歴代誌第二 23章
8月が終わろうとしている今、「みことばの光」は12月号の編集に取りかかりました。「光ややみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった」とヨハネの福音書の出だしにあります。南王国ユダが存亡の危機という暗黒時代を通される中でも、「主はダビデとその子孫にいつまでもともしびを与えようと、約束されたからである」とのことばどおりのことが志を抱く人々によって起こるのです。
それにしても、生まれて間もないヨアシュを6年間もアタルヤに見つからないようにかくまうというのは、どれだけ難しいことだろうかと思うのです。アタルヤ以外のすべてが「結託」するほどのものがなくては発覚してしまうのではないか、と考えました。それはつまり、ユダの多くの人々にとってアタルヤは恐怖の対象以外の何ものでもなく、彼女には人望がなかったということを暗に伝えているのではないでしょうか。
また、暗黒時代に、ダビデの子孫にともしびを絶やさないために神がお用いになったのは、ヨアシュをかくまったエホヤダと妻のエホシェバだけではありません。22章1節には「エルサレムの住民は、彼の末子アハズヤを…王とした」とあり、23章8節には、「レビ人およびすべてのユダの人々は、…」と、そして21節には「一般の人々はみな喜び…」とあります。
「一般の人々は」(新共同訳聖書「国の民は」)ということばを心に留めました。教会の歩みにも大切なことを教えているように思うのです。
*フランクフルト大聖堂(ドーム)内部〜主イエスと弟子たちの表情が生き生きとしてます