みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

神の国のことを、…イエスのことを

2011年09月15日 | 使徒の働き
使徒の働き28章17-31節


 昨晩は、アメリカのニューヨーク近郊の日本人教会での働きをしている牧師さんが教会の夜の祈祷会を訪ねてくださいました。というと、「ああ!」とおわかりになる方もおられるでしょう。
 残暑が厳しいですが、先生のショートメッセージと報告とで、出席した人たちの心も熱く燃えました。終了後、我が家でしばし歓談。気がつくと日が変わっていました。きょうも二箇所の教会を訪ねられるというのに、すみません!
 
 おいしいものもあとわずかとなると、何となくもったいなく、ちびりちびりと食べている自分がいたりしますが、「使徒の働き」もいよいよきょうでひとまずおしまい。名残惜しいですね。
「みことばの光」の通読計画では、5年後までしばらくサヨナラです。(もちろん、いつでも読めるのですが…)
 
 きょうの箇所は、パウロのローマでの宣教の様子を垣間見せています。改めて発見したのは、パウロが「神の国と、…イエスのことを教えた」ということ(23、31)と、福音を聞いた人々の二通りの反応についてです。それは、イエスを主と受け入れるのか拒むのかという反応です。すでに、「使徒の働き」では福音が届けられた至る所で繰り広げられてきた光景です。そして、このことは今に至るまで続いています。

 パウロを訪ねたユダヤ人たちは、「お互いの意見が一致せずに」とあります。キリスト者があいまいな笑顔を回りに見せ続けるだけならば、そこには「不一致」も「分裂」もありません。それとともに、いのちをもたらすこともないのですね。

 よく「使徒の働き」は今もなお書き続けられている、と言われます。
 「そして、主の教会は今もそれを続けている」との文章が加えられているのかどうか、チャレンジされます。





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