『「イスラム国」よ』より 「自由」と「秩序」について考えよう
ニーチエは時代を変えるょうな言葉を世界に放ちました。
「神は死んだ」
この言葉の解釈についてはさまざまな哲学的、歴史的、社会的背景がありますが、この頃から、西欧世界の「神」は絶対的なものではなくなりました。フランス革命で王権から自由になっただけではなく、教会の権力からも自由になった人間は、同時にキリスト教的な価値観による現実の世界の秩序や統合を失った、といった意味です。
統一した価値を見失ってから、西欧のキリスト教文化をもつ国に住む人間は新しい「価値観」をつくることがなかなかできまぜんでした。
西欧の神が死んだ後、資本主義は拡大し成長し発展してきました。拡大することを「価値」にしたために、いくつもの大きなほころびをつくってきました。それが「格差」「貧困」「地球環境の破壊」となって現れている。世界は息も絶え絶えになり始めています。
しかし、イスラム社会で神は死んではいなかった。ここが大事なところです。
たとえば、イスラム教スンニ派の考え方のひとつにサラフィー主義と呼ばれるものがあります。スンニ派の中でも「厳格派」とも言われる考え方ですが、一時はヨーロッパに追いつくために近代化も模索しましたが、じょじょに資本主義社会の中にある大きな問題に気がつき、むしろできるだけ預言者ムハンマドの教えやアッラーの言葉に耳を傾けるべき、という考え方になっていきました。
ここに大切なことがあります。西欧社会で「神が死んだ」と言い、資本主義を拡大さぜていった時に、イスラムの世界では、ますます神の存在が大きくなっていったのです。
イスラムの神は死ななかったのです。
「儲けること」以外に統一した価値をつくり上げることができなかった資本主義世界と、「神は偉大なり」のイスラム主義とのつばぜり合いが、今始まっているのです。
けれどまだ戦争をしているわけではありません。多くのまっとうなイスラム教徒たちがどれほどあたたかくて優しいか、僕は10年間自分の目で見て、肌で感じてきました。必ず僕たちは理解し合えると信じています。
イスラム教徒、キリスト教徒、ユダヤ教徒や仏教徒、その他たくさんの宗教や思想を持っているすべての人がお互いに理解し合える時が必ず来る。
一番大事なことは、まっとうなイスラム主義と、僕たちが生きている自由主義が信頼し合うことです。そのためには、僕たちは僕たちの生き方を顧みる必要があります。
僕たちが生きている社会は「自由主義」を選択しました。けれどこれからは、その自由主義は、単に競争を激化させて人を消耗させ、所得配分の不平等や格差を拡大する「新自由主義」であってはならないと思います。
本当に深い意味での「自由」を追求する自分の自由と他者の自由を共に大事にする「真・自由主義」でなければならないのです。成熟した自由主義を確立することによって、自由主義とイスラム主義は手を携えられるのではないかと考えています。そうなった時、常に過激な暴力を伴う思想を持つ組織、グループは、生き延びることができなくなると思うのです。
真の意味で自分は自由であるか。
他者の自由を認めて生きているのか。
刃や暴力を向けるのではなく、僕たち自身に問い直さなくてはいけないのではないでしょうか。僕たちの世界がまっとうになった時、初めてイスラム社会もまた、資本主義や自由主義や民主主義を真に理解しょうとしてくれるのでぱないでしょうか。
ニーチエは時代を変えるょうな言葉を世界に放ちました。
「神は死んだ」
この言葉の解釈についてはさまざまな哲学的、歴史的、社会的背景がありますが、この頃から、西欧世界の「神」は絶対的なものではなくなりました。フランス革命で王権から自由になっただけではなく、教会の権力からも自由になった人間は、同時にキリスト教的な価値観による現実の世界の秩序や統合を失った、といった意味です。
統一した価値を見失ってから、西欧のキリスト教文化をもつ国に住む人間は新しい「価値観」をつくることがなかなかできまぜんでした。
西欧の神が死んだ後、資本主義は拡大し成長し発展してきました。拡大することを「価値」にしたために、いくつもの大きなほころびをつくってきました。それが「格差」「貧困」「地球環境の破壊」となって現れている。世界は息も絶え絶えになり始めています。
しかし、イスラム社会で神は死んではいなかった。ここが大事なところです。
たとえば、イスラム教スンニ派の考え方のひとつにサラフィー主義と呼ばれるものがあります。スンニ派の中でも「厳格派」とも言われる考え方ですが、一時はヨーロッパに追いつくために近代化も模索しましたが、じょじょに資本主義社会の中にある大きな問題に気がつき、むしろできるだけ預言者ムハンマドの教えやアッラーの言葉に耳を傾けるべき、という考え方になっていきました。
ここに大切なことがあります。西欧社会で「神が死んだ」と言い、資本主義を拡大さぜていった時に、イスラムの世界では、ますます神の存在が大きくなっていったのです。
イスラムの神は死ななかったのです。
「儲けること」以外に統一した価値をつくり上げることができなかった資本主義世界と、「神は偉大なり」のイスラム主義とのつばぜり合いが、今始まっているのです。
けれどまだ戦争をしているわけではありません。多くのまっとうなイスラム教徒たちがどれほどあたたかくて優しいか、僕は10年間自分の目で見て、肌で感じてきました。必ず僕たちは理解し合えると信じています。
イスラム教徒、キリスト教徒、ユダヤ教徒や仏教徒、その他たくさんの宗教や思想を持っているすべての人がお互いに理解し合える時が必ず来る。
一番大事なことは、まっとうなイスラム主義と、僕たちが生きている自由主義が信頼し合うことです。そのためには、僕たちは僕たちの生き方を顧みる必要があります。
僕たちが生きている社会は「自由主義」を選択しました。けれどこれからは、その自由主義は、単に競争を激化させて人を消耗させ、所得配分の不平等や格差を拡大する「新自由主義」であってはならないと思います。
本当に深い意味での「自由」を追求する自分の自由と他者の自由を共に大事にする「真・自由主義」でなければならないのです。成熟した自由主義を確立することによって、自由主義とイスラム主義は手を携えられるのではないかと考えています。そうなった時、常に過激な暴力を伴う思想を持つ組織、グループは、生き延びることができなくなると思うのです。
真の意味で自分は自由であるか。
他者の自由を認めて生きているのか。
刃や暴力を向けるのではなく、僕たち自身に問い直さなくてはいけないのではないでしょうか。僕たちの世界がまっとうになった時、初めてイスラム社会もまた、資本主義や自由主義や民主主義を真に理解しょうとしてくれるのでぱないでしょうか。