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項目の見直し 10.次の世界

多くの人がいる
内なる世界を持つ
一人が多面化
共有意識
 多くの人がいる

情報共有
メッセージ集約
コミュニティ
集合知
 生きている意味

売るから使う
組織の分化
行政の分化
国の分化
 存在する意味

市民が発信
市民コミュニティ
互いの状況把握
意思融合
 生きられる

  10.1 多くの人が生きられる

ソクラテス、デカルト
ベンサム、スミス
カント、ヘーゲル
ハイデガー
 存在の哲学

意見を述べる
情報共有環境
ライフスタイル
高度サービス
 生きていく力

組織に依存
地球規模課題
変革の流れ
社会は変えられる
 哲学を変える

国民国家の自由
モノつくり
企業の意識
多様な世界観
 自由と平等

  10.2 歴史哲学

学習する
つながる
シェアする
幸せになる
 個人の分化

意識変革
コミュニティ
ライブラリ
意識の拡大
 共有意識

地域の分化
コンパクトな生活
行政は状況把握
創発的な活動
 地域の分化

国は全体効率
地域の独立
超インフラ対応
シェアマーケット
 地域から循環

  10.3 共有意識

カーシェア
コラボ社会
企業の回帰
マーケティング
 状況把握

地域のあり方
地域を支援
いい社会
都市のあり方
 地域

統合機能
共有意識
国家支援
平和をもたらす
 統合

周縁と中核
宇宙を感じる
内なる世界
世界をつなぐ
 位相化

  10.4 社会の位相化

宗教
カリスマ
革命家
意思の力
 意思の力

民主主義の限界
空間認識の進化
先人の思い
ツールの展開
 変える力

個人が主役
情報共有環境
日本的循環
歴史の加速化
 存在の力

宇宙の歴史
人類は試される
超コンパクト世界
ビッグバン
 変節点

  10.5 変節点

存在の意味
全てを包含
宇宙とつながる
多重宇宙
 存在と無

要望と企画が一致
集合が点
個人と全体をつなぐ
歴史の変節点
 集合が点

国民国家を分化
コミュニティを支援
コミュニティと超国家
個人とコミュニティ
 個人と組織

分化状態
ポータル
地域インフラ
伝播力
 環境社会の様相

  10.6 個人=超国家

存在と無
情報源
未唯空間
社会の真理
 内なる世界

LL=GGの世界
共有意識
未唯宇宙
位相化
 未唯宇宙

歴史の変節点
全てを知る
偶然が示唆
先を知る
 全てを知る

存在を確認
問われれば応える
山を下りる
次の頂きに向かう
 先に進む

  10.7 全てを知る

数学・歴史・哲学
私のために用意
先が見える
絶対的存在
 偶然

マルチバース
内なる世界
近傍系
歴史の変節点
 宇宙の旅人

孤立と孤独
存在の無
真理を求める
宇宙とつながる
 存在の無

大いなる意思
時間と偶然
全てを知る
どうでもいい
 生きる

  10.8 自己肯定
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項目の見直し 10.次の世界 オーラル

今日から入院

 今日は入院だけど、奥さんは居ない。8時15分ぐらいに出ていったみたい。

マックの靴下

 あの写真は何を意味しているのか、よく分からない。

この1カ月

 25日から一ヵ月前の手術から何も変わっていない。この一ヵ月の成果を見出せない。

 やはり、ダイアリーじゃないけど、スケジュールですね。6月1日から、7時からの行動できるようにしましょう。そのための準備は完了しました。そういう意味では退職前に戻ったと言えるでしょう。

入院

 またしても、4月配属のナースが担当です。だから、血圧測定値が上がりました。触られれば、上がるでしょう。

 しっかり準備してきたつもりであったが、体温計を忘れてきた。

10.6「個人=超国家」

 「存在と無」からの二面性から比べたら、「個人=超国家」というのは、ほんの一部に過ぎない。だから、答えは全て、存在と無の中にある。

 その中身は存在の意味と無。無の方が大きく、全てを包含する。宇宙とつながる。その宇宙も多重宇宙。それの一番、細やかなモノが「集合と点」。何しろ、集合が点になり、点が集合になるという集合論。だから、個人と天体がつながる。

10.5「変節点」

 これがなぜ、変節点につながるかというと、その関係に気づくこと。今までは点は点であり、集合は集合であったモノが、これらが同じであることに気づくこと。個人が宇宙とイコールとなること。だから、変節点が第10章で、一番大きなものになります。

 その中間として、「個人と組織」の問題がある。LとGとの関係です。「個人と組織」という問題になるためには、「国民国家」の進化が欠かせなかった。個人は国民国家に吸収されていった。その中から途中のグループとして、コミュニティが出来てきて、個人と国家が引き離されてきた。その典型が会社である。

 その項の最後は「環境社会」になっている。この意味は、今までの国民国家から国民国家に変わる。その様相が「分化と統合」の状態。

 この中に「伝播力」が入っているのは、宗教の力を意識したためです。宗教も個人が変わることを前提として、それを導くから伝播していく。ムスリムがなぜ、あんなに巨大になったのか。個人と全体(アラー)とがつながった為に怒ったことです。それが故に、10.6「個人=超国家」は意味を持っている。その出発点は「存在と無」である。その間にも、「集合が点」である数学的な観点とか、社会的な「個人と組織」の問題など、第9章で扱った「環境社会」が全て、この中に納まる。

「存在と無」を信じれば

 一番、平易な「存在と無」を信じられないならば、全ての論点が成り立たないから、人にしゃべることはしません。あまりにも当たり前すぎる。自分のことを考えると、「存在と無」は自明だと思っている。

 アインシュタインが偉大だったのは、光は粒と波とは同じものであり、ある意味では矛盾しているが、矛盾しない。その上で理論を作り上げていった。今後の「存在の無」の社会は「存在」を信じることです。

10.7「全てを知る」

 10.7「全てを知る」。項目の順番です。「内なる世界」を対象に「未唯宇宙」を作り出して、「全てを知る」ことで先に進む。

10.8「自己肯定」

 そうなると、10.8「自己肯定」の項目もスムーズにします。

 「自己肯定」が最適かどうかわからないけど、結論としては、「存在の無です。そこに至る過程になります。一番、大きいのは「偶然」です。それが故に、哲学で「宇宙の旅人」を知り、「生きる」意味として、全てを知ることと捉え、「存在の無」に至った。

10.1「多くの人がいる」

 10.1「多くの人がいる」で第10章の概要を全て言い切っている。「多くの人がいる」。それに対して、「生きている意味」を考え、組織が「存在する意味」を考えて、それに従えば、多くの人が「生きられる。単純にこれだけです。分化は手段です。

10.2「歴史哲学」

 10.2「歴史哲学」。「存在の哲学」として、調べた。「生きていく力」で一番重要なのは、「高度サービス」にどういう風にカタチにしていくかです。「存在の哲学」では、哲学は変えられる。哲学を変えて、社会を変える。個人の心の中を変えて、社会を変える。その根本は「自由と平等」。自由で国民国家を上から作ってきたけど、「平等」を為すためには、下から変えないといけない。多様な世界観を持って。

10.3「共有意識」

 10.3「共有意識」。個人の「存在の力」から始まる。それを共有意識にしていく。それによって、地域の分化を始める。または、地域の分化がそれを加速する。その地域から循環させて、全体を変えていく。

10.4「社会の位相化」

 10.4「社会の位相化」。位相化という以上は分化した部分と統合する部分とが混ざってくる。分化をどう表現するか。とりあえずは、分化したものをどう分かっていくかという「状況把握」。それと「地域のあり方」。国家などの「統合」する力、統合機能を使って、統合していく過程は他のジャンルで述べている。

10.5「変節点」

 10.5「変節点」。ここは「意思の力」からいかに「存在の力」に変えるのか。それが「変節点」なることを述べるところです。

 今までの歴史を見ると、「意思の力」で大きく変わってきた。宗教の力、カリスマの力、そして革命家の力。それらは表面的には「意思の力」であるが、トルストイではないけど、実際に変えたのは人民です。その心が在ったから、変わってしまった。ただし、アレキサンダーの場合は個人の思い付きです。モンゴルなども、そこまでやるつもりはなかったが、カリスマが引っ張ってしまった。

 意思の力には、そういう大きな力があります。それに分化が変わってくる。今は、それらを変えられる時代に来ています。民主主義の限界。数学の世界に見られるような空間の認識の進化。色々な道具を作ってきた先人の思い。そのツールが全世界に展開されているICTの世界。それらが変える力になる。

 では、存在の力でどうなるのか。ベースは「個人が主役」であるということ、さらに「情報共有環境」があること。具体的には、日本の教育・仕事・家庭の循環を変えていくだけの力は十分あります。そして、元々の歴史を加速していく。または「歴史が加速化」していくのに対応していく。だから、思ったよりも早く進んでいく。その上には環境社会がある。したがって、現在が10.5「変節点」。丁度変わる時です。宇宙の歴史が変わる。137億年が変わっていく。それに「人類が対応できるか」試されている。これは逆のビックバーンです。

10.6「個人=超国家」

 変節点のその先の世界は、10.6「個人=超国家」です。これは突飛に見えるけど、アナロジーはいくつもあります。一番の原点は10.6.1「存在と無」これは最初に述べています。

10.8「自己肯定」

 10.8「自己肯定」。「偶然」に従い、「存在と無」から「存在の無」に至る。それでもって、「生きること」。「全てを知る」ことにより、「生きること」を知る。自己肯定するために、全ての世界がある。

反映作業

 時間はなかなか止まらないですね。反映するための準備をしないといけない。反映をもっと、簡単にするようにしましょう。タブレットを二台使って。反映をやってみるとそこで気づくことは多いです。もっと簡単にできるようにしましょう。
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八十歳で抱いた、ブッダの予感

『余命』より 死をイメージしてみる 心の準備とは、死をありありとイメージすること 生きることと逝くことの比重は、同じ

誰でもそうだと思うのですが、私は、死に至るまでの過程が嫌なのです。認知症、アルツハイマー、あるいは寝たきり介護という状態で生きながらえることはつらいことです。

しかしそうなる可能性が高いということを、どうしてみんながもっとリアルに考えないのでしょう。これについては、メディアにも責任の一端があるかもしれません。

たとえば放射能の問題にしたって、マイナスイメージの出来事として避けてしまって、もういまはほとんど報道されないでしょう。そういう暗い面、マイナスイメージのことはあまり報じられないのです。

そしてわれわれは、そういうメディアの影響をものすごく受けやすい存在です。「勝った、勝った」という新聞の論調にどれだけわれわれは歓喜勇躍して、この前の戦争を賛美していたかということを考えると、いまのメディアの「死」に対する報道の仕方も、大本営発表の時代と変わりないのではないかという気がしてきます。

最後の最後まで元気で仕事をしていて、そして突然ぽっくり。家族もびっくりして、臨終に立ち会う間もなかったという死に方をした人は、昔も今もけっこういます。けれども私は、そういう人が必ずしも幸せとは思いません。やはり西行のように、自分の死を計画して、逝き方を考えて、自分の美学に従って死んでいくというのは、すごく立派なことだと思うのです。目立たずに自然に亡くなって、大騒ぎされなかった死であっても、本人がそれで良しとするなら周りがどうこう言うことではありません。

昔はただ長く生きたというだけで、周りはその人を、偉い人だと思っていました。今では考えられないようなひどい衛生事情、栄養事情の中で、法然は八十、親鸞は九十、蓮如は八十五という例外的な長生きをしました。それはやはり賛美に値するすごいことなのです。

一方、近代日本で最大の親鸞研究者であった清澤満之は、四十そこそこで死にました。清渾満之が長生きして八十歳になっていたときに、どういう考えを持つに至ったかはわかりません。親鸞がもし四十五歳で死んでいたら、もちろん晩年の彼の思想はこの世になかったでしょう。親鸞の思想は、年とともに変化し、深化していった典型です。

私は、宗教は、その開祖と言われる人の死んだ年齢と関係があるような気がしています。

キリスト教というのはやはり青春の宗教です。夢があって、ロマンティックで、理想主義で。ヒューマニズムに溢れているといった感じです。三十歳ぐらいで亡くなったキリストゆえの青春の宗教なのです。キリストが八十五、九十まで
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ルワンダ内紛 年譜

『隣人が殺人者に変わる時和解への道』より

一九九四

 四月六日午後八時、ハビャリマナの乗った飛行機がキガリ空港に接近した時、謎のミサイルによって撃墜される。

 四月七日早朝、ハビャリマナの独裁政権をあまり支持しない政治的要人の暗殺が始まる。(フツの首相アガーテ・ウィリンギイマナも犠牲者となる。)インテラハムエがツチや穏健派フツの殺害を始めた首都キガリに向かって、RPF軍が進軍を始める。およそ一〇〇日間続くことになるツチに対するジェノサイドが始まる。ニャマタでは小規模の戦闘が勃発し、ツチとフツ、二つの民族を決定的に分断する。

 四月九日、ニャマタでインテラハムエの一団が最初の襲撃を始め、ツチに対する略奪、放火、反抗的なフツの殺戮を行う。地元のフツの農夫たちはインテラハムエに加担するが、特に命令を受けたわけではない。

 四月一一日、政府からの指令を待つこと四日、ガコの基地から来たフツの兵隊が、インテラハムエの協力のもと、組織的な殺人をニャマタの通りで始める。丘では、地元の権力者やインテラハムエが、農夫を集め、ツチに対する計画的な攻撃を開始する。

 四月一四日~一五日、ニャマタの教会でおよそ五千人のツチ避難民が、マチェーテによって殺戮される。

 四月一五日、ニャマタから一九キロ離れたンタラマの教会で、ツチ避難民五千人が虐殺される。

 四月一六日、ツチが隠れるムエンジの湿地帯やカユンバの森でも、組織的なツチ狩りが始まる。

 五月一二日、進軍するRPFの銃声を聞いた何万ものフツ住民が、コンゴに向かってギタマラの道を逃げ始める。ニャマタにおけるジェノサイドが終了する。

 五月一四日、RPF軍がニャマタに到着し、湿地帯の生存者を探し始める。教会や湿地帯、カユンバの森で五万人もの腐乱死体を発見。

 六月二二日~八月二一日、虐殺後、国連軍が到着するまでの間、国連はフランス軍にルワンダ北部の中立地帯を守るように指示。この意味不明瞭な軍事作戦はトルコ石作戦として知られているが(ルワンダ国民を守るためなのか? ジェノサイドを起こしたフツ政権の指導者と軍部を守るためなのか?)、いまだ激しい論争が続いている。

 七月四日、首都キガリがRPF軍により陥落。新しい政府にはフツ出身の大統領とポール・カガメ防衛大臣が任命される。(RPF軍はやがて正規のルワンダ軍に再編成される。)

 七月一五日、五〇万人のフツ難民が、コンゴとの国境を渡り始める。やがて、二〇〇万人ものフツが東コンゴの難民キャンプを埋め尽くす。

 八月、新しい国連ルワンダ支援団UNAM-RHHが到着。

 一〇月三日、国連安全保障理事会がルワンダで起こった虐殺をジェノサイドと表現した報告書を是認する。

一九九六 一一月、コンゴのモブツ・セセ・セコ政権に対する反乱軍が、ルワンダ軍の支援を受け、東コンゴに侵入する。やがて二〇〇万人もの難民が、ルワンダに帰還。多くのインテラハムエは、このルワンダ軍の攻撃中に殺されるか、帰還に加わってルワンダ政府に自首をしたが、略奪団や傭兵グループをつくり、今もコンゴ内(たいていは、国境沿いのキブ地区)に潜伏している者も存在する。

一九九七 五月一七日、ルワンダ軍がコンゴからモブツを追放し、キンシャサでローラン=デジレ・カビラを政権に就かせる。

一九九八 四月二四日、ニャマタのカユンバの丘で六人の囚人の死刑が公然と執行される(今日までで、唯一の公式の死刑執行である)。

二〇〇一 三月、ジェノサイドで多くの裁判官の死や逃亡、共犯により司法の崩壊に直面したルワンダ政府は、ジェノサイドに加担した容疑者の裁判を加速させるとともに、虐殺に対する個人的責任の罪状確定にルワンダ市民を参加させるためにガチャチャ法廷の設立を命じた。

二〇〇二

 一月一日、RPFの絶対的指導者であるポール・カガメ大統領は自身の政権を強固にするため、ルワンダの第三共和制を宣言する。

 八月、ニャマタでガチャチャ裁判が開始される。

二〇〇三

 一月一日、ジェノサイドの犯罪者に関する大統領令が発布される。それによリ自白が受け入れられ、少なくともすでに刑期の半分を終えた第二、第三カテゴリー(軽い段階の殺人者と加担者)の抑留者に対する条件的釈放が認められた。

 五月五日、リリマ刑務所を釈放され、ビクンビの再教育施設に送られていた多くのキブンゴの丘の殺人者たちが、ニャマタに帰還する。

二〇〇六 キガリの調査委員会がジェノサイドにおけるフランスの行為を調査。一方一一月一七日にはフランス人判事ジャン=ルイ・ブリュギエールがハピャリマナ暗殺に関する調査結果を公表。告発された九名には、ルワンダ国防軍幕僚のトップ、ジェームス・キャバレビを含む大統領カガメの側近たちが含まれる。

二〇〇八

 八月五日~七日、ルワンダ政府が法務省の捜査官チームによる報告を公表。その中で、フランス元大統領ミッテランと元首相ドミニク・ド・ビルパンを含む一三名のフランス高官が、一九九四年のジェノサイドの間に、政治的、軍事的、外交的な支援(後方支援を含む)を、八○万人の少数派ツチと穏健派フツを殺戮したルワンダの急進派政権とフツ軍に行ったとして告発されている。フランス外務省はその申し立てを容認できないものとして却下する。

 一一月、ルワンダ高官のローズ・カブイエが、フランスの令状により一九九四年の大統領ハビャリマナの暗殺関与の容疑で、ドイツで逮捕され、フランスに移送される。その後条件付きで解放。この出来事でルワンダとフランス及び欧州連合との関係がさらに悪化。

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多数意見は尊重されるか

『多数決を疑う』より

「多数決」という言葉の字面を眺めると、いかにも多数派の意見を尊重しそうである。だからこそ少数意見の尊重も大切と言われるわけだ。だがそもそも多数決で、多数派の意見は常に尊重されるのだろうか。

「はじめに」でも触れたひとつの反例を挙げてみよう。アメリカでは四年に二肢、全米をあげての大統領選挙が行われる。選挙期間中は大々的なパレードや公開討論が行われ、街中でも一般家庭が支持候補の旗を窓に飾るなど、なかばお祭り騒ぎの様相を呈する。

アメリカには共和党と民主党の二大政党があり、大統領選挙では毎回、両党が接戦を繰り広げる。なかでも二〇〇〇年の戦いは熾烈なものだった。共和党の候補はジョージ・W・ブッシュ、父親も大統領を務めた二世政治家のテキサス州知事だ。対する民主党の候補はアルーゴア、環境保護と情報通信政策に通じた当時の副大統領である。

事前の世論調査ではゴアが有利、そのまま行けばおそらくゴアが勝ったはずだ。ところが結果はそうはならず、最終的にブッシュが勝った。この選挙は、票の数えミスや不正カウント疑惑など、それだけで本が一冊書けるほど問題含みのものだったが、ここでは次の点だけに注目しよう。

途中でラルフ・ネーダーが「第三の候補」として立候補したのだ。彼は、大企業や圧力団体などの特定勢力が献金やロビー活動で政治に強い影響力を持つことに対して、反対活動を長く行ってきた弁護士の社会活動家だ。政治的平等を重視する民主主義の実践家だといってもよい。フ九六〇年代には自動車の安全性をめぐって巨大企業ゼネラル・モーターズに戦いを挑み、勝利を収めたこともある。

ネーダーの立候補には、二大政党制に異議申し立てをする、有権者に新たな選択肢を提供するという意義があった。とはいえ二大政党に抗して彼が取れる票はたかが知れている。話題にはなっても当選の見込みはない。

ネーダーの政策はブッシュよりゴアに近く、選挙でネーダーはゴアの支持層を一部奪うことになる。ゴア陣営は「ネーダーに票を入れるのは、ブッシュに票を入れるようなものだ」とキャンペーンを張るが、十分な効果は上げられない。ゴアがりIドしていたとはいえ激戦の大統領選挙である。この痛手でゴアは負け、ブッシュが勝つことになった。

特に難しい話をしているわけではない。要するに票が割れてブッシュが漁夫の利を得たわけだ。ゴアにしてみれば、ネーダーは随分と余計なことをしてくれたことになる。そもそもネーダーだって一有権者としては、ブッシュとゴアなら、ゴアのほうが相対的にはマシだと思っていたのではないか。

選挙の開票に関する混乱ののち、二〇〇一年一月にジョージ・W・ブッシュは第四三代アメリカ大統領に就任した。そしてその九月に、(イジャックされた二機の飛行機がニューヨークの空をゆっくりと舞い、摩天楼にそびえ立つ世界貿易センター・ツインタワーヘ続けて突撃した。アメリカは同時多発テロの襲撃を受けたのだ。

ブッシュは報復として一連の「テロとの戦争」を始め、アフガニスタンヘの侵攻を開始した。さらに彼は自分の父親が大統領だった頃から因縁深い、イラクヘの侵攻も開始した。開戦の名目は、イラクのフセイン政権がテロ組織に大量破壊兵器を渡す危険性があるというものだったが、フセイン政権はテロ組織と交流がないうえ大量破壊兵器を持っていなかった(そもそも「イラク侵攻ありき」だった疑いが非常に強い)。

ゴアが大統領ならイラク侵攻はまず起こらなかっただろうから、泡沫候補ネーダーの存在は、その後の世界情勢に少なからぬ影響を与えたことになる。

ではネーダーは大統領選挙に安易に立候補すべきではなかったのだろうか。二大政党制のもとで「第三の候補」は立候補を慎むべきなのか。だが二大政党制とは、巨額の資金を必要とする二つの巨大な組織だけが選択肢を提供する政治形態である。選択の余地は狭い。閉塞感を抱える有権者に、新たな選択肢を与えて何か悪いのか。

悪いのは人間ではなく多数決のほうではないだろうか。それは人々の意思を集約する仕組みとして深刻な難点があるのではなかろうか。

では具体的に難点とは何か。それを知るためには概念を明確化して突き止める必要がある。それはまた難点の少ない、あるいは利点の多い代替案を探すうえで欠かせないことだ。

投票で「多数の人々の意思をひとつに集約する仕組み」のことを集約ルールという。多数決は沢山ある集約ルールのひとつに過ぎない。そして、投票のない民主主義はない以上、民主主義を実質化するためには、性能のよい集約ルールを用いる必要がある。

確かに多数決は単純で分かりやすく、私たちはそれに慣れきってしまっている。だがそのせいで人々の意見が適切に集約できないのなら本末転倒であろう。それは性能が悪いのだ。もし「一人一票でルールに従い決めたから民主的だ」とでもいうのなら、形式の抜け殻だけが残り、民主的という言葉の中身は消え失せてしまうだろう。投票には儀式性が伴えども、それは単なる儀式ではない。聞きたいのは神託ではなく人々の声なのだ。

さらにいえば、有権者の無力感は、多数決という「自分たちの意思を細かく表明できない・適切に反映してくれない」集約ルールに少なからず起因するのではないだろうか。であればそれは集約ルールの変更により改善できるはずだ。

多数決を含む集約ルールの研究は、フランス革命前のパリ王立科学アカデミーで本格的にはじめられた。主導したのは二人の才人、ボルダとコンドルセである。彼らの議論は二〇〇年以上前になされたものだが今なお斬新で、ことの本質を突いたものだ。本章ではボルダ、次章ではコンドルセの議論に関する事柄を主に扱っていく。
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