みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

とどまった王

2019年07月23日 | サムエル記第二

サムエル記第二 11章

 きょうから日曜日までルーマニアに行きます。欧州に住むキリスト者の集いが持たれるからです。出発前日の月曜日は、残された準備であっという間に一日が過ぎました。準備の一つに散髪も…。いつもの人ではなかったのですが、「いつものようにそんなに…」と言うと、「『そんなに短く切らないで』でしょう」と言ってニッコリ。知られていたのです。はさみ使いの速いこと凄いこと、7,8分で終了しました。出来栄え…ですか? いつものよう、です。

 「いつものように」しなかったダビデは、大きな罪を犯してしまいます。姦淫の罪、盗む罪、偽りを図る罪、人殺しの罪です。王として、対外的に安定を築き、ヨナタンのこどもに真実を尽くすなどして、順調に歩んできたダビデが、どうして…と誰もが思うような罪に罪を重ねて転落するのが、本章にあることです。

 絶頂期にある王として、ダビデは対外的な戦いを将軍に任せても問題がないまでになっていたのでしょう。しかし、聖書は「しかし、ダビデはエルサレムにとどまっていた」と記します。これが、暗転のきっかけとなるのです。確かに、10章のアンモン人との戦いの折にもダビデはまずヨアブと勇士たちを戦いに遣わします。しかしダビデは、アラムとの戦いでは自分から全軍を率いてヨルダン川を渡るのです。「いつものように」歩むことの大切さを教えられます。祝福を賜わる者は、ときに祝福ゆえに慢心に陥り、誘惑への警戒を怠りかねません。

 もう一つ考えたことは、ダビデ王の恥部とも言える事件をこのように明らかにしている聖書は信頼に足る神のことばだということです。ここでは、美化するでもなく、取り繕うことなく、ダビデの行状をありのままに記しています。そして神は、彼の一部始終を見ておられるのです。一体どのような思いで…。

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