ヨハネの黙示録 21章9−27節
昨年購入した多機能型プリンタのコピーとスキャナーが壊れたので、修理に来てくれました。感光体ユニットが壊れたのではないかと思っていたのですが、そうでした。新しいユニットと取り替えて修理完了となりました。部品を変えて…ということではなくて、ユニットの交換なのですね。プリンタは故障してもコピーや印刷ができないぐらいで済みますが、新幹線の台車が破断寸前だったと聞くと、ぞっとします。新しい天と新しい地の「新しさ」とは、時とともに劣化し、古びてしまうものではありません。
ここには、子羊の妻である花嫁の着飾った様子が描かれています。花嫁とは「聖なる都エルサレム」のこと。花嫁は神の栄光でまぶしく輝き、この世界にある宝石で言い表すとしたらこうだ! というほど装っています。ですから、それらのことばで形容してもし尽くせないほど着飾っているのです。たとえば、十二の門が「それぞれ一つの真珠からできていた」とありますが、そのような真珠は今の世界にはありません。
この都には神ご自身と子羊がおいでになるのですから、神殿は必要がありません。
エルサレムには、ソロモンの神殿から始まる三つの神殿が建てられましたが、そのどれも今は存在しません。新約聖書の時代には、子羊なるキリストを信じる一人一人が神の御霊がお住いになる宮であるとされていました。しかし、この世界では私たちの罪ゆえに(十字架の贖いによって赦されてはいますが)、そのからだは不完全なものなのです。
「神殿が都の中にない」ということばは、「あるべきものがない」のではなく、あるべきお方がおられるという都の完成、礼拝の完成を、高らかに宣言しているのです。このような所におらせてもらえるのは誰なのかとの問いが湧いてきます。