サムエル記第二 13章1−19節
ダビデの長子アムノンは、異母妹のタマルに恋心を抱きます。そのような関係ゆえに、具体的に何もできないと悶々としているアムノンの思いを読んでいるかのようにして、ヨナダブが知恵を授けます。悪知恵とはまさにこのようなことを言うのでしょう。アムノンは父ダビデをだまし、タマルと関係を持ってしまいます。
15節に「アムノンは、激しい憎しみにかられて、彼女を嫌った」とあります。あれほどタマルを恋しいと思って矢も楯もたまらずにいたアムノンが、タマルを無理やりに辱めたあと、なぜタマルを嫌ったのでしょう。
タマルにしてみたら、それこそたまったものではありません。陵辱された彼女がどんなにみじめな思いでいたのか、大きな傷を負ったのかを少しも顧みるでもないアムノンは、それどころか彼女を嫌ったのです。これは、ほんとうはアムノンがこんなことをした自分自身を嫌ったということをこのようなことで表わしたのではないでしょうか。
なすべきではないことをしてしまって自己嫌悪に陥る自分を正しく責めて神のさばきを覚悟するのではなくて、むしろ深く傷つけた相手を嫌うというのは、あってはならないことですが、今でもありうるのではないでしょうか。
この出来事は、父ダビデの姦淫と殺人という大罪の結果、ダビデとダビデ家が負うべき罪の結果だと考えられます。しかし、ダビデとアムノンとの違いは、神の前に自分が罪を犯したと認めるかそうでないかの違いだと考えます。
真の罪の悔い改めに至るのは難しいこと、しかし、そこを避けては罪の汚れからの救いはありません。