ゼパニヤ書 1章
昨日は小さなピアノの発表会にお邪魔してきました。当初は、礼拝で使用している場所で行っていただく予定でしたが、新型コロナウィルスの影響でその場所が使えなくなり、急きょ教えている方の自宅で行うことになりました。
演奏する三人のお友だちとお母さん、そしてお友だちとお母さんも来られて、大盛況でした。この場所で行えてかえって良かったのでは…と思いました。みんな伸び伸びと演奏して感動しました。私はひと足お先にイースターの話をさせていただきました。
1節には、ゼパニヤ書の時代背景があります。「ヨシヤの時代」は、南王国ユダの末期近く。彼は王として、いわゆる宗教改革を推し進めた善王として名を残しています。ヨシヤが何をしたかを記した列王記第二22−23章や歴代誌第二34−35章に、ゼパニヤの名はありません。しかし、ヨシヤ王の改革には、ゼパニヤの働きが何らかの影響を与えたと考えられます。
わずか3章から成る本書は、一貫して来るべき主の日についての預言が書かれています。その日は、神を神とせずに自分たちの思い描いた偽りを神として拝むような者たちへの、神の厳しいさばきの日として描かれています。そこに容赦はありません。
思いやりとあわれみに満ちた神がこのようにお語りになるのは、どれほど彼らの罪が甚だしいものだったかを示しています。
「主の日は近い」は、神の民にとっては待望すべき日です。「来てもらっては困る」と混乱することなく、「主よ来てください」と待ち望みたい、です。