関西のサクラも見頃が近づいた3月30日~4月1日、京都
御所の参観と、京都市東南部の伏見区にある社寺巡りに出
かけた。順次、その模様を報告する。
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2008年3月30日(日)
=醍醐寺とその周辺へ(上)=
![](http://clip.alpslab.jp/bin/map?pos=34/57/8.69,135/49/9.338&scale=70000)
東京駅7時3分発のひかり361号で京都駅に9時48分に
着く。JR琵琶湖線(東海道線)で山科まで戻り、京都市営地
下鉄東西線にて醍醐駅まで行く。10時半に駅を出た。
地下鉄東西線の、駅のホームにある車両の扉と連動する
ドアは、天井まで達する本格的なもの。相当な費用をかけた
設備で、首都圏にはない。
新しい住宅が並ぶ醍醐東団地を、緩やかに東の高台に向
かって上がる。南北に走る新奈良街道を横切ると、広い境内
の醍醐寺である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/57/34f4d07cadf35e4d09c1817628bacfcc.jpg)
醍醐寺は、弘法大師の孫弟子にあたる理源大師により、
貞観16年(874)に醍醐山上に草庵を造ったのが始まり。
醍醐、朱雀、村上の三帝の深い帰依により、次々に堂塔
が建立され、大伽藍(がらん)が整ったという。
開山以来、醍醐寺は日本仏教史上重要な位置を占め、国
宝や国重文に指定されたものも多く、平成6年(1994)には
世界文化遺産に登録されている。
総門を入り、広い境内に広がる堂塔の一角、まず左手の
三宝院へ。三宝院は永久3年(1155)の創建、醍醐寺の
本坊的な存在で、歴代座主が居住する坊とのこと。
入口周辺のしだれ桜が見ごろである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/66/7b341d18af64876a542b1ff4ca863fa0.jpg)
大玄関(下の写真)から上がって葵の間、秋草の間、勅使
の間を経て、表書院から池を中心とした庭園を見る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/29/2f5d5b345eb2fa857cc37aa0f794667d.jpg)
豊臣秀吉が「醍醐の花見」に際して自ら基本設計したという、
桃山時代の雰囲気を伝える庭園である。
奥の本堂では、鎮座する快慶作の弥勒菩薩像などを拝観し、
ほかの建物も一巡した。これらは写真撮影は禁止だった。
予報通り雨となったが、建物から出て、憲深林苑と呼ぶ庭
園に回る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/f9/9e2a6f7293fcd91532d65e9a34c1edbb.jpg)
何本もあるシダレザクロやソメイヨシノが見ごろ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/43/de6b57b7bb5e2068da96b0059cddc1b3.jpg)
ヒカンザクラやハクモクレン、紅梅、サンシュユ、アセビなど
も咲いていた。
総門から真っ直ぐの西大門を入ると、松などの多い広い境
内に幾つもの堂塔が散らばっている。
醍醐寺の総鎮守である清瀧宮本殿は永正14年(1517)
の再建で国の重要文化財である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/96/565c14208b269f237f6dd0fc1ba93aff.jpg)
国宝の五重塔は、天暦5年(951)の完成で、高さ約38m、
屋根上の相輪は約13mあるという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/67/40d78bb0930f996a9f3b9e5611fa134f.jpg)
醍醐寺の中心お堂である金堂は2度焼失し、現在のもの
は豊臣秀吉の命で慶長5年(1600)に完成し、やはり国宝
である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/61/d284f1780f900825e7d8639b8ba6062e.jpg)
ほかに、祖師堂、不動堂、大講堂(写真上)、鐘楼堂、弁天
堂(写真下)などがあった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/2e/a21d54426af5706d6344033708416aa7.jpg)
弁天堂の先から山道を約1時間上ると、醍醐寺開創の起源
となった醍醐水や、西国三十三観音霊場第11番札所准胝
堂(じゅんていどう)のある上醍醐だが、天候と先の予定もあ
り今回は省略した。
三宝院のそばまで戻り、東側にある新しい霊宝館に入る。
数多い醍醐寺の仏像などの宝物を展示するところ。春期特
別公開中の20を越える国宝や重文の仏像や、図像、工芸
品などを拝観した(館内は撮影禁止)。
霊宝館の周りも、何本もある古木のしだれ桜が見頃だった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/8b/257e233d8f1b0d21cacfac49ff8cc0b0.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/6a/fbb1750aeb27681c08460dd9e745bfc5.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/db/a814a8b623210e802e9f0ab27bec2eeb.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/2d/b926080d1f4efcb2d5288b4c77cdb350.jpg)
(続く)
御所の参観と、京都市東南部の伏見区にある社寺巡りに出
かけた。順次、その模様を報告する。
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2008年3月30日(日)
=醍醐寺とその周辺へ(上)=
東京駅7時3分発のひかり361号で京都駅に9時48分に
着く。JR琵琶湖線(東海道線)で山科まで戻り、京都市営地
下鉄東西線にて醍醐駅まで行く。10時半に駅を出た。
地下鉄東西線の、駅のホームにある車両の扉と連動する
ドアは、天井まで達する本格的なもの。相当な費用をかけた
設備で、首都圏にはない。
新しい住宅が並ぶ醍醐東団地を、緩やかに東の高台に向
かって上がる。南北に走る新奈良街道を横切ると、広い境内
の醍醐寺である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/57/34f4d07cadf35e4d09c1817628bacfcc.jpg)
醍醐寺は、弘法大師の孫弟子にあたる理源大師により、
貞観16年(874)に醍醐山上に草庵を造ったのが始まり。
醍醐、朱雀、村上の三帝の深い帰依により、次々に堂塔
が建立され、大伽藍(がらん)が整ったという。
開山以来、醍醐寺は日本仏教史上重要な位置を占め、国
宝や国重文に指定されたものも多く、平成6年(1994)には
世界文化遺産に登録されている。
総門を入り、広い境内に広がる堂塔の一角、まず左手の
三宝院へ。三宝院は永久3年(1155)の創建、醍醐寺の
本坊的な存在で、歴代座主が居住する坊とのこと。
入口周辺のしだれ桜が見ごろである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/66/7b341d18af64876a542b1ff4ca863fa0.jpg)
大玄関(下の写真)から上がって葵の間、秋草の間、勅使
の間を経て、表書院から池を中心とした庭園を見る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/29/2f5d5b345eb2fa857cc37aa0f794667d.jpg)
豊臣秀吉が「醍醐の花見」に際して自ら基本設計したという、
桃山時代の雰囲気を伝える庭園である。
奥の本堂では、鎮座する快慶作の弥勒菩薩像などを拝観し、
ほかの建物も一巡した。これらは写真撮影は禁止だった。
予報通り雨となったが、建物から出て、憲深林苑と呼ぶ庭
園に回る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/f9/9e2a6f7293fcd91532d65e9a34c1edbb.jpg)
何本もあるシダレザクロやソメイヨシノが見ごろ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/43/de6b57b7bb5e2068da96b0059cddc1b3.jpg)
ヒカンザクラやハクモクレン、紅梅、サンシュユ、アセビなど
も咲いていた。
総門から真っ直ぐの西大門を入ると、松などの多い広い境
内に幾つもの堂塔が散らばっている。
醍醐寺の総鎮守である清瀧宮本殿は永正14年(1517)
の再建で国の重要文化財である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/96/565c14208b269f237f6dd0fc1ba93aff.jpg)
国宝の五重塔は、天暦5年(951)の完成で、高さ約38m、
屋根上の相輪は約13mあるという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/67/40d78bb0930f996a9f3b9e5611fa134f.jpg)
醍醐寺の中心お堂である金堂は2度焼失し、現在のもの
は豊臣秀吉の命で慶長5年(1600)に完成し、やはり国宝
である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/61/d284f1780f900825e7d8639b8ba6062e.jpg)
ほかに、祖師堂、不動堂、大講堂(写真上)、鐘楼堂、弁天
堂(写真下)などがあった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/2e/a21d54426af5706d6344033708416aa7.jpg)
弁天堂の先から山道を約1時間上ると、醍醐寺開創の起源
となった醍醐水や、西国三十三観音霊場第11番札所准胝
堂(じゅんていどう)のある上醍醐だが、天候と先の予定もあ
り今回は省略した。
三宝院のそばまで戻り、東側にある新しい霊宝館に入る。
数多い醍醐寺の仏像などの宝物を展示するところ。春期特
別公開中の20を越える国宝や重文の仏像や、図像、工芸
品などを拝観した(館内は撮影禁止)。
霊宝館の周りも、何本もある古木のしだれ桜が見頃だった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/8b/257e233d8f1b0d21cacfac49ff8cc0b0.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/6a/fbb1750aeb27681c08460dd9e745bfc5.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/db/a814a8b623210e802e9f0ab27bec2eeb.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/2d/b926080d1f4efcb2d5288b4c77cdb350.jpg)
(続く)