歴代誌第二 19章
緑濃い夏の装いの当地です。火曜日は少し蒸していましたが、昨日は昼前の大雨の後で空気が冷たくなり、さわやかな一日でした。
水曜日の午前の祈祷会では、「みことばの光」のその日の箇所を読み、発見したことや考えたことを分かち合っています。アハブが変装し、ヨシャパテには王服を着て戦いに出るようにと提案したのを、ヨシャパテがすんなり受け入れたということについて、本欄では「ヨシャパテの人の良さのようなものを感じてしまう」と書きました。けれども、きのうの分かち合いの中で、ある方が「ヨシャパテは神に信頼していたからではないか」とおっしゃったのです。なるほど、と思いました。分かち合うことで自分一人で読んでいるときには気づかないことに改めて目が開かれるというような経験でした。
きょうは、1節の「ユダの王ヨシャパテは無事に自分の家に帰り…」ということばが心に留まりました。「無事」は主が助けられたからであることをだれよりも知っていたのは、ヨシャパテ本人でした。ですから、このあとヨシャパテがしたのは、あの窮地にあって自分を助けてくださった主のために生きる、歩むということでした。
ヨシャパテは、ラモテ・ギルアデでの戦いでいのちを落としても仕方がないようなことをしたのです。しかし、そのような彼を無事にお返しになったことに、主の恵みとあわれみの御手をおぼえます。数限りない失敗をし罪を犯す者であるのに、主のあわれみによって生かされているのです。