shiotch7 の 明日なき暴走

ビートルズを中心に、昭和歌謡からジャズヴォーカルまで、大好きな音楽についてあれこれ書き綴った音楽日記です

レディ・ブルース -女・無言歌- / 青江三奈

2009-06-06 | 昭和歌謡
 私が初めて買った青江三奈のアルバムは彼女がバリバリのジャズを歌った93年の「ザ・シャドウ・オブ・ラヴ」(気がつけば別れ)で、そのあまりの素晴らしさにすっかり彼女の大ファンになった私は同じ95年のNYライブ「パッション・ミナ・イン・NY」をヤフオクでゲット、「モーニン」のイントロから「伊勢佐木町ブルース」へと入っていくあたりが最高にキマッていてシビレまくったものだった。更にその後、日本橋の「大十」でこの「レディ・ブルース -女・無言歌-」を見つけ即購入、 “90's 三奈3部作” をコンプリート出来たのは今にして思えば超ラッキーだった。というのはこの3枚は発売後すぐに廃盤になり、ネットでは信じられないようなプレミアが付いて中古価格が高騰していた時期があったからだ。先の2枚は一昨年再発されたようだが、この盤だけは何故かリイシュー・カタログから漏れたようで、未だに廃盤状態が続いているようだ。さっきアマゾン・マーケットプレイスを覗いてみたら驚愕の19,800円...(゜o゜) 出品者コメントに「誠心誠意お取引しますので安心してご購入ください」って... この値付けのどこに誠意があるねん!と思わずツッコミを入れたくなってしまった(笑)
 90年発売のこのアルバム、まずは何と言っても冒頭の①「組曲 レディ・ブルース」が圧巻だ。「伊勢佐木町ブルース」~「雨のブルース」~「港が見える丘」~「白樺の小径」~「別れのブルース」という流れの組曲風メドレーになっていて、アルバム・タイトルの “レディ・ブルース” という統一コンセプトの下に絶妙に繋がれており、12分近い大作を一気呵成に聴かせてしまう。この曲を際立たせているのはイントロからほぼ全編にわたってブルージーな薫りを撒き散らしながら三奈のハスキーなヴォーカルに絡んでいくフィドル(ヴァイオリン)で、ライナーには featuring Papa John Creach (violin) とある。パパ・ジョン・クリーチといえばジェファーソン・エアプレインだ... でも何で90年の青江三奈のアルバムに彼が??? まぁ「ザ・シャドウ・オブ・ラヴ」にもマル・ウォルドロンやフレディ・コールらが入っているぐらいだから、いわゆる “歌謡曲” というジャンルが消滅した90年代の青江三奈は “ブルース” や “ジャズ” といった、彼女が本当にやりたかった音楽を目指していたのかもしれない。いや、そう考えると先の「パッション・ミナ・インNY」も含めてすべての事柄の辻褄が合ってくるように思うのだが如何だろう?尚、この組曲ではフィドルが大きくフィーチャーされているが、それを堅実にサポートしている律儀なブラッシュやリズム・ギターにも唸ってしまう。曲良し、歌良し、演奏良しの、三拍子そろった大名演だ。
 ②「本牧ブルース」はアルバム「ザ・シャドウ・オブ・ラヴ」に入っていたマル・ウォルドロン・アレンジの “ブルージー・ジャズ・ヴァージョン” が鳥肌モノだったが、そのオリジナル・ヴァージョンといえるのがここに収められたトラックだ。これまた聴けば聴くほどハマッてしまうような魂を揺さぶる歌と演奏で、彼女のヴォーカルは50歳を目前にして良い意味で枯れてきており、60~70年代の彼女のアクの強さが苦手という人でも大丈夫だと思う。 “私の髪に ジャズがからみつく~♪” のフレーズがたまらなくカッコイイ(≧▽≦)
 ④「ベイブリッジ・ブルース」はむせび泣くサックスが昭和歌謡の薫りを運んでくるナンバーだが、脚本家のジェームズ三木の書いた歌詞 “結婚しない女と言われ 幸せいくつも棄ててきた~♪” はまるで彼女自身のことを歌っているようで、そのせいか彼女のヴォーカルの凄まじいまでの説得力には息をのむ。やはり彼が詞を書いた⑨「あなたがもうひとりいればいい」にも同じことが言え、“今の私は若くないけど せめて素直な女になって 巡り合いからやり直したい~♪” なんて女の情念がヒシヒシと伝わってくるような鬼気迫る名唱だ。
 昭和歌謡はもちろんのこと、ジャズでもブルースでも唯一無比のハスキー・ヴォイスで聴く者の心を捉えて離さない昭和の大歌手、青江三奈。彼女が亡くなってもうすぐ10年になるが、彼女の歌を生で聴けなかったことが本当に残念でならない。

青江三奈 本牧ブルース
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