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霜後桃源記  

安心、安全と美味しさへのこだわり
そんな「こだわりの農業ブログ」を毎日更新
主役の妻は生産部長、夫は営業部長兼雑用係

雨の日は「日帰り温泉」

2023-04-15 20:28:13 | 温泉
 朝の産直巡り後にウルチ米の苗をハウスに搬入した。 
 先日の餅米の際は次男の応援を得たが今回は二人での作業となり、運搬車で
2往復した時点(写真)で集中力が無くなりかけたので昼食休憩とした。
 その中断が幸いし疲れも回復し、最終の3回目はスムーズに進めることが
出来た。


 午後の作業開始前から雨が降り出し始め、その後に予定していた外仕事が
出来なくなったで、先週に引き続き真湯温泉に出かけた。
 露天風呂からブナを中心とした林を眺めながら大自然を満喫し、一週間の
疲れを癒すことが出来た。
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棚からぼた餅

2023-04-14 20:49:29 | 耕地整備
   工事中の吉ケ沢の耕地は数年前に2人の所有者から譲り受けたもので、
その際の圃場整備で「大きい一枚」にするよう希望したが、耕地を分断
するように堰が走っていて実現出来ずにいた。
 ところが、今回は業者側から堰の設置替えの提案が有り、「渡りに船」
とばかりに飛び付いた。
 今回の一連の工事で隣接する山林が撤去され原野や堤が耕地に変わるが、
棚からぼた餅とも言える「耕地の一本化」が一番の成果かもしれない。


 写真は、一週間前のハクモクレン。
 霜で茶色に変色しながらも花びらを付けていたが、昨日の強風で全部吹き
飛ばれてしまった。
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「酒は百薬の長」は嘘 

2023-04-13 21:27:48 | 家族
 三日間農作業を手伝ってくれた次男が夕方帰京した。
 作業の大半はトラクタでの耕起だったが、その内の一枚は面積が約1haと広く、
時間の掛かる畑だったので大助かりだった。

 お礼として「手打ちうどん」でもてなすところだが、今回はその時間が無い
ので昼食は三回とも外食(冷麺やざる蕎麦)で勘弁して貰った。
 それでも「麺類大好き人間」なので十分に満足してくれたようだ。

 朝と夕は我が家の通常の食事で対応したが「ご飯も味噌汁も美味しい」を連発
し何杯も御代わりをしていた。
 歓んで貰えたのは嬉しいが「普段の食生活が貧弱過ぎるためでは」と逆に心配
になって来た。


 徒然草で「百薬の長とはいへど、よろづの病はさけよりこそおれ」と、
否定的な表現で用いられているように、「酒は薬物以上に人の健康を害して
いる」と次男は何度も口にし、今回も酒は一切口にしなかった。
 しかし、それに気付くのがやや遅く「証文の出し遅れ」となったような
気がしないでもない。
コメント (2)
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人を殺すのが戦争

2023-04-12 20:45:06 | 社会
 戦争の本質を看破した名言は数多く残されていて「金持ちが戦争を起こ
し、貧乏人が死ぬ」(サルトル)や「戦争はいつだって老人が始め,若者が
犠牲になる」 (落合信彦)等々枚挙にいとまがない。
 権力者がどんな大義名分を掲げようとも、それが欺瞞に満ちたものである
ことは現在進行形の「プーチンの戦争」が如実に証明している。

 そんな名言の一つに今朝の毎日新聞が紹介していた「人を殺すのが戦争」
加えたい。


 (天候にも恵まれ、工事は順調に進んでいる)

毎日新聞「余録」(2023.4.12)
「でいごの花が咲き 風を呼び 嵐が来た」。30年前に大ヒットし、今も
歌い継がれる「島唄」。作者のシンガー・ソングライター、宮沢和史(みや
ざわ・かずふみ)さんが沖縄の「ひめゆり平和祈念資料館」を訪れたことが
きっかけで生まれた▲78年前の3月下旬に軍の看護要員として動員された
「ひめゆり学徒隊」。米軍上陸後の戦闘で教員18人を含めた240人中136人が
死亡した。1989年に開かれた資料館では「死者の思いを代弁したい」と
元学徒が戦争体験を語ってきた▲その一人で館長を務めた本村(もとむら)
ツルさんは沖縄師範学校女子部の卒業直前に19歳で動員された。「あとで
迎えに来ると言ったのに行かなかった」。重傷の友人を置き去りにした
罪悪感が約35年の教員生活の間も消えず、退職後に資料館開設に奔走した
▲後輩の元学徒が「全校生徒の憧れの的だった」と話すリーダー格。
開館時には自ら犠牲者名簿を書いた。30年前に上皇さまが天皇として初めて
沖縄を訪れた際には資料館で案内役を務めた▲米潜水艦に撃沈され、沖縄
から本土への疎開児童ら約1500人が亡くなった対馬丸には妹と弟が乗って
いた。若い人たちには「人を殺すのが戦争です。戦争を体験すればわかる
けど本当は体験してはいけないこと。当時の戦争のことをうんと勉強して
伝えてほしい」と望んでいた▲沖縄戦への思いを込めた島唄には97歳で
亡くなった本村さんらの願いが引き継がれている。嵐はいらない。「海よ
宇宙よ 神よ いのちよ このまま永遠(とわ)に夕凪(ゆうなぎ)を」

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次男の応援

2023-04-11 21:21:13 | 家族
    東京の立川で暮らす次男が応援に駆けつけてくれた。
    今日は、餅米の苗箱をハウスに運び並べる日。
   年寄りには負担過多な「肉体労働の日」だったので大助かりとなった。
 それでも、普段は力仕事とは無縁なので終盤には「立ち眩み」が生じた
らしい。



 (その後はトラクタを運転して畑の耕起をしてくれた)

 次男は「この仕事でいくらになるの?」訊くことが多いが、今日も同じ質問を
して来た。
「米作りは、収支トントンで利益は殆ど出ないが、農業の魅力はお金では計算
できない。契約金に拘ることなく野球道を究めようとしている大谷翔平と同
心境で取り組んでいる」
 と答えたが、多分通じなかったものと思われる。
コメント (2)
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