みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

すべての民の祈りの家

2014年11月22日 | イザヤ書
イザヤ書 56章


 島根県や鳥取県の海岸、やがて琵琶湖が見えてきます。遠くには富士山が頭を雲の上に出しています。さすがに日本一の山。どこからも見えるのですね。北アルプスの向こうには諏訪湖、それから信濃平。千曲川が光っています。あの辺りに、友人のOさんが住んでいるんだっけ。
 そこを過ぎると利根川の流れが輝き、そばには見たことのある形の山…。赤城山の一つ鍋割山です! そして、日光の中禅寺湖と男体山、那須野が原ヘと景色は続き、久慈川から水戸市の上空へ。…
 晴れ渡った朝日の中で、日本の景色を空から眺めながら戻って来ました。

 56章では、「その民から切り離される」とか「枯れ木だ」とか言われていた外国人や宦官が、礼拝の民として主に迎えられ、受け入れられています。一方では、自分のつとめが何であるかを悟ることなく貪欲で惰眠をむさぼる牧者がいます。
 ここにあるのは、「贖われた新しい神の民の刷新された礼拝」だときょうの「みことばの光」は書いています。
 「黙想」からは、やがて完全に実現する新しい神の民が捧げる礼拝が、すでにキリストの教会で実現されているはずなのですが、「さてどうなのだろうか」という思いを抱きました。

 「わたしの家は、すべての民の祈りの家と呼ばれる」というみことばが、それぞれのキリストの教会に実現されますように。


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