ヨハネの福音書1章14-28節
さわやかな夏空の下、ヴォルムスとマインツを訪ねました。ヴォルムスはルター宗教改革500年を記念して、「ルター色」が濃いというところでしょうか。今回は初めてユダヤ人墓地を訪ねました。11世紀後半から20世紀前半になくなったユダヤ人が埋葬されている所です。この町に暮らしてた方々でしょうか。ここにはユダヤ人のコミュニティがあったのですね。
きょうの箇所には、「証言」というタイトルを付けました。
この福音書の著者、弟子のヨハネは「私たちはこの方の栄光を見た」と証言しています。彼は、この福音書の中では自分の名前を伏せますが、イエスの愛する弟子として度々登場しています。彼は、イエスのすぐそばにいた者の一人として、「私たちはこの方の栄光を見た」、「この方は恵みとまことに満ちておられた」と証言しているのです。
遠くから眺めるととても立派だと思う人はたくさんいます。しかし、近くでいっしょに過ごすと何かしらその人のぼろや欠点が気になるということもたくさんありますね。ヨハネはしかし、すぐそばにいることのできたものとして、イエスは「恵みとまことに満ちておられた」と証言しているのです。ヨハネを初めイエスの弟子たち、後に使徒たち、はいのちがけの証言をしました。イエスは神なのか、そうでないのかについて、聖霊の満たしを受けて、はっきりと「ことばは神であった」…「ことばは人となって私たちの間に住まわれた」と証言しています。
すぐそばにいた者から、「恵みとまことに満ちていた」と言われるのならば、それは偽りのないことです。証言とは、その人の存在を賭けるものです。いい加減なものではありません。それは、この部分の後半のバプテスマのヨハネの証言にも言えるのです。
そして、私たちの証言も…。