あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

菅生沼から牛久沼へ33㎞サンサンウオーク(2)

2008-04-25 23:26:23 | ウオーキング
 2008年4月9日(水)
 =守谷駅~小貝川~牛久沼~佐貫駅=



 やまさんの、33㎞サンサンウオーク2日目は4月6日
(日)。だがこの日はカントリーウオークの例会で参加で
きず、3日後に歩くことにした。

 3月のLLウオーク茨城の全コースを完歩しているさい
たま市のTさんを誘ったら、来てくれた。

 9時10分につくばエクスプレス守谷駅をスタートする。

 ひと月前の3月に、カントリーウオークの例会でも歩い
た守谷駅周辺は開発が進行中だが、東から南へと緩や
かに回る旧道に入る。

 守谷小そばの交差点に、「茨城百景守谷城址」の石碑
が立っていた。


 新興住宅地のひがし野3丁目から2丁目を経て、つくば
エクスプレスの高架際に出た。古城沼交差点で高架に
分かれ、東側の赤法花(あかぼつけ)集落へ。

 染谷瓦店の庭先に、たくさんのこいのぼりが泳いでいた。

 例会での昼食地、天満宮横を通過し、同地集落の北側
で小貝川右岸沿いに出た。対岸はるかに筑波山が望ま
れる。


 大きなアーチの水道管橋下を過ぎ、守谷市から取手市
に入ると、小公園があった。

 市之代(いちのだい)の稲田姫尊を祭る神社で休憩。
境内のソメイヨシノが見ごろである。


 旧道が県道328号に近づいたあたりに、小屋根に覆わ
れた「将門(まさかど)土偶の墓」があった。しかし由緒
などは記されてない。

 県道に出て小貝川の常総橋を渡る。昨日の大雨で、流
れは川幅一杯になっている。


 左岸南側は、つくばみらい市上平柳である。

 すぐ南に大きな屋根の寺が見えたので、堤防を下って
寄ってみた。浄園寺で、急傾斜の大屋根に圧倒される。

 墓地に高さ5mくらいの三界萬霊塔が立っていた。


 少し先の専称寺には、19世紀初頭の北方探検家で地
理学者、間宮林蔵の墓があった。

 林蔵が文化4年(1807)決死の覚悟で樺太探検に出
発するにあたり、自ら建立した生前の墓(左)。

 林蔵はこの寺の住職・伯栄和尚に学んで才能を発揮した
勉学の場で、遊び場でもあったという。


 さらに500m足らずのところが間宮林蔵の生家。かや
ぶき平屋の生家のそばに、間宮林蔵記念館があったの
で入館し、樺太探検の地図や古文書などを見る。


 これは、伊能忠敬が樺太探検に出かける間宮林蔵を
激励するために送った文書だという。


 ちなみに間宮林蔵は、安永6年(1780)にこの家で生
まれ、15~6歳頃まで暮らしたといわれている。

 文化6年(1809)、2度目の探検で樺太が大陸と地続
きでなく、島であることを確かめ、いわゆる間宮海峡の発
見という大偉業を成し遂げた。

 ゆっくり観覧したので正午近い。近くの上平柳公民館の
ぬれ縁を借りて昼食。

 そばに水神宮と天満宮があり、低い石鳥居には、ワラに
くるんだ酒樽のようなものが下がっていた。


 上平柳集落東端の三差路に、秩父、西国、坂東札所の
供養塔が立つていた。


 小貝川左岸堤防を進み、流れをせき止めるゲートのとこ
ろに出た。


 昨日の雨で満々となった流れが、開けたゲートの一部から
ゴウゴウと音をたてて落下している。

                          (続く)
            


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