2008年4月9日(水)
=守谷駅~小貝川~牛久沼~佐貫駅=
![](http://clip.alpslab.jp/bin/map?pos=35/55/49.252,140/1/38.863&scale=250000)
やまさんの、33㎞サンサンウオーク2日目は4月6日
(日)。だがこの日はカントリーウオークの例会で参加で
きず、3日後に歩くことにした。
3月のLLウオーク茨城の全コースを完歩しているさい
たま市のTさんを誘ったら、来てくれた。
9時10分につくばエクスプレス守谷駅をスタートする。
ひと月前の3月に、カントリーウオークの例会でも歩い
た守谷駅周辺は開発が進行中だが、東から南へと緩や
かに回る旧道に入る。
守谷小そばの交差点に、「茨城百景守谷城址」の石碑
が立っていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/c2/646af04685e39a92fc8b02da4b266777.jpg)
新興住宅地のひがし野3丁目から2丁目を経て、つくば
エクスプレスの高架際に出た。古城沼交差点で高架に
分かれ、東側の赤法花(あかぼつけ)集落へ。
染谷瓦店の庭先に、たくさんのこいのぼりが泳いでいた。
例会での昼食地、天満宮横を通過し、同地集落の北側
で小貝川右岸沿いに出た。対岸はるかに筑波山が望ま
れる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/3a/b18f82e04b1871a8d5a23074d9283160.jpg)
大きなアーチの水道管橋下を過ぎ、守谷市から取手市
に入ると、小公園があった。
市之代(いちのだい)の稲田姫尊を祭る神社で休憩。
境内のソメイヨシノが見ごろである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/37/2a62814faf27456ff1dd9c6a87d2834f.jpg)
旧道が県道328号に近づいたあたりに、小屋根に覆わ
れた「将門(まさかど)土偶の墓」があった。しかし由緒
などは記されてない。
県道に出て小貝川の常総橋を渡る。昨日の大雨で、流
れは川幅一杯になっている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/28/e118bb1fb19799b3f76cf69ea7c6031c.jpg)
左岸南側は、つくばみらい市上平柳である。
すぐ南に大きな屋根の寺が見えたので、堤防を下って
寄ってみた。浄園寺で、急傾斜の大屋根に圧倒される。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/e0/b1d1eb379a854119495353de9bbfd73e.jpg)
墓地に高さ5mくらいの三界萬霊塔が立っていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/1a/5d754224de1e351a5740bb682fce9146.jpg)
少し先の専称寺には、19世紀初頭の北方探検家で地
理学者、間宮林蔵の墓があった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/ee/09461004911041a7095e6d9ff1820d83.jpg)
林蔵が文化4年(1807)決死の覚悟で樺太探検に出
発するにあたり、自ら建立した生前の墓(左)。
林蔵はこの寺の住職・伯栄和尚に学んで才能を発揮した
勉学の場で、遊び場でもあったという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/01/246fcbdcd15d5d22353fa4a5991b0dc2.jpg)
さらに500m足らずのところが間宮林蔵の生家。かや
ぶき平屋の生家のそばに、間宮林蔵記念館があったの
で入館し、樺太探検の地図や古文書などを見る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/21/26e2d9c273101ef8d674d0b0539f1cf8.jpg)
これは、伊能忠敬が樺太探検に出かける間宮林蔵を
激励するために送った文書だという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/bd/9a68ce6c93d2433fa8e1940e92605861.jpg)
ちなみに間宮林蔵は、安永6年(1780)にこの家で生
まれ、15~6歳頃まで暮らしたといわれている。
文化6年(1809)、2度目の探検で樺太が大陸と地続
きでなく、島であることを確かめ、いわゆる間宮海峡の発
見という大偉業を成し遂げた。
ゆっくり観覧したので正午近い。近くの上平柳公民館の
ぬれ縁を借りて昼食。
そばに水神宮と天満宮があり、低い石鳥居には、ワラに
くるんだ酒樽のようなものが下がっていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/9f/e13ddccd1609428c72e21e0a87d34ab3.jpg)
上平柳集落東端の三差路に、秩父、西国、坂東札所の
供養塔が立つていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/6a/37062ba6c405c7bd61d99f5bf24e56ea.jpg)
小貝川左岸堤防を進み、流れをせき止めるゲートのとこ
ろに出た。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/e6/5c8f5cd4d26c549956bb73892ababfbd.jpg)
昨日の雨で満々となった流れが、開けたゲートの一部から
ゴウゴウと音をたてて落下している。
(続く)
=守谷駅~小貝川~牛久沼~佐貫駅=
やまさんの、33㎞サンサンウオーク2日目は4月6日
(日)。だがこの日はカントリーウオークの例会で参加で
きず、3日後に歩くことにした。
3月のLLウオーク茨城の全コースを完歩しているさい
たま市のTさんを誘ったら、来てくれた。
9時10分につくばエクスプレス守谷駅をスタートする。
ひと月前の3月に、カントリーウオークの例会でも歩い
た守谷駅周辺は開発が進行中だが、東から南へと緩や
かに回る旧道に入る。
守谷小そばの交差点に、「茨城百景守谷城址」の石碑
が立っていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/c2/646af04685e39a92fc8b02da4b266777.jpg)
新興住宅地のひがし野3丁目から2丁目を経て、つくば
エクスプレスの高架際に出た。古城沼交差点で高架に
分かれ、東側の赤法花(あかぼつけ)集落へ。
染谷瓦店の庭先に、たくさんのこいのぼりが泳いでいた。
例会での昼食地、天満宮横を通過し、同地集落の北側
で小貝川右岸沿いに出た。対岸はるかに筑波山が望ま
れる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/3a/b18f82e04b1871a8d5a23074d9283160.jpg)
大きなアーチの水道管橋下を過ぎ、守谷市から取手市
に入ると、小公園があった。
市之代(いちのだい)の稲田姫尊を祭る神社で休憩。
境内のソメイヨシノが見ごろである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/37/2a62814faf27456ff1dd9c6a87d2834f.jpg)
旧道が県道328号に近づいたあたりに、小屋根に覆わ
れた「将門(まさかど)土偶の墓」があった。しかし由緒
などは記されてない。
県道に出て小貝川の常総橋を渡る。昨日の大雨で、流
れは川幅一杯になっている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/28/e118bb1fb19799b3f76cf69ea7c6031c.jpg)
左岸南側は、つくばみらい市上平柳である。
すぐ南に大きな屋根の寺が見えたので、堤防を下って
寄ってみた。浄園寺で、急傾斜の大屋根に圧倒される。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/e0/b1d1eb379a854119495353de9bbfd73e.jpg)
墓地に高さ5mくらいの三界萬霊塔が立っていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/1a/5d754224de1e351a5740bb682fce9146.jpg)
少し先の専称寺には、19世紀初頭の北方探検家で地
理学者、間宮林蔵の墓があった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/ee/09461004911041a7095e6d9ff1820d83.jpg)
林蔵が文化4年(1807)決死の覚悟で樺太探検に出
発するにあたり、自ら建立した生前の墓(左)。
林蔵はこの寺の住職・伯栄和尚に学んで才能を発揮した
勉学の場で、遊び場でもあったという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/01/246fcbdcd15d5d22353fa4a5991b0dc2.jpg)
さらに500m足らずのところが間宮林蔵の生家。かや
ぶき平屋の生家のそばに、間宮林蔵記念館があったの
で入館し、樺太探検の地図や古文書などを見る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/21/26e2d9c273101ef8d674d0b0539f1cf8.jpg)
これは、伊能忠敬が樺太探検に出かける間宮林蔵を
激励するために送った文書だという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/bd/9a68ce6c93d2433fa8e1940e92605861.jpg)
ちなみに間宮林蔵は、安永6年(1780)にこの家で生
まれ、15~6歳頃まで暮らしたといわれている。
文化6年(1809)、2度目の探検で樺太が大陸と地続
きでなく、島であることを確かめ、いわゆる間宮海峡の発
見という大偉業を成し遂げた。
ゆっくり観覧したので正午近い。近くの上平柳公民館の
ぬれ縁を借りて昼食。
そばに水神宮と天満宮があり、低い石鳥居には、ワラに
くるんだ酒樽のようなものが下がっていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/9f/e13ddccd1609428c72e21e0a87d34ab3.jpg)
上平柳集落東端の三差路に、秩父、西国、坂東札所の
供養塔が立つていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/6a/37062ba6c405c7bd61d99f5bf24e56ea.jpg)
小貝川左岸堤防を進み、流れをせき止めるゲートのとこ
ろに出た。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/e6/5c8f5cd4d26c549956bb73892ababfbd.jpg)
昨日の雨で満々となった流れが、開けたゲートの一部から
ゴウゴウと音をたてて落下している。
(続く)
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