あるきメデス

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京都・醍醐寺とその周辺を巡る(上)

2008-04-03 12:31:03 | 京都を歩く
 関西のサクラも見頃が近づいた3月30日~4月1日、京都
御所の参観と、京都市東南部の伏見区にある社寺巡りに出
かけた。順次、その模様を報告する。

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 2008年3月30日(日)
 =醍醐寺とその周辺へ(上)=


 
 東京駅7時3分発のひかり361号で京都駅に9時48分に
着く。JR琵琶湖線(東海道線)で山科まで戻り、京都市営地
下鉄東西線にて醍醐駅まで行く。10時半に駅を出た。

 地下鉄東西線の、駅のホームにある車両の扉と連動する
ドアは、天井まで達する本格的なもの。相当な費用をかけた
設備で、首都圏にはない。

 新しい住宅が並ぶ醍醐東団地を、緩やかに東の高台に向
かって上がる。南北に走る新奈良街道を横切ると、広い境内
の醍醐寺である。

 醍醐寺は、弘法大師の孫弟子にあたる理源大師により、
貞観16年(874)に醍醐山上に草庵を造ったのが始まり。

 醍醐、朱雀、村上の三帝の深い帰依により、次々に堂塔
が建立され、大伽藍(がらん)が整ったという。

 開山以来、醍醐寺は日本仏教史上重要な位置を占め、国
宝や国重文に指定されたものも多く、平成6年(1994)には
世界文化遺産に登録されている。

 総門を入り、広い境内に広がる堂塔の一角、まず左手の
三宝院へ。三宝院は永久3年(1155)の創建、醍醐寺の
本坊的な存在で、歴代座主が居住する坊とのこと。

 入口周辺のしだれ桜が見ごろである。


 大玄関(下の写真)から上がって葵の間、秋草の間、勅使
の間を経て、表書院から池を中心とした庭園を見る。

 豊臣秀吉が「醍醐の花見」に際して自ら基本設計したという、
桃山時代の雰囲気を伝える庭園である。

 奥の本堂では、鎮座する快慶作の弥勒菩薩像などを拝観し、
ほかの建物も一巡した。これらは写真撮影は禁止だった。

 予報通り雨となったが、建物から出て、憲深林苑と呼ぶ庭
園に回る。

 何本もあるシダレザクロやソメイヨシノが見ごろ。

 ヒカンザクラやハクモクレン、紅梅、サンシュユ、アセビなど
も咲いていた。

 総門から真っ直ぐの西大門を入ると、松などの多い広い境
内に幾つもの堂塔が散らばっている。

 醍醐寺の総鎮守である清瀧宮本殿は永正14年(1517)
の再建で国の重要文化財である。


 国宝の五重塔は、天暦5年(951)の完成で、高さ約38m、
屋根上の相輪は約13mあるという。


 醍醐寺の中心お堂である金堂は2度焼失し、現在のもの
は豊臣秀吉の命で慶長5年(1600)に完成し、やはり国宝
である。


 ほかに、祖師堂、不動堂、大講堂(写真上)、鐘楼堂、弁天
堂(写真下)などがあった。


弁天堂の先から山道を約1時間上ると、醍醐寺開創の起源
となった醍醐水や、西国三十三観音霊場第11番札所准胝
堂(じゅんていどう)のある上醍醐だが、天候と先の予定もあ
り今回は省略した。

 三宝院のそばまで戻り、東側にある新しい霊宝館に入る。
数多い醍醐寺の仏像などの宝物を展示するところ。春期特
別公開中の20を越える国宝や重文の仏像や、図像、工芸
品などを拝観した(館内は撮影禁止)。

 霊宝館の周りも、何本もある古木のしだれ桜が見頃だった。








                           (続く)
コメント
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