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霜後桃源記  

安心、安全と美味しさへのこだわり
そんな「こだわりの農業ブログ」を毎日更新
主役の妻は生産部長、夫は営業部長兼雑用係

懐かしい「いろは歌」

2023-01-02 19:31:13 | 思い出
 昨日の朝日新聞天声人語が、明治時代に作られた「いろは歌」を紹介して
いて昔を懐かしく思い出した。
 いろはの47文字に「ん」を足して、すべてを一度だけ使うことば遊び
だった。

 鳥啼(な)く声(こゑ)す夢覚ませ 見よ明けわたる東(ひんがし)を
空色映えて沖つ辺(べ)に 帆船(ほぶね)むれゐぬ靄(もや)のうち


 この歌は、昭和43年10月に一関電報電話局の電報課に採用され、直ぐ
に仙台の研修所に入所した際のタイプライター訓練の教材だった。
 この時ブラインドタッチの練習を繰り返したことで、キーボード入力の
基本をマスターすることが出来た。

 そんな関係もあって文字の配列は全く異なるが、私は今でもローマ字で
はなく日本語入力でブログ等を作成している。

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金田正一

2019-10-08 21:47:18 | 思い出

前人未到の400勝投手金田正一が亡くなった。
巨人に移籍した当時の彼の著書「やったるで!」を読み、豪快さだけが記憶に残っていたが、
今朝の毎日新聞の社説は違っていた。

(毎日新聞2019.10.8の社説)

根性論で金田さんが偉業を成し遂げたわけではない。独自の手法で厳しく自己管理に徹した。
同じ時期に南海(現ソフトバンク)でプレーした野村克也さんは「大記録を支えたのは食事と
練習だろう」と述べている。
当時、アスリートの食事法はまだ確立されていなかった。金田さんは体の土台を作るために
自分で食材を集め、仲間にふるまった料理は「金田鍋」と呼ばれたほどだ。早くからミネラル
ウオーターを取り寄せて飲み、体調には常に気を配った。

投げ込みや筋力トレーニングよりも、走り込みにこだわった。振りかぶった反動を使い、足の
勢いで投げる。
そのフォームは下半身の強化に支えられていた。巨人の長嶋茂雄さんをデビュー戦で4三振させた、
曲がり落ちる「ドロップ」も、安定した下半身のたまものだった。
科学理論の発展や用具、打撃技術の向上もあって、現代と単純比較はできない。だが、破格の記録は
技術と工夫に裏打ちされていた。(一部を抜粋)


(写真はネットから借用)

現役引退後、金田は一関カントリークラブの理事長をしていたことがあった。

何かの記念大会の挨拶で、「夏の暑い中でプレーをして、昼食時に冷たいビールを飲んだら体が
ビックリするから、そんな馬鹿な真似はするもんじゃない」と言っていたことを思い出した。

                             (合掌)


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「北窓塞ぐ」

2017-12-13 22:08:51 | 思い出

今朝の毎日新聞の余録欄で「『北窓塞ぐ』は冬支度をいう季語である」と紹介していた。
初めて聞く言葉だったが、子供の頃、母の実家の祖父が杭で骨組した斜面を藁束で覆い、家の北側全面を
「冬囲い」をしていたことを懐かしく思い出した。

当時の暖房器具は煮炊きする囲炉裏兼用の炬燵だけだったが、竈や囲炉裏から出る煙の抜け口が茅葺き
屋根には付いていた。
そのため温かい空気はそこから外に出てしまうので家の中の空気は冷たく、暖かいのは「炬燵の中だけ」
だった。


(東の山の新しい畑から見た冬景色)

「冬囲い」をすると家の中が昼でも暗くなってしまうが、それでも「隙間風に震えるよりはマシ」とするのが
当時の「生活の知恵」だった。

「北窓塞ぐ」を読んで、60年間全く忘れてしまっていた記憶が蘇った。

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猫の想い出

2017-10-11 18:20:32 | 思い出

昔はどこの家でも猫を飼っていた。
子供にとって、猫は友達でありオモチャでもあったので可愛がりもしたが「からかう」
ことの方が多かったような気がする。
 
仲の良かった三毛猫は、冬場になると温かい炬燵の中に入って寝ていたが、それが
裏目に出て、炭火から出る一酸化炭素で中毒死してしまった。
炭火炬燵の怖さを実体験した瞬間だった。


(ネズミ捕獲が主目的で飼っている我が家のタコは、寒い冬でも家の中には入れない)

私も、小学校低学年の時に、ふざけて練炭炬燵の中に潜ったことがあった。
気持悪くなって直ぐに炬燵の外に顔を出したので大事には至らなかったものの、一時、
家族は大騒ぎとなった。

私の考えや行動が「一般的ではない」のは、この時に壊れた脳細胞が「再生しなかった
ためではないか」と思っている。
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体罰事件

2017-04-01 19:44:59 | 思い出
高校一年の思い出を語る際に欠かせない事件があった。
担任の田村先生は体罰を加えるような先生ではなかったが、副担任の「生物」の先生は違っていた。

それは、昼食後の5時間目の授業だった。
私は「恋の悩み」で心ここに非ず状態で教科書も関係ないページを開いたまま生物の授業を受けていた。
たまたま席が一番前だったのも災いした。

授業終了後に机に顔を埋めて寝ていたら、バットの柄で後頭部をコンコンと軽く叩かれた。
顔を上げたら副担が怖い顔をして「授業中に書いたノートを開いてみろ」と怒鳴った。
何も書いていないノートを示すと、罵声と同時に猛スピードの平手打ちが襲って来た。
身体が吹っ飛び隣の席の机と一緒に横転してしまうほどの強烈さだった。

次の6時間目の授業はサボリ、バレーボール部の汗臭い砂まみれの部室で不貞寝をしてから放課後の
練習に参加した。


(二台目の重機が到着)

この体罰事件には後日談がある。
学期末の「定期テスト」とは別に中間で「実力テスト」というのがあった。
「人の恋路を邪魔する奴は許せない」とばかりに生物の答案は白紙で提出した。

全科目のテスト結果と順位は「通知表」に記載され約一カ月後に親元に郵送されて来る。
ある日、部活を終えて自宅に帰ったら、母から「なんだ、あの成績は」と非難されたが、結果を
知らないまま「そんなこと言ったら俺より悪い人はどうすんだ」と開き直った。
「何言ってんの、お前がビリだよ」と母から追い討ちをかけられ、次の言葉が出なかった。

通知表の順位欄には313/313と記されていた。
もともと授業にも成績にもあまり関心がなかったが、「ビリ」には少なからずショックを受けた。
それでも急に勉強熱心になることもないズボラな生徒でしかなかった。

私が勉強に関心を持ち始めたのは二年生の後半に入ってからで、それも「恋を成就させるため」と
いう不純な(?)動機が契機だった。
コメント (2)
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