みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

御霊によるのか、悪霊によるのか

2019年06月14日 | マタイの福音書

マタイの福音書 12章22−37節

 近くの公園の広大な原っぱの草が刈られました。刈られた所にカラスが群がっています。なぜだろうと思いながら歩いて行くと、原っぱ沿いの道にバッタやナメクジが。原っぱにいた虫たちがびっくりして移動したのでしょう。そして、烏や鳥たちがその「ごちそう」を狙って集まって来たのです。

 イエスが悪霊につかれて目が見えず、口もきけない人をお癒しになったことで、群衆はダビデの子なのではないかと言って驚きました。それは、目の前でイエスが次々に人々を癒すのを見た人のある意味で当然の反応でした。

 ところが、イエスにあくまでも敵対し続けるパリサイ人たちは、悪霊どものかしらによって悪霊どもを追い出していると言うのです。偏見に基づく反感、自分たちの確信を崩されることによる憎しみなどが入り混じり、見るべきものを見ることができないのです。

 イエスは彼らに、御霊によって神のわざを行っているご自分に、悪霊のわざだと言うことがどれほど危険なことなのかを彼らにお語りになっています。

 何かを見たから信じるのではなくて、見ないでも信じる信仰を神によって与えられるのです。37節の「自分のことばによって義とされ、…自分のことばによって不義に定められる」という主イエスのことばを心して受け止ようと思います。


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