2008年4月1日(火)
![](http://clip.alpslab.jp/bin/map?pos=34/56/25.486,135/46/37.448&scale=70000)
京都の社寺巡りの最終日は、京都市の東南部、伏見周辺
を回ることにした。JR奈良線のJR藤森(ふじのもり)駅を9時
35分にスタートする。
東に1㎞近く進み、携帯電話のアンテナ塔の先の斜面を上
がって、古御香宮(ふるごこう)とも呼ぶ御香宮社に行く。
文禄3年(1594)、豊臣秀吉が伏見築城にあたり、城内の
鬼門除けの神として伏見九郷にあった御香宮をこの地に遷宮
して、社領300石を寄進したという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/06/9d3cb5dacb2f443e9fb7d25caa2d6b5c.jpg)
秀吉の造営した本殿は江戸末期に大破し、現在の本殿は
その後に建てられたものとか。
秀吉がここに神社を祭ったのは、隣接する「桓武天皇陵
参考地」を保護する必要とも伝えられているようで、南側
にはそれと思われる林が残っていた。
車道に戻り、さらに南東に進み、八科峠の交差点際を東
に入って仏国寺へ。
延宝6年(1678)、中国福清の人で隠元(いんげん)禅師
の招きで来日した、高泉(こうせん)和尚が復興した寺。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/db/455620c000b295316044ab68f686f6a3.jpg)
墓地にある高泉和尚銅碑は、正徳元年(1711)に鋳造の
青銅碑で、撰文は高泉和尚の教えを受けた近衛家(いえ
ひろ)によるものという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/d7/7b8d73aafc786d0deb1e6a0424479da3.jpg)
墓地には、江戸初期の代表的作庭家で伏見奉行でもあった
小堀遠州の墓もあるというが見つからず、韓国姓の新しい墓
がたくさん並んでいたのが目についた。
八科峠に戻ると、民家の傍らに道しるべの標石と、逢坂山
車石という石碑が並んでいた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/2f/f828c20dda42cdb8add8b2d7b4698d58.jpg)
峠の交差点を西に入る。すぐ先の左側一体は伏見北堀公園。
伏見城の北堀跡を自然公園に整備したものらしい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/9e/0c3a73972b1d28c9d537e611d62a63d5.jpg)
堀跡には小さい流れがあり、両側は桜やハクモクレンなど
が咲き競い、散歩やウオーキングの人たちが次々にやって
来た。
堀跡を隔てた南側にあった高台に上がったら、思いがけ
ず大きな城が見える。
地図で確かめたら何と伏見桃山城。野球のグランドの先に
回って城のそばへ行く。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/9d/621121a9b792addb1dd5fbe46f94a257.jpg)
周辺のソメイヨシノが見ごろ。城は大きいのと小さいのが
並んでいる。しかし石垣は自然石の感じがせず、砕石して
形を整えたようで最近のものらしい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/47/77891747eacd1e802289f3789646f3d1.jpg)
帰宅後調べたら、1964年に伏見城の花畑跡にできた遊園
地「伏見桃山城キャッスルランド」の目玉として建設されたが、
経営母体の近鉄のリストラで閉園、京都市が無償譲渡を受け、
一体を伏見桃山城運動公園として、最近整備したようだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/a2/457208b06a96852e25e785c0e3651f60.jpg)
五重六階の大天守と三重四層の小天守、楼門などは史実
には直接関係ないと知り、ちょっと拍子抜け。公園内に、城
の説明が何もなかったことも納得した。
雲行きが怪しくなりちょっと冷えてきたが、城を一周して
伏見北堀公園の西端に回り、北側の車道に出た。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/71/e57e1a58458b571dc264e8ba17ea3c71.jpg)
藤森小や森林総合研究所の北側を下り、JR奈良線の西を回
って海宝寺に入る。
海宝寺とその周辺一帯は、仙台藩伊達政宗の伏見上屋敷が
あったところとか。正宗は文禄4年(1595)、豊臣秀吉からこの
屋敷地を与えられ、一時は千人以上も住んでいたという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/23/28a51b89a425370e074283b1230fed46.jpg)
本堂横に正宗手植えという桃山時代の名木、モッコクがある。
手前は枯れたのか布で覆っているが、奥は枝を大きく伸ばし
ていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/05/ede93b9cc63039c80b7f0fb58d939651.jpg)
境内の庭園もよく整えられている。
国道が90度カーブしている近くには、栄春寺があった。
永禄11年(1568)、京・伏見で最初の曹洞宗寺院として
開創したという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/86/35e45f4b7d6727ed0dc9a42041e72237.jpg)
現本堂は天保10年(1839)の改築で、本尊は徳川家康
の家臣・酒井重勝が寄進したものという。
この庭園も、よく手入れされていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/2a/a8798cac09232d15dd1f315378e44e08.jpg)
京阪電鉄墨染駅の横を通過し、水量豊富な琵琶湖疎水を
渡って桜の名所、墨染寺に向かう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/c4/e38e44cb783f43c091b6f2114d48ced7.jpg)
(続く)
京都の社寺巡りの最終日は、京都市の東南部、伏見周辺
を回ることにした。JR奈良線のJR藤森(ふじのもり)駅を9時
35分にスタートする。
東に1㎞近く進み、携帯電話のアンテナ塔の先の斜面を上
がって、古御香宮(ふるごこう)とも呼ぶ御香宮社に行く。
文禄3年(1594)、豊臣秀吉が伏見築城にあたり、城内の
鬼門除けの神として伏見九郷にあった御香宮をこの地に遷宮
して、社領300石を寄進したという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/06/9d3cb5dacb2f443e9fb7d25caa2d6b5c.jpg)
秀吉の造営した本殿は江戸末期に大破し、現在の本殿は
その後に建てられたものとか。
秀吉がここに神社を祭ったのは、隣接する「桓武天皇陵
参考地」を保護する必要とも伝えられているようで、南側
にはそれと思われる林が残っていた。
車道に戻り、さらに南東に進み、八科峠の交差点際を東
に入って仏国寺へ。
延宝6年(1678)、中国福清の人で隠元(いんげん)禅師
の招きで来日した、高泉(こうせん)和尚が復興した寺。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/db/455620c000b295316044ab68f686f6a3.jpg)
墓地にある高泉和尚銅碑は、正徳元年(1711)に鋳造の
青銅碑で、撰文は高泉和尚の教えを受けた近衛家(いえ
ひろ)によるものという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/d7/7b8d73aafc786d0deb1e6a0424479da3.jpg)
墓地には、江戸初期の代表的作庭家で伏見奉行でもあった
小堀遠州の墓もあるというが見つからず、韓国姓の新しい墓
がたくさん並んでいたのが目についた。
八科峠に戻ると、民家の傍らに道しるべの標石と、逢坂山
車石という石碑が並んでいた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/2f/f828c20dda42cdb8add8b2d7b4698d58.jpg)
峠の交差点を西に入る。すぐ先の左側一体は伏見北堀公園。
伏見城の北堀跡を自然公園に整備したものらしい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/9e/0c3a73972b1d28c9d537e611d62a63d5.jpg)
堀跡には小さい流れがあり、両側は桜やハクモクレンなど
が咲き競い、散歩やウオーキングの人たちが次々にやって
来た。
堀跡を隔てた南側にあった高台に上がったら、思いがけ
ず大きな城が見える。
地図で確かめたら何と伏見桃山城。野球のグランドの先に
回って城のそばへ行く。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/9d/621121a9b792addb1dd5fbe46f94a257.jpg)
周辺のソメイヨシノが見ごろ。城は大きいのと小さいのが
並んでいる。しかし石垣は自然石の感じがせず、砕石して
形を整えたようで最近のものらしい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/47/77891747eacd1e802289f3789646f3d1.jpg)
帰宅後調べたら、1964年に伏見城の花畑跡にできた遊園
地「伏見桃山城キャッスルランド」の目玉として建設されたが、
経営母体の近鉄のリストラで閉園、京都市が無償譲渡を受け、
一体を伏見桃山城運動公園として、最近整備したようだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/a2/457208b06a96852e25e785c0e3651f60.jpg)
五重六階の大天守と三重四層の小天守、楼門などは史実
には直接関係ないと知り、ちょっと拍子抜け。公園内に、城
の説明が何もなかったことも納得した。
雲行きが怪しくなりちょっと冷えてきたが、城を一周して
伏見北堀公園の西端に回り、北側の車道に出た。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/71/e57e1a58458b571dc264e8ba17ea3c71.jpg)
藤森小や森林総合研究所の北側を下り、JR奈良線の西を回
って海宝寺に入る。
海宝寺とその周辺一帯は、仙台藩伊達政宗の伏見上屋敷が
あったところとか。正宗は文禄4年(1595)、豊臣秀吉からこの
屋敷地を与えられ、一時は千人以上も住んでいたという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/23/28a51b89a425370e074283b1230fed46.jpg)
本堂横に正宗手植えという桃山時代の名木、モッコクがある。
手前は枯れたのか布で覆っているが、奥は枝を大きく伸ばし
ていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/05/ede93b9cc63039c80b7f0fb58d939651.jpg)
境内の庭園もよく整えられている。
国道が90度カーブしている近くには、栄春寺があった。
永禄11年(1568)、京・伏見で最初の曹洞宗寺院として
開創したという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/86/35e45f4b7d6727ed0dc9a42041e72237.jpg)
現本堂は天保10年(1839)の改築で、本尊は徳川家康
の家臣・酒井重勝が寄進したものという。
この庭園も、よく手入れされていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/2a/a8798cac09232d15dd1f315378e44e08.jpg)
京阪電鉄墨染駅の横を通過し、水量豊富な琵琶湖疎水を
渡って桜の名所、墨染寺に向かう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/c4/e38e44cb783f43c091b6f2114d48ced7.jpg)
(続く)