未唯への手紙
未唯への手紙
豊田市図書館の6冊
今日の新刊書はプア。GWで発行元が休みとはいえ、棚に集る禿鷹の方が多かった。
駅前のスタバで、ダブルトール・エクストララブ・ラテを注文したら、愛情豊かな接遇を受けて、感激!
豊田市図書館の6冊
007.13『The Next Tecnology』脳に迫る人工知能 最前線 全産業に激震必至 第3次AIブームを徹底解説
675.1『世界で愛されるMADE IN JAPAN 100』ガラパゴスはんてとんでもない!?
462.19『屋久島の自然図鑑』世界自然遺産 ガイドブックと図鑑が1冊になった本
913.43『現代語訳 平家物語(上)』尾崎士郎 あまりの本の少なさでこんなものも借りてしまった。
913.43『現代語訳 平家物語(下)』
918.6『児童文学の旅』石井桃子
駅前のスタバで、ダブルトール・エクストララブ・ラテを注文したら、愛情豊かな接遇を受けて、感激!
豊田市図書館の6冊
007.13『The Next Tecnology』脳に迫る人工知能 最前線 全産業に激震必至 第3次AIブームを徹底解説
675.1『世界で愛されるMADE IN JAPAN 100』ガラパゴスはんてとんでもない!?
462.19『屋久島の自然図鑑』世界自然遺産 ガイドブックと図鑑が1冊になった本
913.43『現代語訳 平家物語(上)』尾崎士郎 あまりの本の少なさでこんなものも借りてしまった。
913.43『現代語訳 平家物語(下)』
918.6『児童文学の旅』石井桃子
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
民主化と「公正な分配」
『アラブ諸国の民主化』より
例えば、世俗主義にもとづく政党とイスラーム主義にもとづく政党が二党制(二大政党制)を形成し、競合的な選挙で政椛交代を繰り返すような展開は、アラブ諸国では可能なのか。また、さまざまな組み合わせの世俗政党とイスラーム政党の連立が示されるような展開は、アラブ諸国ではみられないのか。民主的な制度と運用の構築だけでは、おそらくこれは実現しない。
過去の民主化と二〇一一年政変をあわせて考えてみると、政治変化の深層に位置するもっとも重要な問題の一つは、「分配」であったと評価できる。過去における国民生活全般への一律的な分配は、財政と経済の破綻を引き起こし、民主化と構造調整の受け入れをもたらした。しかし、構造調整の資金とそれに関わる権限は、政権の維持に活用される利権と化し、政権支持層の拡大・強化のための新たな分配が成立した。このいびつな分配こそが、二〇一一年政変の反政府デモによって不正と糾弾された、さまざまな汚点の元凶であった。二〇一一年政変により、このいびつな分配は解消された。そして今、深刻な混乱を続ける国々では、分配自体が失われたままとなっている。
構造調整やグローバリゼーションが経済の自由化を推し進めても、途上国において分配はなくならない。それは、国家と社会の維持に必要不可欠なものである。問題はその分配を、いかに公正なものとするかということにある。公正な分配の実現には、多大な困難がともなう。まずは、政権が分配を政治的に利用しないことが大前提だが、これは途上国のみならず先進国でも難しい。加えて途上国では、構造調整が求める自由化との折り合いをつけなければならない。さらに現在の分配には、過去にはない複雑な状況がある。途上国においても、すでに格差社会が存在しており、過去のような補助金や雇用などによる一律的な分配では、却って不公正が拡大してしまう可能性がある。貧困層に効率的に行きわたる分配が必要であるが、税収の確保と社会保障への割り当てが決して十分ではない途上国では、その実現性は低い。
しかし、どこまで実現できるかは状況しだいとしても、あらゆる政権や政治勢力にとって、「公正な分配」をめざすことが当然であるといった国家と社会にならないかぎり、持続的で安定した民主化は生じない。同時に、民主化が進まないかぎり、公正な分配をつくることも、分配の公正さを選挙やそのほかの手段によって監督し、維持することもできない。民主化と公正な分配が表裏一体となって、政治と経済に好循環をもたらす展開が、めざすべき方向であるといえる。
本書では、紙数の制約からGCC諸国の制度解説をコラムで扱ったが、本来は一章をさくべきテーマと内容のものである。また、アラブ諸国とともに中東を構成するトルコ・イランーイスラエルも、選挙と政党に関わる制度・運用の問題や宗教政党などに関して、非常に興味深い事例となっている。これらの国々を加えた「中東の民主化」に関わる問題の整理を、次の機会までの筆者の課題としたい。
例えば、世俗主義にもとづく政党とイスラーム主義にもとづく政党が二党制(二大政党制)を形成し、競合的な選挙で政椛交代を繰り返すような展開は、アラブ諸国では可能なのか。また、さまざまな組み合わせの世俗政党とイスラーム政党の連立が示されるような展開は、アラブ諸国ではみられないのか。民主的な制度と運用の構築だけでは、おそらくこれは実現しない。
過去の民主化と二〇一一年政変をあわせて考えてみると、政治変化の深層に位置するもっとも重要な問題の一つは、「分配」であったと評価できる。過去における国民生活全般への一律的な分配は、財政と経済の破綻を引き起こし、民主化と構造調整の受け入れをもたらした。しかし、構造調整の資金とそれに関わる権限は、政権の維持に活用される利権と化し、政権支持層の拡大・強化のための新たな分配が成立した。このいびつな分配こそが、二〇一一年政変の反政府デモによって不正と糾弾された、さまざまな汚点の元凶であった。二〇一一年政変により、このいびつな分配は解消された。そして今、深刻な混乱を続ける国々では、分配自体が失われたままとなっている。
構造調整やグローバリゼーションが経済の自由化を推し進めても、途上国において分配はなくならない。それは、国家と社会の維持に必要不可欠なものである。問題はその分配を、いかに公正なものとするかということにある。公正な分配の実現には、多大な困難がともなう。まずは、政権が分配を政治的に利用しないことが大前提だが、これは途上国のみならず先進国でも難しい。加えて途上国では、構造調整が求める自由化との折り合いをつけなければならない。さらに現在の分配には、過去にはない複雑な状況がある。途上国においても、すでに格差社会が存在しており、過去のような補助金や雇用などによる一律的な分配では、却って不公正が拡大してしまう可能性がある。貧困層に効率的に行きわたる分配が必要であるが、税収の確保と社会保障への割り当てが決して十分ではない途上国では、その実現性は低い。
しかし、どこまで実現できるかは状況しだいとしても、あらゆる政権や政治勢力にとって、「公正な分配」をめざすことが当然であるといった国家と社会にならないかぎり、持続的で安定した民主化は生じない。同時に、民主化が進まないかぎり、公正な分配をつくることも、分配の公正さを選挙やそのほかの手段によって監督し、維持することもできない。民主化と公正な分配が表裏一体となって、政治と経済に好循環をもたらす展開が、めざすべき方向であるといえる。
本書では、紙数の制約からGCC諸国の制度解説をコラムで扱ったが、本来は一章をさくべきテーマと内容のものである。また、アラブ諸国とともに中東を構成するトルコ・イランーイスラエルも、選挙と政党に関わる制度・運用の問題や宗教政党などに関して、非常に興味深い事例となっている。これらの国々を加えた「中東の民主化」に関わる問題の整理を、次の機会までの筆者の課題としたい。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
EUとイタリア--平和で豊かな欧州を目指して
『イタリア文化55のキーワード』より
欧州連合におけるイタリアの存在感
第二次世界大戦直後、米国が欧州復興のために投じたマーシャル・プラン(当時アメリカの国務長官であったマーシャルによる提案。自力による復興が非常に困難なほど傷ついていた欧州を助けると同時に、アメリカと冷戦中であったソビエト連邦が東欧に拡張した共産主義を欧州全体に広めないという政治的な目的があった)によって統合のきっかけを与えられたヨーロッパは、二つの世界大戦が起こったことの反省から、ドイツを西ヨーロッパの枠組みにきちんと位置づけ、ドイツ・フランスが協調していくことの重要性を強調しつつ、今日に至るまで平和な欧州を目指して歩んできた。この統合を名実ともに牽引してきたのが、二〇一四年現在二八カ国まで拡大した欧州連合であり、イタリアは、フランス、西ドイツ(当時)、オランダ、ペルギー、ルクセンブルクとともに、EUの基礎となる地域共同体で一九五一年に設立された欧州石炭鉄鋼共同体の、いわゆる原加盟国である。
EUが大小の拡大を繰り返すなか、一九八九年にベルリンの壁崩壊をうけ、翌年東西ドイツが統一を果たし、九一年にソビエト連邦が崩壊し冷戦が終結すると、ヨーロッパを巡る状況は大きな変貌を遂げた。この間、EUでは単一欧州通貨(ユーロ)導入の提案を盛り込んだマーストリヒト条約が発効され、二〇〇二年からユーロが流通し始めた。ユーロ発足当初の一一の参加国にイタリアも入っている。
EUにおけるイタリアのこのような存在感は、EUのなかで仏・西・独に次ぐ広さの国土、ユーロ圏のなかで独・仏に次ぐ第三位(二○一三年末)の人口とGDPの比率にも見て取ることができ、「欧州連合の一員としての協調外交および対米協調」を基本路線とするイタリアの政治的姿勢は、一般的に国が与えるステレオタイプ的なイメージとは裏腹に、地に足の着いたものと評価されている。
イタリア的な諸問題
EUにしっかり足場を築いてきたイタリアも、EUに属するがゆえの諸問題を抱えている。ユーロ導入後のイタリア経済は、二〇〇〇年後半に成長率がピークになったのを最後に低迷し続け、一時は「欧州の病人」と揶揄された。近年なお、若者に顕著な高い失業率や国際的な市場における競争率の低さは改善されずにいる。これらの背景にはいくつかのイタリア的な原因が挙げられる。
中小企業の特徴的な経営はイタリア経済を支える強みと評価されることが多いが、その伝統的な体質が、国内外からの新規企業参入を阻むことで硬直的な市場をもたらし(二〇一四年世界銀行調査--外国の企業がビジネスをするさいの困難度でイタリアは西・仏・独・英をはるかに上回っている)、大企業に見られる効率化が困難なことから労働コストの高さと生産性の低さで国際競争力を低下させ、研究開発の遅れにもつながっている。このような状況は、日本と並び高齢化が進むイタリアにおける将来の人口減少の問題とともに、早急に改革が必要であるといえる。折しも、近年のユーロ危機でそれまで内在していた欧州統合の問題点が浮き彫りにされたあと、改善を目指した規制緩和や行政手続きの簡素化が行われたことは記憶に新しい。
一方で、「南北格差」や脱税といった「地下経済の比率の高さ」が依然EU市場におけるイタリアの足並みの崩れの要因となっている。先進国型経済を誇り失業率が低い北部と、地理的に欧州市場へのアクセスの点でも不利であり、所得水準が低く失業率が高い南部の間では、当然EUに対する国民の感情的な温度差も大きく、EU圏全体のなかの北欧諸国と南欧諸国の差異にも似て悩ましい問題である。
EUに対する危機感や反感を乗り越えて
二〇〇九年ギリシアに始まったユーロ危機にさいして、イタリアも厳しい経済政策を課された。これに対して国民のなかにユーロ、ひいてはEUへの批判が高まり、EU委員会があるブリュッセルのいわゆるEU官僚に対する反感や、新たな加盟国の中東欧から西欧への移民がもたらす軋轢などと相まって、EU懐疑論が起こった。そのような状況で、既成政党や政財界のエリートヘの反感をスローガンに掲げた党首ベッペ・グリッロ率いる「五つ星運動」が躍進し、極右政党「北部同盟」がEU内での地域独立や自治拡大、さらに移民排斥を主張した。
統合が進化を遂げるに従い参加国の国家意識が強まるのは皮肉な現実であるが、グローバル化か進んだ今日、一国で解決できる問題は限られる。ヨーロッパを壊滅しつくした忌まわしい戦争の悲劇を二度と繰り返さないために掲げられた理想をいかに再構築していくかが、今なお問われ続けている。
欧州連合におけるイタリアの存在感
第二次世界大戦直後、米国が欧州復興のために投じたマーシャル・プラン(当時アメリカの国務長官であったマーシャルによる提案。自力による復興が非常に困難なほど傷ついていた欧州を助けると同時に、アメリカと冷戦中であったソビエト連邦が東欧に拡張した共産主義を欧州全体に広めないという政治的な目的があった)によって統合のきっかけを与えられたヨーロッパは、二つの世界大戦が起こったことの反省から、ドイツを西ヨーロッパの枠組みにきちんと位置づけ、ドイツ・フランスが協調していくことの重要性を強調しつつ、今日に至るまで平和な欧州を目指して歩んできた。この統合を名実ともに牽引してきたのが、二〇一四年現在二八カ国まで拡大した欧州連合であり、イタリアは、フランス、西ドイツ(当時)、オランダ、ペルギー、ルクセンブルクとともに、EUの基礎となる地域共同体で一九五一年に設立された欧州石炭鉄鋼共同体の、いわゆる原加盟国である。
EUが大小の拡大を繰り返すなか、一九八九年にベルリンの壁崩壊をうけ、翌年東西ドイツが統一を果たし、九一年にソビエト連邦が崩壊し冷戦が終結すると、ヨーロッパを巡る状況は大きな変貌を遂げた。この間、EUでは単一欧州通貨(ユーロ)導入の提案を盛り込んだマーストリヒト条約が発効され、二〇〇二年からユーロが流通し始めた。ユーロ発足当初の一一の参加国にイタリアも入っている。
EUにおけるイタリアのこのような存在感は、EUのなかで仏・西・独に次ぐ広さの国土、ユーロ圏のなかで独・仏に次ぐ第三位(二○一三年末)の人口とGDPの比率にも見て取ることができ、「欧州連合の一員としての協調外交および対米協調」を基本路線とするイタリアの政治的姿勢は、一般的に国が与えるステレオタイプ的なイメージとは裏腹に、地に足の着いたものと評価されている。
イタリア的な諸問題
EUにしっかり足場を築いてきたイタリアも、EUに属するがゆえの諸問題を抱えている。ユーロ導入後のイタリア経済は、二〇〇〇年後半に成長率がピークになったのを最後に低迷し続け、一時は「欧州の病人」と揶揄された。近年なお、若者に顕著な高い失業率や国際的な市場における競争率の低さは改善されずにいる。これらの背景にはいくつかのイタリア的な原因が挙げられる。
中小企業の特徴的な経営はイタリア経済を支える強みと評価されることが多いが、その伝統的な体質が、国内外からの新規企業参入を阻むことで硬直的な市場をもたらし(二〇一四年世界銀行調査--外国の企業がビジネスをするさいの困難度でイタリアは西・仏・独・英をはるかに上回っている)、大企業に見られる効率化が困難なことから労働コストの高さと生産性の低さで国際競争力を低下させ、研究開発の遅れにもつながっている。このような状況は、日本と並び高齢化が進むイタリアにおける将来の人口減少の問題とともに、早急に改革が必要であるといえる。折しも、近年のユーロ危機でそれまで内在していた欧州統合の問題点が浮き彫りにされたあと、改善を目指した規制緩和や行政手続きの簡素化が行われたことは記憶に新しい。
一方で、「南北格差」や脱税といった「地下経済の比率の高さ」が依然EU市場におけるイタリアの足並みの崩れの要因となっている。先進国型経済を誇り失業率が低い北部と、地理的に欧州市場へのアクセスの点でも不利であり、所得水準が低く失業率が高い南部の間では、当然EUに対する国民の感情的な温度差も大きく、EU圏全体のなかの北欧諸国と南欧諸国の差異にも似て悩ましい問題である。
EUに対する危機感や反感を乗り越えて
二〇〇九年ギリシアに始まったユーロ危機にさいして、イタリアも厳しい経済政策を課された。これに対して国民のなかにユーロ、ひいてはEUへの批判が高まり、EU委員会があるブリュッセルのいわゆるEU官僚に対する反感や、新たな加盟国の中東欧から西欧への移民がもたらす軋轢などと相まって、EU懐疑論が起こった。そのような状況で、既成政党や政財界のエリートヘの反感をスローガンに掲げた党首ベッペ・グリッロ率いる「五つ星運動」が躍進し、極右政党「北部同盟」がEU内での地域独立や自治拡大、さらに移民排斥を主張した。
統合が進化を遂げるに従い参加国の国家意識が強まるのは皮肉な現実であるが、グローバル化か進んだ今日、一国で解決できる問題は限られる。ヨーロッパを壊滅しつくした忌まわしい戦争の悲劇を二度と繰り返さないために掲げられた理想をいかに再構築していくかが、今なお問われ続けている。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
パスタとカフェ--「普遍」であることの新しさ
『イタリア文化55のキーワード』より
イタリア人の心身を育む食材
映画『ローマのアメリカ人』(一九五四)で、アルべルト・ソルディ演じる主人公ナンドがスパゲッティを口いっぱいに詰めた姿は、戦後イタリアを象徴するイメージのひとつだ。第二次世界大戦後、アメリカに希望を見出したナンドは、生活スタイルをすべてアメリカ風に変える。アメリカの言葉を話し、アメリカ映画を鑑賞し、食事もアメリカ風にしようと試みるが、どうも口に合わない。山盛りのスパゲッティを思い切り頬ばり、ようやく身も心も満たされるというわけだ。
言わずと知れたイタリアの国民食であるパスタ。イタリアのスーパーにはさまざまな形のパスタがところ狭しと並び、日々の食卓にのぼる。イタリア人の心身を文字通り育む食材だ。実際に、赤と白のギンガムチェックのテーブルクロスのかかったテーブルで大家族が熱々のパスタを囲む様子は、イタリア人のステレオタイプとして広く認知されている。また一九三〇年に、未来派の主唱者フィリッポ・トンマーゾ・マリネッティが、「イタリアの食の愚かしい宗教」と呼んで、パスタの廃絶を訴えたのも、イタリアとパスタのあいだにただならぬ関係があってのことだ(ただし、その後まもなく、スパゲッティを食べるマリネッティの姿がミラノのレストランでスクープされる)。
文化融合の産物--パスタ
パスタの歴史は古く、詳細は闇に包まれている。パスタの語源をめぐっては諸説あるが、古典ギリシア語で「小麦粉を水や塩と混ぜたもの」を意味する「パステー」に由来するとする説が有力だ。古代ギリシアでは、紀元前一〇世紀頃にはラガノンと呼ばれるタリアテッレに似たパスタ料理が食べられていたとされる。イタリア半島でパスタが食されていた可能性を示唆する最古の記録は、紀元前四世紀のものとされる、ローマ県チェルヴェーテリにあるエトルリア人の墓室「グロッタ・ペッラ」に残る、パスタづくりに用いられたらしい道具を模した浮彫り装飾だ。さらに、紀元前一世紀の古代ローマには、ラザーニャの原型となるラガナと呼ばれる料理が存在した。小麦粉に水を加えてこね、薄く伸ばし、幅を広めにカットした後、窯で調理されたというこの料理は、帝国領内に広まるにつれ、土地ごとのアレンジが加えられていった。そして中世に、アラブ人に伝えられたとされる乾燥技術のおかげで長期保存が可能になり、ジェノヴァ商人により海路や陸路を通じて世界各地へ届けられるようになると、パスタの生産地としてのイタリアの存在感はますます高まる。五〇〇種類を超すとされる形状や、そのそれぞれを引き立てるレシピを生み出した功績はイタリア人の食にかける飽くなき情熱と想像力に帰すべきにしろ、イタリアンパスタの誕生の背景には、実に、周辺地域から受け継いだ伝統と技術があった。
イタリア社交の主役--カフェ
起源が伝説に包まれたコーヒー豆がヴェネツィア商人によりイタリアにもたらされたのは一六〇〇年頃のこと。外国原産でありながら、イタリアの地で独自の発展を遂げ、現代イタリアの食文化を代表する存在にのぼりつめたのは、カフェも同様だ。パスタの強烈なイメージの影に隠れがちだが、いまや世界を席巻しつつあるシアトル系コーヒー店チェーンの着想源となったこと、カフェ・ラテやカプチーノといった、日本でもおなじみの呼称がイタリア語に由来することを思えば、イタリアのカフェが世界に及ぼす影響の大きさがうかがえるだろう。
イタリアのカフェの成功の鍵は、独特のカフェ文化にある。イタリアでカフェを注文すると、デミタスカップが準備され、大きなマシンで一気に高圧抽出された濃色の液体が提供される。イタリアで「カフェ」は、エスプレッソコーヒーを指すのだ。これに砂糖をたっぷり投入して、強烈な苦みと甘みの奏でる絶妙のハーモニーを楽しむ。ところが、ここで終わらないのがイタリア流だ。ミルクを少し垂らしたカフェ・マッキャートや、倍量のカフェ・ルンゴといったお決まりのメニューに加え、「泡を少なめに」「ぬるめのお湯で」など、それぞれが思い思いの注文をする。エスプレッソをべースに、誰もが自分だけの一杯をつくりあげるのだ。嗜み方にも特徴がある。イタリアのカフェは、バールと呼ばれるコーヒースタンドのカウンターで立ち飲みするのが主流だ。容量が少ないため、一杯飲み干すのに時間はかからない。タイツと飲み干し、風のように店を去る。それを朝、仕事や授業の休憩時、食後と、日に何度も繰り返す。この習慣は、イタリアの町中に点在するバールを、たんなる飲食店ではなく、人々が他愛ない時間を共有する社交場とした。頻繁に顔を会わせて近況報告を行うことで、絆をますます深めるのだ。
ファンタジーを引き立てる素材
イタリアには、地方料理こそあれ、「イタリア料理」は存在しないとしばしば言われる。素材を生かした調理を基本とすることから、南北に細長く、地形も気候も変化に富むイタリアでは、料理にも地方ごとの特徴が色濃く反映されるというわけだ。パスタに関して言えば、北イタリアではバターや生クリームの使用が多いのに対し、南イタリアではトマトソースやオリーブオイルが多用される。また、内陸部では肉、沿岸部では魚介類が多く用いられる。カフェに関してもやはり、北イタリアでは浅煎り、南イタリアでは深煎りが好まれるなど、嗜好に傾向がうかがえる。しかし見逃せないのは、パスタとカフェがイタリアのすべての地方に偏在する事実だ。その意味で、パスタとカフェは、イタリアの食を代表するにふさわしい。
加えて興味深いのは、この二つの食材がいずれもイタリア原産ではなく、普遍性に富む点だ。たとえば、パスタは小麦粉と水というシンプルな原料からなる世界中で親しまれる食材であり、カフェもまた、水に次いで二番目に世界で多く消費される飲料だ。だとすれば、注目すべきは、これら普遍的な食材が、ほかならぬイタリアの地で、めざましい発展を遂げた事実だろう。基本的な素材がイタリアの地でさまざまに加工・洗練され、「メイド・イン・イタリー」の旗印のもと、世界に輸出されてゆく。外のものを取り入れ、好奇心いっぱいに改良し、魅力を高めたうえで改めて外へ発信する。素材がシンプルだからこそ、ファンタジーが生きる。パスタとカフェがイタリアの食を代表するゆえんだ。
イタリア人の心身を育む食材
映画『ローマのアメリカ人』(一九五四)で、アルべルト・ソルディ演じる主人公ナンドがスパゲッティを口いっぱいに詰めた姿は、戦後イタリアを象徴するイメージのひとつだ。第二次世界大戦後、アメリカに希望を見出したナンドは、生活スタイルをすべてアメリカ風に変える。アメリカの言葉を話し、アメリカ映画を鑑賞し、食事もアメリカ風にしようと試みるが、どうも口に合わない。山盛りのスパゲッティを思い切り頬ばり、ようやく身も心も満たされるというわけだ。
言わずと知れたイタリアの国民食であるパスタ。イタリアのスーパーにはさまざまな形のパスタがところ狭しと並び、日々の食卓にのぼる。イタリア人の心身を文字通り育む食材だ。実際に、赤と白のギンガムチェックのテーブルクロスのかかったテーブルで大家族が熱々のパスタを囲む様子は、イタリア人のステレオタイプとして広く認知されている。また一九三〇年に、未来派の主唱者フィリッポ・トンマーゾ・マリネッティが、「イタリアの食の愚かしい宗教」と呼んで、パスタの廃絶を訴えたのも、イタリアとパスタのあいだにただならぬ関係があってのことだ(ただし、その後まもなく、スパゲッティを食べるマリネッティの姿がミラノのレストランでスクープされる)。
文化融合の産物--パスタ
パスタの歴史は古く、詳細は闇に包まれている。パスタの語源をめぐっては諸説あるが、古典ギリシア語で「小麦粉を水や塩と混ぜたもの」を意味する「パステー」に由来するとする説が有力だ。古代ギリシアでは、紀元前一〇世紀頃にはラガノンと呼ばれるタリアテッレに似たパスタ料理が食べられていたとされる。イタリア半島でパスタが食されていた可能性を示唆する最古の記録は、紀元前四世紀のものとされる、ローマ県チェルヴェーテリにあるエトルリア人の墓室「グロッタ・ペッラ」に残る、パスタづくりに用いられたらしい道具を模した浮彫り装飾だ。さらに、紀元前一世紀の古代ローマには、ラザーニャの原型となるラガナと呼ばれる料理が存在した。小麦粉に水を加えてこね、薄く伸ばし、幅を広めにカットした後、窯で調理されたというこの料理は、帝国領内に広まるにつれ、土地ごとのアレンジが加えられていった。そして中世に、アラブ人に伝えられたとされる乾燥技術のおかげで長期保存が可能になり、ジェノヴァ商人により海路や陸路を通じて世界各地へ届けられるようになると、パスタの生産地としてのイタリアの存在感はますます高まる。五〇〇種類を超すとされる形状や、そのそれぞれを引き立てるレシピを生み出した功績はイタリア人の食にかける飽くなき情熱と想像力に帰すべきにしろ、イタリアンパスタの誕生の背景には、実に、周辺地域から受け継いだ伝統と技術があった。
イタリア社交の主役--カフェ
起源が伝説に包まれたコーヒー豆がヴェネツィア商人によりイタリアにもたらされたのは一六〇〇年頃のこと。外国原産でありながら、イタリアの地で独自の発展を遂げ、現代イタリアの食文化を代表する存在にのぼりつめたのは、カフェも同様だ。パスタの強烈なイメージの影に隠れがちだが、いまや世界を席巻しつつあるシアトル系コーヒー店チェーンの着想源となったこと、カフェ・ラテやカプチーノといった、日本でもおなじみの呼称がイタリア語に由来することを思えば、イタリアのカフェが世界に及ぼす影響の大きさがうかがえるだろう。
イタリアのカフェの成功の鍵は、独特のカフェ文化にある。イタリアでカフェを注文すると、デミタスカップが準備され、大きなマシンで一気に高圧抽出された濃色の液体が提供される。イタリアで「カフェ」は、エスプレッソコーヒーを指すのだ。これに砂糖をたっぷり投入して、強烈な苦みと甘みの奏でる絶妙のハーモニーを楽しむ。ところが、ここで終わらないのがイタリア流だ。ミルクを少し垂らしたカフェ・マッキャートや、倍量のカフェ・ルンゴといったお決まりのメニューに加え、「泡を少なめに」「ぬるめのお湯で」など、それぞれが思い思いの注文をする。エスプレッソをべースに、誰もが自分だけの一杯をつくりあげるのだ。嗜み方にも特徴がある。イタリアのカフェは、バールと呼ばれるコーヒースタンドのカウンターで立ち飲みするのが主流だ。容量が少ないため、一杯飲み干すのに時間はかからない。タイツと飲み干し、風のように店を去る。それを朝、仕事や授業の休憩時、食後と、日に何度も繰り返す。この習慣は、イタリアの町中に点在するバールを、たんなる飲食店ではなく、人々が他愛ない時間を共有する社交場とした。頻繁に顔を会わせて近況報告を行うことで、絆をますます深めるのだ。
ファンタジーを引き立てる素材
イタリアには、地方料理こそあれ、「イタリア料理」は存在しないとしばしば言われる。素材を生かした調理を基本とすることから、南北に細長く、地形も気候も変化に富むイタリアでは、料理にも地方ごとの特徴が色濃く反映されるというわけだ。パスタに関して言えば、北イタリアではバターや生クリームの使用が多いのに対し、南イタリアではトマトソースやオリーブオイルが多用される。また、内陸部では肉、沿岸部では魚介類が多く用いられる。カフェに関してもやはり、北イタリアでは浅煎り、南イタリアでは深煎りが好まれるなど、嗜好に傾向がうかがえる。しかし見逃せないのは、パスタとカフェがイタリアのすべての地方に偏在する事実だ。その意味で、パスタとカフェは、イタリアの食を代表するにふさわしい。
加えて興味深いのは、この二つの食材がいずれもイタリア原産ではなく、普遍性に富む点だ。たとえば、パスタは小麦粉と水というシンプルな原料からなる世界中で親しまれる食材であり、カフェもまた、水に次いで二番目に世界で多く消費される飲料だ。だとすれば、注目すべきは、これら普遍的な食材が、ほかならぬイタリアの地で、めざましい発展を遂げた事実だろう。基本的な素材がイタリアの地でさまざまに加工・洗練され、「メイド・イン・イタリー」の旗印のもと、世界に輸出されてゆく。外のものを取り入れ、好奇心いっぱいに改良し、魅力を高めたうえで改めて外へ発信する。素材がシンプルだからこそ、ファンタジーが生きる。パスタとカフェがイタリアの食を代表するゆえんだ。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )