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「考える」は本質に迫ることであり、自由になることです

未唯へ。朝、20分かけて、バス停に行ってから、財布とかカードを持っていないことが分かって、20分かかって、家に戻った。バスは30分遅れです。今後、こんなことが増えるんでしょう。

池田晶子さんの『人生は愉快だ』の「究極の本質洞察」で「考える」ことに言及していた。私の中学以来のトラウマに本当によく似ている。ここまでの割り切りはできていなかったので、言葉が与えられてうれしい。

 ・「考える」ということは、本質を洞察するということ以外の何ものでもない。

 ・現象の本質を洞察するという行為が、人がその人生を生きるということと別にあり得ると思っているのだ。しかし、もしも考えることが生きることと別のことであり得るのなら、いったい何を知りたくて人は考えたりするものだろうか。

 ・人がそれを知りたいために考えるのは、いつだって、現象すなわち人生の本質を知りたいために決まっている。「本質」と言って難しければ、「本当のこと」と言えば間違いようがない。人が考えるのは、本当のことを知りたいためだ。本当のこと変わらないことだけを見抜き、捉え、力強く生きてゆくためだ。

 ・もしも人が本当に自由でありたい、自由に自分の人生を生きてゆきたいと希うのであれば、現象における本質、不動の本質をそこに見抜く、つまり「考える」以外には、やはりあり得ないのである。

 ・考えて、初めて人は本当に知るだろう。なるほど時代とは動くもの、万物は流転するものであると。現象がその本質において流転していると見抜くことは、おそらくは、究極の本質洞察であるはずだ。

会社では、「考える」の5次元シートを作っていた。「考える」ことを考えていた。何しろ、「考える」ことは、私の唯一の趣味です。池田さんに比べると、真剣さが足りません。それと言葉が貧弱です。思い立った処から始めよう。

とりあえずは、4つの方向をざっくりと決めました。

 ①日常的な変化を織り込む
 ②考える手段を含めて、本質を考える
 ③7つの方向から世の中の構造を知る
 ④本質を表して、皆に分かるようにする

その結果として、以下の課題を解決する

 ゴチャゴチャでまとまらない。
 アウトプットが少ない
 時間を超えられない
 他人との関係に悩まされる

このシートはゆっくりと作り上げましょう。
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