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1999年の雑記帳の見出し 9月~12月

1999年09月

 09月01日(水) 今日の成果は永作のオレアナです
 09月02日(木) 自己組織化というものは周縁が中核になること
 09月03日(金) 「知」の方に専念します
 09月04日(土) 図書館員のための英会話ハンドブック
 09月05日(日) 今度の「モーニング娘。」の曲
 09月06日(月) 厖大に貯まった雑記帳
 09月07日(火) 不安定なのはつながっていないから
 09月08日(水) お客様とのネットワークのため
 09月09日(木) 中野さんの33歳の誕生日
 09月10日(金) 「SFPLへの旅」の6つの分野
 09月11日(土) ものすごくだるい
 09月13日(月) モチベーションには同化が必要
 09月14日(火) 「肩たたき」の面接
 09月15日(水) ナンバーが分かれば、家族構成まで分かる危険性
 09月16日(木) Webコンピューティングの勉強 
 09月17日(金) 知りたいことに応える
 09月18日(土) あれはたぬきです
 09月19日(日) 今日の一歩
 09月20日(月) 明日の出張は気分やすめ
 09月21日(火) Webビジネスは儲からない
 09月22日(水) もう一人の私へ
 09月24日(金) 結婚というキラーコンテンツ
 09月25日(土) GAZOOはキラーになりうるか
 09月26日(日) 恋愛をしなくては
 09月27日(月) 「ぼくはここにいます」という思い
 09月28日(火) 完全な孤独もいいです
 09月30日(木) 「ワルシャワ労働歌」が出てきました

1999年10月

 10月01日(金) 情報システムとジャまーるの関係
 10月02日(土) 組織でないボランティアを望みます
 10月03日(日) クルマがキラーコンテンツになるには
 10月04日(月) 生活を変えるために5時起きにしましょう
 10月05日(火) 向井千秋に書かれた本
 10月07日(木) 私も含めて、みんな「揺れ」
 10月08日(金) ミュージアムと図書館との違いは間
 10月09日(土) 篠田節子のネームプレートが出来ました
 10月10日(日) 81.2Kg じゃわじゃわ
 10月11日(月) アマゾン・ドット・コムに対する仕組みに不安感
 10月12日(火) 刺激の元は会社の情報と図書館の本
 10月13日(水) 美瑛図書館構想に絡む要素
 10月14日(木) VVCの内山さんの話
 10月15日(金) また、失職しています
 10月16日(土) 数学を習うことが一番重要
 10月17日(日) 83.4Kg
 10月18日(月) 締め付けられる感じが非常に強い
 10月19日(火) 日産はライバルではなかった
 10月20日(水) 私が知りたいのは「私はだれ?」
 10月21日(木) 美瑛図書館からメールが来ました
 10月22日(金) いつかは北欧へ行きましょう
 10月24日(日) また、視力が落ちています
 10月25日(月) 美馬牛から美瑛に行って空港から帰ります
 10月26日(火) 美瑛図書館構想に倉本聡
 10月27日(水) 完全に壊れかけています
 10月28日(木) 来週までに結論を出さないといけません
 10月29日(金) 肩が痛い
 10月30日(土) 刑務所図書館の存在
 10月31日(日) 最終的に私は何をしたらいいのか

1999年11月

 11月01日(月) 私というのはいろいろと考えているのですね
 11月02日(火) 私の世界観は「端を真ん中」にする
 11月03日(水) 手でもきくブレーキ
 11月04日(木) 戦闘態勢に入ります
 11月05日(金) オープンとクローズの問題が関係
 11月06日(土) 布団に見る「ほろびの哲学」
 11月07日(日) 82.3Kg ホット館
 11月08日(月) アマゾンの強さは、本来の本の強さ
 11月09日(火) コンプレックスとコンプレッキティ(複雑性)の因果関係
 11月10日(水) 自分の中の心の揺れを楽しめると一番良い
 11月11日(木) 本屋と図書館と市民の関係図
 11月12日(金) 50歳からの頭で考えた英会話
 11月13日(土) ここが役員と一般の境界線
 11月14日(日) ネットワークの海が分かった
 11月15日(月) 一人静かに将来に眼を向けましょう
 11月16日(火) 書き起こしを簡単にする方法はないのか
 11月17日(水) 考える時間が与えられているから考えましょう
 11月18日(木) 個人のシステム化
 11月19日(金) 存在を賭けて生きている
 11月20日(土) それからすると「人は孤独」です
 11月21日(日) 82.25Kg
 11月22日(月) 知りたいことは何?
 11月24日(水) 販売店の意識を変えるとかがマネできないところです
 11月25日(木) このいい加減な生活も長い 
 11月26日(金) 循環社会の根本は何ですか
 11月27日(土) 人が考えていることがビンビン感じて堪らない
 11月28日(日) 82.85Kg
 11月29日(月) 販売店はネットワーク時代にどうなっていくか
 11月30日(火) 1割の人が変われば、9割の人も影響を受ける

1999年12月

 12月01日(水) 考えている自分がいる以上は無ではない
 12月02日(木) 旅でのC to Cのアイデア
 12月04日(土) 市民が望むなら、公の破壊
 12月06日(月) 展開に3年かかることが問題
 12月08日(水) ドコモのインパクト
 12月09日(木) 自分をだますことはなくそう 
 12月10日(金) 中野さんとのメールは二日に1回ぐらい
 12月11日(土) 「知の全体史」は読みやすい本
 12月12日(日) 社会資本の中にボランティアの要素がある
 12月13日(月) 恋愛は私にとって趣味です
 12月14日(火) ドコモの2010年ビジョンで、だからどうなるの
 12月15日(水) 販売店が地場資本という課題
 12月16日(木) 「知る」ことのベースは自己実現
 12月18日(土) 2000年はパーとやりましょう
 12月19日(日) お客様の立場でのシミュレーション
 12月21日(火) 店舗へのこだわりが強い
 12月22日(水) 生きていることをベースにします
 12月23日(木) ナフコのカゴを持ち逃げするクルマ
 12月24日(金) 来年のキーワードは「呪縛からの解き放し」
 12月26日(日) コーヒーを飲みながら本を読める図書館
 12月27日(月) 正月は図書館に関する英語
 12月28日(火) 占いが何の意味も持っていない
 12月29日(水) さあ、私の旅はどうなるのか
 12月30日(木) ナフコに照れ屋の店員がいた
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1999年の雑記帳の見出し 5月~8月

1999年05月

 05月01日(土) 岡崎市図書館はいい加減
 05月03日(月) 研究計画書としてまとめる
 05月04日(火) 未唯は「たれぱんだ」が好き
 05月05日(水) 茨城トヨタのネットワークに全力を!
 05月06日(木) 水戸の図書館の調査
 05月07日(金) 名鉄の新特急の名前はミュー
 05月08日(土) 体験を売る
 05月10日(月) 自分の立場を曖昧にしておきます
 05月11日(火) ローカルとグローバルをつなげる
 05月12日(水) ネットワークの先まで考えましょう
 05月13日(木) サンフランシスコ公共図書館のOCR化
 05月14日(金) 本当に時間は戻らないもの
 05月16日(日) 81.95kg
 05月17日(月) 私の原点は中学のあの坂道
 05月18日(火) 学級崩壊と多様化
 05月19日(水) 岐阜サンモールは中央図書館
 05月20日(木) 哲学と理論を持っているのはトポロジー
 05月21日(金) トヨタはクルマにこだわりすぎ
 05月22日(土) 意義ある人生のためのポイント
 05月24日(月) 中野さんからのメールが1週間来ていません
 05月25日(火) プロジェクトはやれる人がやることが必要
 05月26日(水) SFPLは情報の入口です。知の入口
 05月27日(木) 図書館は知の入口
 05月28日(金) ナレッジワーカーの知的創造
 05月29日(土) SFPLで見てくるもの
 05月30日(日) 熱がなかなか下がりません
 05月31日(月) デカルトに対して、共感したのは

1999年06月

 06月01日(火) お客さんが知りたいことを理解するために図書館をやっている。
 06月02日(水) プロは進化できるもの
 06月03日(木) 同級会はあるけど、何も覚えていない
 06月04日(金) 「人間は一人では生きていけません」
 06月05日(土) コバルト文庫だけを集めて欲しい
 06月07日(月) 私の仕事は、問題のないところに問題を作ること
 06月08日(火) 依存しない・甘えないというスタンス
 06月09日(水) この悲しさを利用しましょう
 06月10日(木) 根本はローカルとグローバル
 06月11日(金) 本当にやりたいことは何?
 06月12日(土) 会議崩壊
 06月13日(日) 吉田屋のところ天がなくなった
 06月14日(月) ルマンは結局2位でした
 06月15日(火) 3億円宝くじ。当たったらいいのに
 06月16日(水) なぜ、哲学者が必要なのか
 06月17日(木) 女性への甘えを絶っています
 06月18日(金) 白木さんにかけましょう
 06月19日(土) もう一人の自分との対話
 06月21日(月) つまらない病になっています
 06月22日(火) 新しいこと
 06月23日(水) もう一人の自分を自由にしよう
 06月24日(木) ネットワークがおもしろくなってきました
 06月25日(金) フルートのつもりで英会話
 06月26日(土) 水中ウォーキングの女性に声をかけました
 06月27日(日) 図書館が人であふれている
 06月28日(月) ヴィドで二村さんがかけてきた
 06月29日(火) ローカルとグローバルができたのは四方さんのおかげ
 06月30日(水) 何をやりたいのかを考えない人が親になると子供は不幸

1999年07月

 07月01日(木) 大きなものの力を借りましょう
 07月02日(金) 頼れるのは位相しかない
 07月03日(土) 図書館にゆったりした空気が流れている
 07月04日(日) 幸福の科学が生誕祭をやっていた
 07月05日(月) 5人の女性に共通すること
 07月06日(火) アナロジーは図書館
 07月07日(水) 国業藤原との会話
 07月08日(木) 自動的にクルマが売れるシステム 
 07月09日(金) 幹大の提出資料は「酸性雨」
 07月10日(土) 岡村昭彦の「生きることは知ること」
 07月11日(日) 「図書カードを作ろう」キャンペーン
 07月12日(月) ECUのTCP/IPと無線の組み合わせ
 07月13日(火) 岡村さんの南ベトナム従軍記
 07月14日(水) 将来について知ることが「知」
 07月15日(木) トヨタの強みを弱くしたくない
 07月16日(金) 前田月美は図書館ボランティ
 07月18日(日) 日本ビジネステレビジョン
 07月21日(水) だから、プロは嫌いです
 07月22日(木) コンビニの進め方
 07月23日(金) 今後のコンビニのあり方
 07月24日(土) 図書館のパンフレットを持っていこう
 07月25日(日) 昼飯は食パンを採用
 07月26日(月) 自分で創ると云うことは全て情報発信
 07月27日(火) 知ると云うことが一番の課題
 07月28日(水) サポセンの計画を事業計画書にしましょう
 07月29日(木) 川瀬が思いきり滑っていた
 07月30日(金) 夏休み宿題受付コーナーはどうですか

1999年08月

 08月01日(日) 県図書館のミソかつ定食
 08月02日(月) 悲観的な見方に対抗する
 08月03日(火) 「SFPLへの道」
 08月04日(水) 自分を大きく、強く見せる必要はない
 08月05日(木) 図書館への論文をまとめる
 08月06日(金) 集合と点が全く同一であるという人工知能学会の議論
 08月07日(土) ファミリーマートに乾麺が増えている
 08月08日(日) 自分のことしか考えていない人間が嫌い
 08月09日(月) 水・木は論文を書きます
 08月10日(火) 疑似空間を作って考えます
 08月11日(水) ネット資本主義とザナドゥ空間
 08月12日(木) 一緒に歩ける人が欲しい
 08月13日(金) サンフランシスコへの道
 08月17日(火) 会社は相変わらずつまらない
 08月18日(水) 明日の資料作りに専念します
 08月20日(金) サンフランシスコは何をやっても目立たない
 08月21日(土) 金はないけど、あってもしょうがない
 08月23日(月) 図書館という社会資本が持つ意味
 08月24日(火) 今日の一歩
 08月25日(水) サンフランシスコへの一歩
 08月26日(木) 21世紀の多様性を認めるシステム
 08月27日(金) 「コンビニ研究」から「図書館研究」に移っています
 08月28日(土) 前田月見さんに会いました
 08月29日(日) 図書館とマーケティング
 08月30日(月) この人生をどう始めようか
 08月31日(火) 今まで幸せであったからいいと割り切る

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1999年の雑記帳の見出し 1月~4月

1999年01月

 01月02月(土) 一生懸命やるということをこの歳で出来るか
 01月03日(日) 気になることをまとめましょう
 01月04日(月) 久しぶりの会社で疲れました
 01月05日(火) 図書館と情報ステーションを完成させます
 01月06日(水) いつまでたっても,地球と人間に慣れない
 01月07日(木) シス企からきた小野君でネットワークが面白くなりそう
 01月08日(金) 土曜日は佐藤さんのお通夜
 01月09日(土) 図書館ボランティア
 01月12日(火) ヴィドでカルツォーネとホットミルク
 01月13日(水) 私のアウトプットって何ですか
 01月14日(木) オレンジ歯科で1050円
 01月15日(金) 明日は幹大のセンター試験
 01月18日(月) 自分の周りがあまりにも狭い
 01月19日(火) 寂しさというキーワードで革命が起こる
 01月20日(水) 自己申告はデータベースとシステムとネットワーク 
 01月21日(木) 月曜日に次世代の構想を出します
 01月22日(金) 「あなたはだれ」の答えは「私はソフィー」
 01月23日(土) ヴィツの新車発表会
 01月24日(日) 幹大は夢中になってやった事柄はない
 01月25日(月) 次期ははっきりしてないから苛立つ
 01月26日(火) デカルトがものすごく身近に感じられる
 01月27日(水) 販売店システムに魅力がない
 01月28日(木) 入力する気力がない
 01月29日(金) 技術部に行くことで分かること
 01月30日(土) トヨタの街は渋滞が多い
 01月31日(日) 「進路」についての本はどこにありますか

1999年02月

 02月01日(月) それにしても面白い時代になってきた
 02月02日(火) 「ネットワークガイドライン」の推敲
 02月03日(水) 時代は「赤毛のアン」です
 02月04日(木) 報告事項 電話と専用線
 02月05日(金) ものを考えるということを考えましょう
 02月06日(土) やはり、QV-10Aを直します
 02月07日(日) 今日と明日の間には無限の時間がある
 02月08日(月) ai21の要求仕様を一日でまとめた
 02月09日(火) 今日はほとんどネットワークの会議
 02月10日(水) 中野さんからのメールが戻ってきた
 02月12日(金) 親が死んだときの悲しさも知りません
 02月13日(土) 社会学の定義
 02月14日(日) 右翼の街宣車が止まっていた
 02月15日(月) 「ユー・ガット・メール」のメグ・ライアン
 02月16日(火) ネットワークの進め方のレジメ
 02月17日(水) 「図書館の達人」 
 02月18日(木) 茨城、栃木への特別体制
 02月19日(金) 今はあまり頭の中を見たくない
 02月20日(土) 次の次の求めていたネットワークの形態
 02月22日(月) 花粉症になりました
 02月23日(火) 情報と通信と図書館
 02月24日(水) 図書館は市民と資料をつなぐもの
 02月25日(木) 小塚さんだったので不整脈発生

1999年03月

 03月02日(火) 学習指導要領調査
 03月03日(水) プロはそれが使えるまでにするもの
 03月04日(木) 自分の中の二面性を感じます
 03月05日(金) 説明できるのはトポロジストだけ
 03月07日(日) あなたが好きです。奇跡を見せます
 03月08日(月) 土方さんと話すのは不毛です
 03月09日(火) 全体を設計できるのは私しかいない
 03月10日(水) 今日は20回目の結婚記念日。あまり家に帰りたくない
 03月11日(木) 「循環社会」は身近なところで完結する社会
 03月12日(金) マッキンゼーより私の方が進んでいる
 03月13日(土) なぜ、人間の好き嫌いが激しいのか
 03月14日(日) ICD-65 18800円
 03月15日(月) 緊張感を保つためにはテーマがいる
 03月16日(火) 中部大学に幹大が受かっていた 
 03月17日(水) 図書館の達人
 03月18日(木) データ・マイニングの基礎
 03月19日(金) 複雑性は組織と個人の方程式
 03月20日(土) 私の生活パターンは「無為」
 03月21日(日) 「売る」から「買う」になってきている
 03月22日(月) 名鉄協商の駐車場
 03月23日(火) ICD-65を活用する場面
 03月24日(水) 皆は幸せになりたいために生きているのか
 03月25日(木) このところ、ものすごく涙っぽい
 03月26日(金) 何のために生まれてきたのかを知らない内に死ななければならない
 03月28日(日) 宣戦布告が5セット
 03月29日(月) 通勤の時は「ヘーゲル伝」にしようか?
 03月30日(火) 多様化がお客様まで届けばすばらしい 
 03月31日(水) 最後がうまく行く事を信じるだけ

1999年04月

 04月01日(木) 自分を信じてやってみましょう
 04月02日(金) 彼らも寂しい。私も寂しい
 04月04日(日) 今日はカレー?の日
 04月05日(月) 私はいい人かもしれない
 04月06日(火) 桜が散っています
 04月07日(水) 私は多様性の研究者
 04月08日(木) ICレコーダの究極の姿
 04月12日(月) 結論に対してまっすぐにしないと
 04月13日(火) 私の役割は見えないものを見えるようにすること
 04月14日(水) 販売店の人とネットワーク研究会
 04月15日(木) ヒルトンで考えましょう
 04月16日(金) 図書館の返本が多くて片づきません
 04月17日(土) ガーデニングが一気に増えました
 04月19日(月) 本が持つ力を信じましょう
 04月20日(火) 重役の挨拶は論理的でない
 04月21日(水) 吉野屋とランプ亭との違い
 04月22日(木) 一回、ゼロにしたい
 04月23日(金) 福岡市総合図書館
 04月26日(月) 絶対、自分を矮小化しません
 04月27日(火) 外国の図書館に行ってみたい
 04月28日(水) プロジェクトの周りは病人だらけ
 04月30日(金) 結局、皆断片的です

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存在がある限り

存在がある限り

 存在がある限り、絶対、誰か出て来るはず。自分の視点しかない限り、それしかない。

 全ては自分のために用意されたもの。そして、私が居なくなれば、全てがなくなる世界。その感覚から抜け出ることはできません。このICレコーダー一つとっても、それは言える。

 必ず、私がそれなりのことをしていれば、必ず、私のための存在が現われてきます。

出会いに興奮するもの

 目指した図書館の前に立った時の感覚は独特です。興奮します。古代の図書館だろうと、ロバニエミだろうと、ニュージーランドの図書館にしても同様です。これは一冊の本にも言えることです。そこから拓ける空間は広大です。

 FBに載っている、料理の写真の比ではない。あんなものは何の情報にもならない。

未唯へ

 ボーダーを買いましょう。

未唯空間の位置づけ

 未唯空間は目的なのか、手段なのか。それで第1章は異なります。

 考えることで存在の力を発見した。それを内なる世界で醸造させる。その時点で、手段として、未唯空間を使った。その結果として、分化がキーであることが判明した。

 その観点から社会を見ていった方が、社会を分析するというカタチで一つのアウトプットを出すと同時に、最終目的である、全てを知るの方に行く。この順番で行きます。

 そうなると、社会の分析というのは、自分にとっては対したものではなく、全てを知るためであり、説明するためのものになります。これは自分というものに対しての、一つの考え方です。

歴史編の構成

 社会を変えたいのではなく、歴史を変えたい。それが歴史の出発点です。その為に、歴史を意味付けする。その為に、歴史認識があって、それをどう変えればいいのか。

 ヘーゲルの歴史認識のあり方。本来は歴史はこうなってきたというのが歴史認識です。つまり、自由を追いかけてきたのが、そして、国民国家を作り上げてきたのが、歴史であるという認識。

 個人の自由から皆の自由に。アテネの自由民だけの自由から、全ての人に対しての自由に。それは当然、格差を伴います。クローズドな空間で見れば、当たり前のことです。

 中国ではないけど、格差を作り上げて、それを追いかけることをエネルギーとしてきた。それはやがて、限界を向かえる。それが今のカタチです。

 では、歴史が変わるとしたら、その部分です。それを見ていこうというのが、第2章の歴史編です。それに則って、全体の構成も変えていきます。

 日本の歴史には、力が何も働いでいない。隅っこで蠢いているだけの歴史。宗教の力も民衆の力もない。単に安穏と暮らしたいだけ。その意味では、統一国家といいながら、地域だけで暮らしている。生産性もないし、拡がることもない。だから、歴史編からスポイルします。
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地方分権の効果--都市的な地方、農村的な地方

『民主主義の条件』より 多様な地方政治 てんでバラバラ

日本の「相乗り」は、地方議会で圧倒的に強い自民党を外して考えることができません。これは、もっと多様な政党の連合がありうる他の国との大きな違いです。既に説明したように、自民党が圧倒的に強かったのは、国政で長期政権を握っていたからです。そして、自民党の国会議員とつながることで地方の要望を実現できることがポイントでした。つまり、重要なのは、地方選挙ではなくて、あくまでも国政選挙であり、国政選挙で自民党を選択しておけば、地方選挙がどうあれ結果的に自民党主導の地方政治につながる、という構図だったわけです。

もちろん、他の国を見ると、有権者にとって地方選挙のほうがより重要ということもありえます。全国的な支持が広がらない主張でも、特定の地域で強い支持を受けることがあるのです。典型的には、地域の独立やさらなる自治を主張するパターンでしょう。イギリスには、スコットランドのみで支持を広げ、2014年にスコットランド独立の住民投票を主導したスコットランド国民党がありますし、カナダにもケベック州を拠点として独立を訴えることもあるブロック・ケベコワという政党があります。これらの政党は、地域の問題を重視する地方政党として、地方議会で議席を確保するだけではなく、国政の議会でも議席を持つことがあります。

地方政治が重要になると、「小選挙区制が二大政党化を促進する」という主張がなかなか当てはまらなくなります。確かに各選挙区の候補者は2人に収斂していくのですが、選挙区ごとに違う政党間で競争が行われて、国全体としては多党化することがあるからです。たとえば、もともと二大政党制に分類されていたイギリスやカナダでも多党化か進んでいます。さらに極端なのはインドで、小選挙区制なのに国会で議席を占める議員たちの所属政党は30以上を数えます。これらの国では、以前より地方分権が強調されるようになっており、国政と違うテーマでの地方政治の対立が表面化しています。

日本では、選挙制度改革による小選挙区制の導入後、自民党と民主党が二大政党を形成してきました。しかし、他の国々と同様、地方政治が意味を持つ可能性はあります。政党間の違いよりも、政党内での地方ごとの違いが大きくなるということです。たとえば東京など、都市の選挙区で競争する自民党と民主党の候補者は、非常に似通った政策的志向を持ち、その傾向は農村部でも同様です。そして、都市部と農村部での候補者の考え方の違いはずいぶん大きくなっています。

いつも自民党と民主党の違いはわかりにくい、と言われますが、それぞれの党内に同じように激しい対立があるのです。第7章では衆議院と参議院の選挙制度の違いが党内での対立を生み出す可能性について述べましたが、地方分権が進んで、都市と農村の主張がさらに大きく食い違ってくることでも、都市的な自民党と農村的な自民党、都市的な民主党と農村的な民主党のような分裂があるかもしれません。

実際に、2012年12月の総選挙には、地方で活躍してきた政治家の率いる地方政党が、国政に進出しようとしたという特徴がありました。前東京都知事の石原慎太郎と大阪市長の橋下徹を共同代表とした日本維新の会と、名古屋市長の河村たかしをリーダーとした減税日本です。これらは、「大阪都構想」「減税」といった大都市特有の争点での支持を背景に、国政に挑戦したものです。このときの総選挙は自民党の圧勝でしたが、日本維新の会は大阪周辺で善戦し、一定の成果を収めることになりました。
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組織としての政党

『民主主義の条件』より 政党組織  ヒーローなんていらない

組織としての政党

 政党を重要なものと考えるべき理由は、政党が政治における「組織」であり、個々の政治家にとっても政党を作るメリットが大きいと考えられるからです。組織であれば、政治家のみならず有権者を含めた多くのメンバーが、一定の目的のもとに協力することで、大きな成果を上げる可能性が期待できます。組織のリーダーのもと、メンバーが自分勝手な行動を取ることを抑制し、共通する仕事をメンバーに割り振って、分担して仕事をすることで、1人ではできないような仕事を成し遂げることができるからです。しかし日本の政党の多くは、個々の政治家がパラパラで組織として成立しているとは言えず、その潜在的な能力が発揮されていません。この第4章では、日本の政党にもフォーカスしつつ、確立された組織として政党が存在することに、どのような意味があるのかを考えます。

 政党がきちんとした組織として確立されることには大きなメリットがあります。それは、その意思決定が安定したものになるという点です。少人数ならまだしも、ある程度の規模の組織として意思決定を行うには、メンバーの合意を得るためにさまざまな手続きが必要になります。そして、組織として行った意思決定は簡単に変更することができません。だから、私たち有権者や政党に関わる関係者は、政党が掲げる組織的な目的--公約と呼ばれます--に期待することができるようになるのです。

 このような組織としての政党の確立は、日本の政党にとって大きな課題です。もし、政党が組織と呼べるものであれば、たとえば組織的な決定を経ずにリーダーが思いつきで発言をしたところで何の意味もないはずです。日本の多くの政党ではリーダーの思いつきの発言が政党の組織的な決定であるかのように扱われ、「公約違反」と問題にされたりもします。しかし、本当に公約を変えるなら、組織として手続きを行い、変更した理由を説明しなくてはいけません。その上で、十分な説明がされていないと判断する有権者は、次の選挙で違う政党へ投票することができるでしょう。

 組織といっても、そのメンバーが何の反対もなく必ず政党の決定に従おうとするわけではありません。選挙を考えると、候補者は個人として有権者にアピールすることを優先しがちです。有権者が望まない決定、たとえば消費税増税やゴミ処理場の建設、軍事基地の配置などを政党が行ったときに、その政党のメンバーは「自分だけは反対した」ということを有権者に伝えようとすることがあります。個々の政治家の勝手な行動を抑制して、政党を安定的な意思決定ができる組織として構成するためには、政党のリーダーが強い権限を持ち、かつ、政党の中で十分に議論を重ね、手続きに則った決定を行っていくことが必要です。

個人ではダメな理由

 政党が組織として確立される必要があるのは、メンバーの協力によって1人ではできない仕事ができるようになるから、というだけではありません。どれだけ優れていても政治家が個人として多くの有権者に対する責任を持つのが難しいことも、重要な理由です。

 まず、政治家が政党を作らずに個人として活動することの長所を考えてみると、組織にとらわれない柔軟な決定ができる、ということがあります。社会の変化に応じた新しい決定が求められているとき、組織だとさまざまな手続きに時間がかかりますが、個人ならすぱやく決断できるかもしれません。また、融通の利かない組織の決定ではなく、血の通った個人の感情に期待したいという考え方もあるかもしれません。

 しかし、そのような長所に比べて、短所が多すぎます。まず、柔軟な決定は無原則な決定になりかねません。状況の変化に流されて、以前の決定を簡単に変えてしまう可能性があるのです。どれだけ優秀なりIダーでも、個人に依存するのはリスクが高すぎるのです。個人が柔軟に決定するということは、将来どんな決定がなされるのかわからないということでもあります。その決定に振り回されると、有権者が政治に対して安定した期待をもつことができません。

 次に、政党の援助を受けずに個人が政治家として政治に参加するには、たくさんの資源が必要になるために、十分な資源を持つ個人以外は、政治に参加できなくなるという問題があります。特に重要になるのが金銭的資源、つまり政治資金ですが、これを個人で調達しなくてはいけないとなると、資産に恵まれていない人が政治に関わることが難しくなってしまいます。また、もともと資産を持っていない人が政治に関わろうとしたときに、多くの有権者のことを考えるよりも、政治資金を含めたさまざまな援助をしてくれる支持者に頭が上がらなくなってしまうおそれもあります。

 さらに個人は、選挙区や任期といった制約に大きくとらわれることになります。選挙に当選した政治家は、将来の有権者も含めた全体のことを考えて、意思決定するよう求められますが、何といっても選挙で応援してくれる支持者は重要です。支持者が好まない決定をしたら次の選挙が危うくなると考えて、近視眼的な決定をしがちになることでしょう。有権者から見ても、自分の選挙区ではない選挙区から立候補する候補者を落選させることはできませんし、任期が終わって引退したり落選したりした元議員に在職中の責任を追及することはなかなか困難です。

 柔軟さに欠けるとしても、政党は組織であるからこそ安定的な決定を可能にします。そして、組織として必要な資源を集めて個々のメンバーを支援することができれば、個人が特定の支持者から強い影響を受けるのを防ぐこともできるでしょう。何よりも、政党は、組織だからこそ、個々の政治家を拘束する選挙区という空間、任期という時間を超えて、安定的・継続的な決定をすることができます。有権者も、そのような決定を行う責任の主体である政党について評価することで、政治に対する姿勢を表明することができるのです。
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自然を傷つけることはできない

『倫理』より 環境保護は正しいことだろうか?

人類が自然に害を与えているというのは皮肉な考え方で、人類を自然の二郎と捉えるのではなく、自然から除外されたものと見なしている。この考えは、自然は被害者で、人類が侵略者であるという見方を奨励するようで誤解を招きやすい。

これが完全に間違っているとは言い難いが、そもそも不可能なことである。もちろん、私たちはある特定の生物に害を与えるが、しかし、自然自体を害することはできない。どうこうできるものではないのだ。それがどういう意味か説明しよう。

自然現象により、急速に冷たく凍り付いていく地球。そんな状況に私たちがいると仮定しよう。早急に対策を取らない限り2050年には世界の大部分が凍り付き、農業も不可能な状態になってしまう。熱帯地方でなら普通の生活が可能だが、食糧不足や人々の集団移動により壊滅的な打撃を受けるだろう。

そのような状況下で何をすべきかは明白だ。石炭を掘る、化石燃料を燃やす、熱帯雨林を切り落とす、できるだけメタンガスを発生させるためにウシを飼育する、燃費の悪い車を利用する。この場合、人為的な地球温暖化は道徳的要請であり、災害ではなくなる。

このシナリオが示すことは、今日の私たちの生き方は不道徳なものではないということだ。不道徳なものとなるのは、偶発的な要因によって、将来の生活が非常に厳しくなる場合に限る。世界が凍り付くシナリオを見ると、大量の二酸化炭素排出は比較的まし、あるいは、まったく悪くないことになる。

さて、私かこれまで述べたことはすべて、架空のもので真実ではない。概略的には深い「緑の党」の立場と言える。

説得力も根拠もないが、現在多くの人々が、自分たちは間違っていると判断していることだろう。なぜかわからないが、熱帯雨林の破壊などはそれ自体が間違っていることだと主張せざるを得ない。しかしなぜだろうか?その答えは、私たちに、地球そのもの、自然の生息環境やその他を破壊する権利などないという原理である。

この原理は、選択し難いジレンマを導き出す。生息環境やその他を失うこと自体が間違っていると仮定した場合、自然が本質的に間違っているというおかしな結論が残される。時間とともに生息環境は変化を遂げるものであり、生物は消滅を繰り返してきたからだ。たとえば、今まで生息していた生物の99・9%は今や全滅しているのである。

別の考えとしては、自然に発生したもの自体に誤りはないが、それを早めたり、自然の経路を変更したときは誤りとなるというものがある。その根拠は、人間が環境を変える方法は、その他の生物が行なう方法より自然的ではないというものだ。しかし、人類以外の生物も自然環境を激変させることができる。バックがどのように数千平方マイルもの草地を食い尽くすことができるか考えてみるとわかるだろう。だから、この考えは違うと言われても仕方がない。

自然界は、すべてが均衡を保った状態で収まるように進化してきたのである。もしそれが真実なら、私たちは自らの振る舞いをどうすることもできないし、自然もまた私たちが行なうすべてに順応するだろう。自然の振る舞いが生物多様性を減少させ、種を一掃することがあるかもしれないが、それによって被害を受けるものがあるとすれば、それは自然ではなく私たちだろう。

人間と自然の間に擬似的に区別をつけたとして、なぜ自然に起こる変化は良くて、人為的に起こるとだめなのだろうか?

理念や要因はおそらく関係がない。変化が良いことなのか、悪いことなのか、そしてそれは地球にとって良いことなのか、悪いことなのかを意図したわけでもない。ただ地球は存在する。生物も人間も存在しない数十億年前にも、そしてひょっとしたら人類が絶滅してしまっているかもしれない数十億年経った後でも地球は存在するだろう。私たちが地球を傷つける力を持っているという考えは思い上がりであり、私たちはもっと謙虚にならなくてはいけない。

地球について比喩的な表現をすると、地球にとって私たちは、一時的に発生するかゆみのようなものでしかない。地球の寿命は理解を絶するほど長いのである。自然は私たちが何をしても気にしない。なぜなら、自然は感情や考えを持っていないからである。そしてまた、仮に考えや感情を持っていたとしても、私たちがすることを気にしないだろう。
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