サムエル記第一 19章
久しぶりに、火曜日午後のドイツ語のおしゃべり。きのうのテーマはそばを流れる川の源流はどこか? そんなにきれいとは言えない川ですが、この辺りは周りに緑が多くサイクリングやウォーキングの絶好の場所。この川沿いに70キロほど遡(さかのぼ)ると源流の地で、そこは泉が湧いているとのこと。さっそく来週のお休みに出かけてみることにしました。自動車ではおよそ1時間ですが、歩くと何と17時間ほどとのこと。もちろん自動車で…。
サウルにいのちを狙われてのダビデの逃避行はこの章から始まります。王であることを斥けられているサウルは、それでも自分の地位を守るために宿敵のダビデを殺すと決めました。そこに立ちはだかったのは二人ともサウルの子どもたち。一人はヨナタン。破れた関係の間に立って仲介します。まずダビデに安全な場に身を隠すようにと伝え、父には理路整然とダビデを殺すことの非を訴えていきます。
ヨナタンのことばにサウルは心を変えるのです。ヨナタンには父の暗部を探ろうとする疑心もなく、サウルには息子のことばを聞いて翻意する素直さも見られます。これによってダビデは再びサウルに仕えるようになります。
けれども、またもや戦いがサウルの気持ちを嫉妬へと駆り立てます。9節に「わざわいをもたらす、主の霊が…」ということばがあります。これは、神がサウルの意志と関わりなく悪霊を送ってダビデを殺そうとするということではなくて、殺意を募らせるサウルが、わざわいを自分にそして隣人に呼び込むのを、このようなことばによって表していると考えることができます。
二人目はダビデの妻となったサウルの娘ミカルです。彼女の機転はダビデのいのちを救うことになります。ヨナタンとは違い、ミカルは父をだましてダビデを助けます。ミカルと父との間の心のずれのようなものが伝わってきます。
本章の終わりの部分には、殺意を募らせてダビデを追うサウルが神の霊に満たされて預言するという不思議な光景も描かれます。神が彼をご自分の霊で満たして、預言させることによってサウルの本来の務めをしないように導かれたということでしょうか。罪を犯そうとする者への神からのブレーキを覚えます。ここでしっかりとどまっていれば…。