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コンピューター&テクノロジーの今後の展望

『ビジュアル版 コンピューター&テクノロジー解体新書』より

1967年のことです。IBM社がフロッピーディスクを発明し、プログラミング言語Pascalが初めて使われ、ビデオゲームのPongが開発された年です。MIT(マサチューセッツ工科大学)のマービン・ミンスキー教授が「一世代のうちに(中略)人工知能の作成にかかわる問題はおおむね解決するだろう」と述べました。映画館では、『卒業』が上映されていました。若き日のダスティン・ホフマンが、世の中に居場所が見つからない、大学を卒業したての青年を演じていました。彼の両親が開いたパーティーで、来客の一人がホフマンを脇に呼び寄せて、成功のためのヒントを一言だけ彼に与えます。「プラスチックだ」と。

プラスチックはその後急速に普及しました。47年後の今、大人たちは社会に出ようとする若者に何と耳打ちするでしょう? 私にはいくつか心当たりがあります。後で教えてあげましょう。ただし、それらはコンピューティングの過去の進化から未来を類推したものに過ぎません。そしてもちろん、未来を予測できることはめったにありません。予測について私が常に感じている唯一の真実は、後から振り返ればだれも予測しなかったことが起きているということです。高くておしゃれなコーヒーショップが至るところにできること、新品のデザイナージーンズが、ひざに穴の空いた状態で売られること、ざくろマティーニ。

いったいだれが予測できたでしょう。

さて、運命がとても気まぐれだという警告はしましたので、これから成功のための言葉をお教えしましょう。最初は…

量子物理学という言葉は聞いたことがあると思いますが、理解はしていないでしょう。みんなそうです。だからこそ、これほど将来への期待がかかっているのです。また、量子の活動の場が物質と時間を形作るきわめて小さな世界であることも理由の1つです。「最初から参加することで有利な立場を占めよう」というわけです。

無限の可能性を示唆する量子物理学のもう1つの側面は、たとえ量子物理学の仕組みを十分に理解していなくても、コンピューターやその他のテクノロジーを問題なく使えるということです。原子レベルでは何も確信できないということは原子の基本ですが、よくわかっていないことの1つです。これはあまりに基本的なことなので、不確定性原理という名前が付いています。意味はだいたい以下のとおりです。ある原子の電子の位置とその移動速度を同時に知ることはできません。電子を観測するには、何らかの力、通常は電磁波を電子に当てて、得られる結果を確認する以外にありません。しかし、量子の世界で粒子に何かを当てると、どのみち粒子を軽く押すことになり、粒子は同じ位置にとどまらないか、移動速度も変わってしまいます。

量子力学では、電子はどこにでもあり得ると考えます。予想通り原子核の周囲をふらつき回っているかもしれす、土星の衛星タイタンの地下深くに埋め込まれているかもしれません。私たちにできるのは、電子がどこかにある確率を計算することだけです。(タイタンにある確率は最も低いと思われますが、私は数学者ではありません。)マイクロチップでは、電子の気まぐれな性質を利用してデータを格納します。トランジス夕内の電荷が変わると、通常は通り抜けられる可能性の低い壁の向こう側に、一部の電子が辿り着く確率が上がります。どうやって辿り着くかはだれも言いませんが、辿り着くことはほぼ間違いありません。電荷を取り除くと、電子が再び壁を通り抜けて元の場所に戻る確率は急激に低下します。たとえ電源をオフにしても電子は捕らわれているので、フラッシュメモリとして利用できます。

コンピューターで利用される可能性のある量子のもう1つの性質が、量子もつれ、つまりアインシュタインが"遠隔怪作用¨と呼んだものです。アインシュタインの疑念をよそに、科学者たちは、2つの電子がもつれ合うと(その方法はさまざまですが)、たとえ何光年離れていても瞬時に互いの状態に影響を与えることを実証しました。1つの電子が時計方向に、もう1つの電子が反時計方向に回転している場合、最初の電子の回転を反時計方向に変えると、2番目の電子は自ら反転して時計方向に回転するようになります。

この怪作用は瞬時に起きるので、電気や光で別の場所に情報を送信するためにかかる時間が不要になります。怪作用を利用した通信は既にPCで実演されています。量子もつれは、電波が最初に発見されたときと同じ段階にあります。電波がテレビ、衛星通信、携帯電話、レーダー、それに車庫の自動開閉装置に進化するにはしばらく時間がかかりました。若き卒業生の方、量子もつれに手を出すなら今のうちです。

量子もつれは、量子の聖杯である量子コンピューターで役割を果たしています。量子コンピューターでは、1か○のどちらかの値を持つ通常のビットは使われません。代わりに使われるのがキュービット(量子ビット)です。キュービットでは1、○、または1と○を重ね合わせた状態を表すことで、1、○、およびその間のすべての値を同時に表すことができます。コンピューターのキュービットの数が増えるにつれて、重ね合わせた状態の値の数は指数的に増加します。この性質を利用して、解読できないコードを即座に作成したり、複雑な問題を解決したりできます。しかし、キュービットの課題は、その値が何かを調べることにあります。キュービットを直接観測すると、事実上それらはビットになり、大量の潜在的データが失われます。

研究者たちは、量子もつれを量子の状態を読み取るためのツールと見なしています。一方が他方の状態を反映するようにキュービットをもつれ合わせることで、キュービットの特殊な状態を壊すことなく、遠隔地のキュービットの状態を観測してコンピューターのキュービットの値を調べることが可能になります。これを読んで頭痛がするのはあなた一人ではありません。

執筆時点では、この量子コンピューティングの仕組みがうまくいくかどうかについては全くわかりません。しかし、D-Wave Systemsという会社が、2015年までに量子コンピューターの実用化を計画しています。社外で時間をかけてコンピューターをテストした人間がいないため、この計画については懐疑的な声がいくつも上がっています。その一方でだれもが、いつかだれかが実際に動く量子コンピューターを考案すると信じています。
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地方創生の糸口 産業観光

『地方創生を考える』より 地方創生の糸口

観光客を引き付けるのは、神社や仏閣、大自然、テーマパーク、グルメだけでは決してない。魅力あるコンテンツとして、今「産業」が注目されている。事実、「産業観光」という呼び名も市民権を得たと言える。いったい、どのように育っているのだろうか。

逆転の発想

 兵庫県姫路市のシンボルは、優美な白壁の姿から「白鷺城」と呼ばれる世界遺産の姫路城である。その天守閣が、約五〇年ぶりとなる「平成の修理」で素屋根と呼ばれる建物に覆われ、外から一時見ることができなくなった。これによって、観光客が大幅に減るという危機感が募った。そんなとき、姫路市の担当者から「修理の現場を常時見せる。毎日変わる状況に興味をもち、繰り返し来る人もいるはずだ」という逆転の発想が出てきた。

 修理は、二〇〇九年の秋から約五年間にわたって行われた。このうち、素屋根の建設、解体の期間を除いた三年間は、素屋根の七、八階部分に設けた見学スペースからガラス越しに修理の様子を体感できるということになった。

 すべてを解体修理した「昭和の大修理」よりは小規模であったが、屋根瓦八万枚を外して屋根を修理したあとに瓦を葺き替えたり、白い漆喰で固めるといった作業が中心となった。「注目されることで職人への励みになる。次の修理に向け、瓦などの伝統産業を守ることにもつながる」と、先の担当者は語った。

 公開の結果は「吉」と出た。姫路城を訪れる観光客は年間七〇万~一〇〇万人で推移していた。修理直前には一五六万人に急増しだのだが、二〇一〇年度の見られなかった時期に限定すると二九万人に激減したという。それが、公開した二〇一一年度には六一万人まで回復したのだ。

 「二○一二年度はこれを上回った。入館料収入などで、見学施設の事業費一億二〇〇〇万円は賄える。人が来る波及効果を考えれば成功だ。瓦や仏壇など地場産業ツアーも検討している」という担当者の言葉に、姫路市の産業観光への夢は広がる。ご存じのように、姫路城は二〇一五年三月に平成の修理が終わり、天守閣にも再び登れるようになった。

 場所を関西から関東に移そう。京浜工業地帯にある「公害の街」として知られた川崎市も観光都市に「名乗り」を上げている。話題になっているのは「工場夜景」だ。点滅する光と炎は、刻々と表情を変えていく。この夜景を扱う写真集『工場萌え』(大山顕著、石井哲写真、東京書籍、二〇〇七年)が出たこともあり、ここ数年、静かなブームになっていた。

 これに目を付けた川崎市は、陸側からバス、海側から船によるモニターツアーを実施した。その結果を受けて、二〇一〇年からは民間ツアーもはじまっている。市は「工場夜景ナビゲーター」と名付けた観光ガイドも育成し、年間六〇〇〇人が訪れるまでに育っている。

 「次は、地元で食事や宿泊してほしい。何か名物が必要だ」と、川崎市は意気込んでいる。ただ、観光客が工場内に入ることには「安全上の問題もあり、企業側も慎重だ」と述べている。受け入札の環境整備をすることが次の課題となっているようだ。

非日常

 「一九七〇年代からCSR(企業の社会的な責任)を意識し、工場施設を公開するという企業の活動は多かった。今は、見せることを一つの観光事業として捉えはしめた。新しい段階に入った」と語ったのは、産業観光に詳しい日本観光振興協会の丁野朗総合研究所長である。

 その代表例が、年間約五〇万人が訪れている「うなぎパイファクトリー」(浜松市)や「タオル美術館ICHIHIRO」(愛媛県今治市)である。製造工程の一番面白いところを公開することによって、製品への興味を高めてもらい、購入につなげようという発想である。

 地場産業を見せる活動は、群馬県桐生市の織物、埼玉県川口市の鋳物など各地で広がっている。川崎市のような夜景ツアーは多くの工業都市が実施しているし、横浜赤レンガ倉庫(横浜市)、富岡製糸場(群馬県富岡市)など産業遺産を使った観光もかなり増えている。

 これらの状況について、丁野所長が次のように解説してくれた。「観光の原点は非日常にある。産業に人気があるのは、モノづくりが日常ではない現代を象徴している。多様な人の興味を満たすためには、地元の取り組みが重要になる」

オンリーワン資源の活用

 産業観光についての経済産業省のアンケート結果によると、横浜赤レンガ倉庫のような産業遺産を生かした大型商業施設も含めて、全国で約コー○○の施設に年間七一〇〇万人が訪れているという。観光形態の一つとして定着した、と評価できるだろう。

 施設公開による収益の状況でも、一割超の企業が、公開に要する費用と同程度か上回る収益を上げていると回答している。とくに「飲食料品、繊維工業」の企業では、その割合が三割近くに達している。

 企業が施設を公開するのは、製品をアピールしてブランドカを高めるという狙いもある。それだけに、半数近くは外国語表記のパンフレットや専任スタッフを置くなど、外国人の受け入れ態勢も整備している。

 地場産業や産業遺産など、その地域のオンリーワン資源を活用した観光は、地元の自治体や商工会議所などが主導して進めている。世界遺産のような有名な施設を別にすると、知名度や収容能力の関係から、大型バスで乗り付けるといった大手旅行会社によるマス観光には向かないからである。その半面、訪れる人の数が少なくても、地元の交通機関や宿泊施設を使って土産を買ってもらえれば収益を上げることも十分に期待できる。

 事業化し、安定して収益を上げるためには、体験や学びなども含めたコンテンツを開発し、産業観光地として名前を知られることが重要となる。さらに、地元で中心となって取り組む人材の育成、リピーターを囲い込むための新しい楽しみを継続的に打ち出すなど、地域による地道な活動が不可欠となる。
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アテネの衆愚政治とソクラテス

『世界史を動かした思想家たちの格闘』より 暴走する「世界最初の民主主義」

きちんとした教育を受けられなかったソクラテスにとって、アテネの広場が学校でした。そこで市民たちとの対話を繰り返し、相手の矛盾を突き、それまでの常識に疑念を生じさせる。この対話法によって多くのアテネ市民を敵に回すと同時に、若者たちの間に熱狂的な支持者を獲得していったようです。

けれども、時まさに衆愚政治の時代。ソクラテスはスパルタとの戦争を煽り立てるデマゴーグ達を疑い、例の海軍の司令官たちが処刑された裁判でも反対票を投じました。これはアテネの民会における多数派(民主派)の憎悪を掻き立てるのに十分でした。

弟子の1人のクリディアスは、衆愚政権と対立して国外へ逃亡し、スパルタ軍のアテネ占領を機に帰国したあとは、スパルタ占領軍と協力して「三十人僣主」と呼ばれる親スパルタ派の寡頭政権を樹立し、民主派に対する厳しい弾圧を行いました。

アテネの民衆は三十人僣主を嫌悪し、やがて民主派が蜂起して政権を奪回します。スパルタ王は、「親スパルタ派への報復をしない」という条件で、民主派の復権を容認しました。

しかしこの復活した民主政のもとでソクラテスは告発され、裁判にかけられたのです。ソクラテスは、親スパルタ派の精神的な指導者とみなされていたからです。

しかし「報復をしない」というスパルタ王との約束を守るため、民主派は彼を別の容疑で訴えました。「国家公認の神々を否定し、新しい神霊を導入して、青年たちを堕落させた」と。

この裁判については、弟子のプラトンが詳細な記録を残しています。『ソクラテスの弁明』という本です。この本のおかげで、2400年前の裁判の様子を知ることができます。

ソクラテスはまず、自分にかけられた容疑について、一つ一つこれを否定しました。

次に、自分は神々から使命を与えられていること、それはアテネ市民を目覚めさせ、正しい道へ進ませることであること、たとえていうなら動きの鈍い馬のようなアテネを目覚めさせるため、これを刺すアブのようなものであること、自分は祖国アテネのために戦った愛国者であること、どんな判決が下っても、自分は死を恐れて信念を曲げるようなことはしないこと、などを沿々と述べたのです。評決が下りました。500票中、361票の賛成で死刑が確定。

ソクラテスは弟子のプラトンらが勧める脱走をも拒否し、「悪法も法なり」と判決を受け入れ、毒ニンジンの汁を飲んで死にました。

 諸君、死を脱れることは困難ではない、むしろ悪を脱れることこそ遥かに困難なのである。それは死より疾く駆けるのだから。(中略)かくて今、私は諸君から死罪を宣告されて、しかし彼らは真理から賤劣と不正との罪を宣告されて、ここを退場する。私はこの判決に従おう、が彼らもまたそうせねばならぬ。恐らくそれはこうなるより外なかったのであろう。そうして私はこれで結構なのだと思う。 (『ソクラテスの弁明』)

師ソクラテスの最期に衝撃を受けたプラトンは、アテネ民主政治に絶望し、諸国を放浪したあとアテネ城外の「アカデモスの森」に私塾を開きました。これがアカデメイアです。英語のアカデミ(学会)、アカデミック(学問的な)の語源です。

実はソクラテスは著作を残さなかったのです。ソクラテスの思想はすべて、弟子のプラトンの多くの著書を通してのみ知ることができます。また、プラトンは自らの思想をソクラテスと弟子たちと対話という形式(対話篇)で語りました。

プラトンはこの醜い現実の世界を、神々がつくった理想世界(イデア界)が地上に投影された不完全な影と見なします。

かつてイデア界に住んでいた人間の魂は、いまは地上に縛り付けられている。しかし人間は理性を働かせてイデアを直観し、何か真理かを見極めることができる。この理性に従って生きる人間こそソクラテスのような哲学者(哲人)であり、感情に支配されて生きる民衆は、哲人の指導を受けるべきだ、とプラトンは考えました。

理性は人間のアタマに宿り、カラダは感情のままに動く。アタマがカラダを統御するから人間なのであって、カラダがすべてを支配するのでは動物と同じです。同様に、哲人が民衆を統御するのが理想国家であって、民衆が統御する国家は迷走する。これがアテネ民主政である、と説いたわけです。「哲学者たちが国々において王となって統治するのでないかぎり」とぼくは言った、「あるいは、現在王と呼ばれ、権力者と呼ばれている人たちが、真実にかつじゅうぶんに哲学するのでないかぎり、すなわち政治的権力と哲学的精神とが一体化され(中略)ないかぎり、(中略)国々にとって不幸のやむときはないし、また人類にとっても同様だとぼくは思う。」 (プラトン『国家』)

その通りです。プラトンは、ソクラテス裁判という苦い経験から民主政治に絶望し、哲人王による独裁を夢見たわけです。彼はこの「哲人国家」を実現すべく、シチリア島の有カポリスだったシラクサに招かれ、若き僣主ディオニュシオス2世を理想の君主にしようと期待します。しかしディオニュシオスは凡庸な人物で、自分の権威を高めるためにギリシアの学者を宮廷に置きたかっただけでした。プラトンは失望してシラクサを去ります。「哲人政治」は実現しなかったのです。

プラトン最後の著作『法律』では、ペルシア君主政の衰退とアテネ民主政の崩壊を比較し、専制と自由の両極を避け、君主政と民主政の混合政体を求める立場に変わっていきます。

理想を求め続けて挫折したプラトンに対し、現実主義者だった弟子アリストテレスは、世界のさまざまな国家体制を比較分類して『政治学』にまとめました。一人の支配・少数の支配・多数の支配という3分類に加え、公益のための支配・私益のための支配という2分類を設定し、以下の6種類の国家体制に分類したのです。

プラトンのもとを離れたアリストテレスは、新興の大国マケドニアの王フィリッポス2世に招かれ、13歳の王子アレクサンドロスの家庭教師として雇われました。やがて父王の暗殺により20歳で即位したアレクサンドロスがペルシア帝国を征服してギリシアとオリエントを統一します。遠征に費やされた彼の人生は32年で終わってしまいましたが、彼がもっと長く生きていたら、理想国家が実現したでしょうか?

プラトンが最晩年に理想とした混合政体をある程度、実現したのがローマでした。王のごとき執政官、貴族会議の元老院、民主政治を実現する平民会がそれぞれを牽制しつつ権力を分散--でもこれって、独裁を認めるって話になりませんか。ローマ共和国の統治形態は、のちに三権分立と呼ばれるものに近かったのです。

しかし都市国家として出発したローマがイタリア半島を統一し、最終的には地中海全域を統合する大帝国に成長していくと、民会に全市民が集まって合議する、というスタイルは通用しなくなっていきます。
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テーマから未唯配置

テーマはキーワード空間

 未唯宇宙をテーマから見てみましょう。かなり言葉を変えないといけません。未唯空間とテーマをフリップフラップで進めていくカタチになります。テーマはキーワード空間です。

テーマは空間配置

 未唯空間はハイアラキーで考えてきたけど、テーマは空間配置です。まず、テーマありきで考えれば済みます。よくわからないけど、これを寝る前と起きた時の習慣にしましょう。その時のタブレットは、あくまでも「紙」です。

テーマから未唯配置

 テーマの名前は悪いけど、「未唯配置」にします。インスピレーションでテキスト版を作ります。特徴としては、実体がこの中にはないということです。あくまでも配置です。実体は未唯空間側に持ちます。ただし、それを超えます。

 未唯配置の大分類

  物理層

   社会との関わり

   サファイア

   未唯空間

   システム設計

   コミュニティ

   政治形態

   持続可能な循環

   環境社会

  論理層

   存在と無

   存在の力

   内なる世界

   情報共有

   共有意識

   位相表現

   進化

   未来の姿
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