バレーボールはアタッカーが目立つスポーツだが、実はセッターが重要な役割を占める。
セッターがいいトスを上げないとアタッカーも「ウドの大木」になり兼ねない。
チーム作りをする際、私は、アタッカーよりもセッターを重視した。
セッターは「誰でも出来るポジション」ではなく、しかも、ブロッカーの役割も果たさなければ
ならない。
Mは、ファイトを前面に出すタイプではないが運動センス抜群で、アタッカーとしても十分に通用
する力量を有していた。
しかし、私が期待するセッターの要件をクリア出来たのは、副キャプテンとMだけだった。
もし、別にもう一人のセッター候補が居たら、Mはエースアタッカーになっていたかもしれない。
Mは中学に入学後、一年生の秋からエースアタッカーとして活躍し、卒業時には、仙台高校の
伊藤先生から勧誘されるほどの実力者に成長していた。
当時、私は普通のサラリーマンに戻り、横須賀に住んでいたが、Mから手紙で相談を受け、直ぐに
「伊藤先生の誘いに乗るべき」と進言した。
しかし、残念ながらMは別の道を選択したようだった。

(3日に行った小麦の二度目の赤カビ防除)
(伊藤先生について)
子供達が蒲町中学校に行って直接指導を受けたこともある伊藤先生は、バレーボールの指導を
ライフワークにしている「信念の人」で、蒲町中学校から仙台高校を経由して、仙台育英学園の
女子バレー部監督に就任し、「打倒古川商業」を目指した。
しかし、全国でも上位に食い込む実力校に育て上げたものの、全国優勝常連校の「古川商業の壁」
は厚かった。
記念大会で、宮城県から二チームが全国大会に出場したことがあったか、その時は「準決勝で
古川商業に敗れた」ように記憶している。