未唯への手紙
未唯への手紙
OCR化した2冊
『カザフスタンを知るための60章』
遊牧地域からソ連の食料基地へ ★社会主義農業の確立★
ソ連崩壊とカザフスタンの独立 ★揺らぐ連邦制の中で追求した自立★
長期化するナザルバエフ政権 ★大統領への権力集中と強まる閉塞感★
外交・地域協力 ★「全方位外交」に見るリアリズム★
台頭する中国との関係 ★国境問題の解決と貿易・投資の進展★
急進的改革の是非はいかに ★世界経済の潮流に翻弄される資源国の体制移行★
「新興小麦輸出国」の憂鬱 ★市場経済移行下の農業★
石油ガス開発 ★外資との協調、輸出ルート多角化が不可欠★
鉱物資源 ★石油産業と並ぶ経済的原動力としての期待★
安全保障 ★軍の変化と国際平和維持活動の実践★
社会問題 ★ストライキ、過激派のテロ、ウクライナ紛争の反響★
在外カザフ人のカザフスタンヘの移住 ★「帰還」の夢と現実★
『90分でわかるハイデガー』
ハイデガー--思想の背景
二〇世紀の前半、哲学の流れはかつてないほど分裂していた。やがて、それは二つの流れへと収斂されていくが、お互いに対話が不可能なことも明らかになっていく。双方の立場は相容れないものだった。
一方が他方をまったくのナンセンスと断じれば、批判されたほうも相手を哲学の本質を見誤っていると切り返す。両者を取りなすなど、どう見ても不可能だった。
一方にあるのが言語分析の哲学。ヴィトゲンシュタインに多くを負う立場で、その名称が示すように、言葉を厳格に用いることを求める。言葉の誤った使用から哲学的な問題が生じるという。本来使用が許されない文脈で言葉が使われると、哲学的な問題という結び目ができてしまう。適切な分析を行い、結び目がほどければ、哲学的問題など消えてなくなる。そう主張する。
ハイデガー--生涯と作品
カントやヘーゲルの体系、世界がどのように動いているかについての視点を提供する体系--その基盤には形而上学がある。形而上学とは、自然の世界の経験からはとらえられない信念、自然世界を越えたところにある想定にほかならない(形而上学という言葉は語源からすれば、「自然学を越えて」という意味である)。
形而上学の体系、カントやヘーゲルが構想したような体系は、このころ、終焉を迎えている。ショーペンハウアーの体系すら、人々の関心をひかなくなっていた。過度に膨張した体系的な哲学に鋭い針を刺し、体系を粉々に爆発させたのはニーチエだった。梅毒による狂気の炎に焼かれ一九〇〇年にスキャンダラスな死を迎える前に、機知に富んだ警句で楽しそうに形而上学的な体系に致命的な一撃を与えている。ヘーゲルにとって「神は死んだ」は鋭い洞察力がもたらしたものだったが、ニーチエにとって神の死は自らの哲学全体の基盤になっていた。
ここでハイデガーは哲学の歴史に目を向け、哲学の歴史のなかに「存在の歴史」を識別していく。だが、「存在の歴史」は進歩の歴史ではなかった。進歩どころか、思わず存在を喪失していってしまう歩みとなっている。
いにしえのもっとも初期のギリシアの哲学者たち、ソクラテス以前の哲学者たちは、存在の問いについて深い思索をめぐらせていた。彼らの思考は、万物の基礎にあるこの根本的な概念の奥深くにまで到達している。
西洋の哲学は存在を忘れることで、存在の意味をほとんど自覚しない軽薄な存在へと人間を既めてしまった。存在という概念全体のうちに本来備わっているさまざまな特性を忘れてしまう。自らの存在が何を意味するか。このことについて本質的な自覚を何も持ち合わせていないまま、近代の人間は生活を送っているにすぎない。自らが「存在していること」はその遠さも広がりもすべて失っている。科学的知識と技術的知識の寄せ集めのなかで、人間の「存在していること」についての知識が蒸発してしまう。科学的知識と技術的知識など、本来は「知識」の名にまったく値しないものなのに……。単純な「ノウハウ」にすぎないのに……。
こうして人間の存在そのものが人間自身に失われていく。西洋の哲学は幾世紀にもわたり、もっとも根本的な自らについての経験を失わせるように人間を仕向けたといえよう。この「存在の忘却」が行き着く先こそ、ニヒリズムであり、技術に支配された世界である。存在について考える代わりに、思考の営みはもっぱら論理や科学や技術に、そして血の通わない哲学、ソクラテス以降の存在を忘れた哲学に還元されてしまう。やがて科学の時代という奈落にまで達する。だが、「科学は考えない」。
興味深いことに、ハイデガーと同じ時代を生きたヴィトゲンシュタインも同じような洞察にたどり着いている。ヴィトゲンシュタインはこう主張しているのである。
「神秘的なのは、世界がいかにあるのかではない。世界が存在するということである」
けれども、ヴィトゲンシュタインはそう言いながらも、こうした事柄については沈黙を守ることを選ぶ。ヴィトゲンシュタインの考えでは、このようなことはわれわれが知っている言語では語り得ないものにほかならない。
一九二四年のことであゐ。ハイデガーは、一人の魅力的なユダヤ系の若い女子学生が自分の講義に出席しているのに気づく。その後、学生の議論を耳にしていくうちに、見かけの未熟さとは異なり、傑出した哲学の才能があることがわかる。学生の名は、ハンナ・アーレント。東プロシアのケーニヒスべルクの出身であった。数週間のうちに濃密な哲学的議論が別の道に進み、哲学と同じように曖昧で多くの問題をはらむ感情的世界に迷い込む。
二人が愛人になったとき、ハンナ・アーレントはわずか一八歳、ハイデガーは三五歳であった。ハイデガーの手紙の文面からすると、彼が人生ではじめて激しい感情を経験したことはまちがいない。肉体的にも精神的にも感情的にも、あらゆる面で激しい感情がハイデガーを襲った。これは強力な啓示となる。それまでは、感情を抑え込んできた若き大学教授ハイデガーは農民風のジャケットをまといながら、自分は「生来控えめで感情を表に出さず、無骨である」といっていた。それが今や、自宅で妻と二人の育ち盛りの息子に囲まれているにもかかわらず、「私は孤独な生活を送っている」と同僚に宣言するようになる。
遊牧地域からソ連の食料基地へ ★社会主義農業の確立★
ソ連崩壊とカザフスタンの独立 ★揺らぐ連邦制の中で追求した自立★
長期化するナザルバエフ政権 ★大統領への権力集中と強まる閉塞感★
外交・地域協力 ★「全方位外交」に見るリアリズム★
台頭する中国との関係 ★国境問題の解決と貿易・投資の進展★
急進的改革の是非はいかに ★世界経済の潮流に翻弄される資源国の体制移行★
「新興小麦輸出国」の憂鬱 ★市場経済移行下の農業★
石油ガス開発 ★外資との協調、輸出ルート多角化が不可欠★
鉱物資源 ★石油産業と並ぶ経済的原動力としての期待★
安全保障 ★軍の変化と国際平和維持活動の実践★
社会問題 ★ストライキ、過激派のテロ、ウクライナ紛争の反響★
在外カザフ人のカザフスタンヘの移住 ★「帰還」の夢と現実★
『90分でわかるハイデガー』
ハイデガー--思想の背景
二〇世紀の前半、哲学の流れはかつてないほど分裂していた。やがて、それは二つの流れへと収斂されていくが、お互いに対話が不可能なことも明らかになっていく。双方の立場は相容れないものだった。
一方が他方をまったくのナンセンスと断じれば、批判されたほうも相手を哲学の本質を見誤っていると切り返す。両者を取りなすなど、どう見ても不可能だった。
一方にあるのが言語分析の哲学。ヴィトゲンシュタインに多くを負う立場で、その名称が示すように、言葉を厳格に用いることを求める。言葉の誤った使用から哲学的な問題が生じるという。本来使用が許されない文脈で言葉が使われると、哲学的な問題という結び目ができてしまう。適切な分析を行い、結び目がほどければ、哲学的問題など消えてなくなる。そう主張する。
ハイデガー--生涯と作品
カントやヘーゲルの体系、世界がどのように動いているかについての視点を提供する体系--その基盤には形而上学がある。形而上学とは、自然の世界の経験からはとらえられない信念、自然世界を越えたところにある想定にほかならない(形而上学という言葉は語源からすれば、「自然学を越えて」という意味である)。
形而上学の体系、カントやヘーゲルが構想したような体系は、このころ、終焉を迎えている。ショーペンハウアーの体系すら、人々の関心をひかなくなっていた。過度に膨張した体系的な哲学に鋭い針を刺し、体系を粉々に爆発させたのはニーチエだった。梅毒による狂気の炎に焼かれ一九〇〇年にスキャンダラスな死を迎える前に、機知に富んだ警句で楽しそうに形而上学的な体系に致命的な一撃を与えている。ヘーゲルにとって「神は死んだ」は鋭い洞察力がもたらしたものだったが、ニーチエにとって神の死は自らの哲学全体の基盤になっていた。
ここでハイデガーは哲学の歴史に目を向け、哲学の歴史のなかに「存在の歴史」を識別していく。だが、「存在の歴史」は進歩の歴史ではなかった。進歩どころか、思わず存在を喪失していってしまう歩みとなっている。
いにしえのもっとも初期のギリシアの哲学者たち、ソクラテス以前の哲学者たちは、存在の問いについて深い思索をめぐらせていた。彼らの思考は、万物の基礎にあるこの根本的な概念の奥深くにまで到達している。
西洋の哲学は存在を忘れることで、存在の意味をほとんど自覚しない軽薄な存在へと人間を既めてしまった。存在という概念全体のうちに本来備わっているさまざまな特性を忘れてしまう。自らの存在が何を意味するか。このことについて本質的な自覚を何も持ち合わせていないまま、近代の人間は生活を送っているにすぎない。自らが「存在していること」はその遠さも広がりもすべて失っている。科学的知識と技術的知識の寄せ集めのなかで、人間の「存在していること」についての知識が蒸発してしまう。科学的知識と技術的知識など、本来は「知識」の名にまったく値しないものなのに……。単純な「ノウハウ」にすぎないのに……。
こうして人間の存在そのものが人間自身に失われていく。西洋の哲学は幾世紀にもわたり、もっとも根本的な自らについての経験を失わせるように人間を仕向けたといえよう。この「存在の忘却」が行き着く先こそ、ニヒリズムであり、技術に支配された世界である。存在について考える代わりに、思考の営みはもっぱら論理や科学や技術に、そして血の通わない哲学、ソクラテス以降の存在を忘れた哲学に還元されてしまう。やがて科学の時代という奈落にまで達する。だが、「科学は考えない」。
興味深いことに、ハイデガーと同じ時代を生きたヴィトゲンシュタインも同じような洞察にたどり着いている。ヴィトゲンシュタインはこう主張しているのである。
「神秘的なのは、世界がいかにあるのかではない。世界が存在するということである」
けれども、ヴィトゲンシュタインはそう言いながらも、こうした事柄については沈黙を守ることを選ぶ。ヴィトゲンシュタインの考えでは、このようなことはわれわれが知っている言語では語り得ないものにほかならない。
一九二四年のことであゐ。ハイデガーは、一人の魅力的なユダヤ系の若い女子学生が自分の講義に出席しているのに気づく。その後、学生の議論を耳にしていくうちに、見かけの未熟さとは異なり、傑出した哲学の才能があることがわかる。学生の名は、ハンナ・アーレント。東プロシアのケーニヒスべルクの出身であった。数週間のうちに濃密な哲学的議論が別の道に進み、哲学と同じように曖昧で多くの問題をはらむ感情的世界に迷い込む。
二人が愛人になったとき、ハンナ・アーレントはわずか一八歳、ハイデガーは三五歳であった。ハイデガーの手紙の文面からすると、彼が人生ではじめて激しい感情を経験したことはまちがいない。肉体的にも精神的にも感情的にも、あらゆる面で激しい感情がハイデガーを襲った。これは強力な啓示となる。それまでは、感情を抑え込んできた若き大学教授ハイデガーは農民風のジャケットをまといながら、自分は「生来控えめで感情を表に出さず、無骨である」といっていた。それが今や、自宅で妻と二人の育ち盛りの息子に囲まれているにもかかわらず、「私は孤独な生活を送っている」と同僚に宣言するようになる。
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