2008年4月6日(日)
埼玉県内を中心にカントリーウオークをしているグループ
の、第152回例会レポートです。
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![](http://clip.alpslab.jp/bin/map?pos=36/5/2.076,139/42/1.191&scale=250000)
=中川右岸の田園地帯を東へ=
快晴で暖かくなるという予報のこの日、JR宇都宮線東鷲
宮駅を10時に出発する。
駅を出て東へ、桜田3丁目の集合住宅地にある沼井公園
の木々は、芽吹きはじめていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/a7/64cd72519fc331a57a098f046447cdeb.jpg)
ソメイヨシノの咲く桜田小の東側を回り、境内に樹木の乏
しい妙性寺に寄る。
田園地帯を進んで東北新幹線の下を東に抜け、八甫新
田の稲荷神社を経て宝性院(ほうしよういん)に入った。
天和元年(1681)の開山で、新四国埼東八十八か所第
七番札所。境内の小さいお堂に、きれいに着飾った2体の
親子地蔵尊が並んでいた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/1b/4b5e003f5677e6367f0eaf47b11eceee.jpg)
近くの千塚(ちづか)神社は、香取、鹿島、八幡、天神、浅
間神社の合社。社殿の右手にまだ枯れ枝のイチョウが大き
く枝を広げ、若木だが濃いピンクの桜が満開だった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/7e/2e0973f8bf8e6d173b39a667360678b3.jpg)
東側の民家の庭に2本のソメイヨシノが咲き競い、前の畑
にはナノハナがたくさん咲いていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/43/2f5e0619fee4e8e40ce0d0f142486067.jpg)
さらに東へ、県道152号バイパス南側にある新四国埼東
八十八か所第8番札所、宝積院に回る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/5f/b1693146af1665ce37b7e4f8f2b1d79a.jpg)
満開のソメイヨシノが3本だけの、開放的な境内。明和8年
(1771)銘の宝篋印塔が目についた。
東側には、香取大明神と正八幡大神を祭る神社が並んで
いる。
県道152号バイパスを越えて松石集落へ進み、中川に近
い残光寺に入る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/de/247c3383b62372ded3732da5323b38d9.jpg)
本堂の手前に屋根も壁面も朱塗りのお堂があり、若木の
しだれ桜が見頃だった。
松石集落と高須賀集落の間にある昼食地の高須賀公園に
12時9分に着いた。
各グループとも間もなく揃い、東屋(あずまや)と周辺の芝
生で昼食をする。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/c5/b1cc1ba15370836b303c64afed57dfdb.jpg)
公園の中心には池があり、何羽かのバンが泳いでいた。
=権現堂堤で花見をして幸手(さって)市街へ=
ゆっくり休憩して記念撮影後、14時に出発する。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/48/e4df586a52d65deef5282cdb96fcc1fc.jpg)
高須賀集落の北側を進んで東武日光線と、花見の車で渋
滞する国道4号を越え、権現堂堤の西北端に入る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/11/c4b117f0f316d693b12a85154eef8d1f.jpg)
1㎞ほど続くソメイヨシノがちょうど見ごろの日曜とあり、どこ
もかしこも花見客で一杯だ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/a0/4895bbc1487a36ddfc60a95298f704a7.jpg)
桜堤と中川の右岸堤防の間にある田んぼにも、満開のナノ
ハナ畑が広がっていて、ソメイヨシノとナノハナ両方の花見が
楽しめる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/d0/2761e6dd0e3228052764e6dd758856bd.jpg)
中川堤防やナノハナの間のあぜ道、桜堤などをゆっくり回っ
て花見を堪能し、桜堤の東南端に出た。
この後は幸手の市街地にある寺社を巡ることとし、まず北
3丁目の熊野権現社に行く。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/5b/e3a7242c2eb376d501aae3f55bc7b0b7.jpg)
紀州(和歌山県)の熊野権現社の分社で、権現堂村や権
現堂川の名の起こりでもある社。この付近は、江戸から大正
にかけ、権現堂河岸の船着場として栄えたとか。
社殿内に、明治28年(1895)に奉納された権現堂堤修復
作業の絵馬が奉納されていた。
国道4号を越えて正福寺へ。江戸時代、学問の研究や子弟
を養成する常法談林(じようほうだんりん)で、徳川家光の代に
は、ご朱印13石を賜っているという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/68/022671a30c3e0e5b9da62b64c941f982.jpg)
境内に「義賑窮餓之碑(ぎしんきゅうがのひ)」がある
(上の写真)。天明3年(1783)の浅間山大噴火で関東
一円が大飢饉になった際、幸手の有志が難民の救済を
したことが関東郡代伊奈忠尊の知るところになり、顕彰
碑を建てさせたものだという。
幸手小の南にある聖福院へ、同院経営の幼稚園側から
入る。大きな本堂とともに、日光街道に面した勅使門が目
についた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/7a/6aa456a762b24cd87875256b59b6facb.jpg)
かつて将軍一行や例幣使(天皇が祭礼に送る使者)が来
たときしか、開くことの無かった門とか。
この寺は、日光東照宮に参詣した歴代将軍や、東照宮例
祭に臨席した例幣使の休憩場所だったという。
南側の雷電神社は、幸手で最も古い神社のひとつ。明治
以前は幸手宿の総鎮守で、水との関係が深いところから
農家の人々の信仰を集めたという。
境内には高さ数mの、御嶽講信仰のミニ御嶽山がある。
さらに南に進むと幸宮神社。創建から400年以上の古社
で、ここも幸手宿の総鎮守だったようだ。
現在の本殿は、文久3年(1863)の再建。本殿の周囲に、
獅子、鳳凰、鷹、松、四季農耕などみごとな木彫が施され
ていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/ef/030ed1aec295bb91e0c2875aced96e60.jpg)
広い境内には、幾つかの社殿があり、ケヤキやイチョウの
大木も何本かある。
権現堂堤で一時散会したメンバーが揃い、ゴールの東武
日光線幸手駅に16時51分に着いた。
(天気 快晴、参加 22人、距離 10㎞、地図(1/2.5万)
栗橋、久喜、歩行地 鷲宮町、幸手市)
埼玉県内を中心にカントリーウオークをしているグループ
の、第152回例会レポートです。
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=中川右岸の田園地帯を東へ=
快晴で暖かくなるという予報のこの日、JR宇都宮線東鷲
宮駅を10時に出発する。
駅を出て東へ、桜田3丁目の集合住宅地にある沼井公園
の木々は、芽吹きはじめていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/a7/64cd72519fc331a57a098f046447cdeb.jpg)
ソメイヨシノの咲く桜田小の東側を回り、境内に樹木の乏
しい妙性寺に寄る。
田園地帯を進んで東北新幹線の下を東に抜け、八甫新
田の稲荷神社を経て宝性院(ほうしよういん)に入った。
天和元年(1681)の開山で、新四国埼東八十八か所第
七番札所。境内の小さいお堂に、きれいに着飾った2体の
親子地蔵尊が並んでいた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/1b/4b5e003f5677e6367f0eaf47b11eceee.jpg)
近くの千塚(ちづか)神社は、香取、鹿島、八幡、天神、浅
間神社の合社。社殿の右手にまだ枯れ枝のイチョウが大き
く枝を広げ、若木だが濃いピンクの桜が満開だった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/7e/2e0973f8bf8e6d173b39a667360678b3.jpg)
東側の民家の庭に2本のソメイヨシノが咲き競い、前の畑
にはナノハナがたくさん咲いていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/43/2f5e0619fee4e8e40ce0d0f142486067.jpg)
さらに東へ、県道152号バイパス南側にある新四国埼東
八十八か所第8番札所、宝積院に回る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/5f/b1693146af1665ce37b7e4f8f2b1d79a.jpg)
満開のソメイヨシノが3本だけの、開放的な境内。明和8年
(1771)銘の宝篋印塔が目についた。
東側には、香取大明神と正八幡大神を祭る神社が並んで
いる。
県道152号バイパスを越えて松石集落へ進み、中川に近
い残光寺に入る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/de/247c3383b62372ded3732da5323b38d9.jpg)
本堂の手前に屋根も壁面も朱塗りのお堂があり、若木の
しだれ桜が見頃だった。
松石集落と高須賀集落の間にある昼食地の高須賀公園に
12時9分に着いた。
各グループとも間もなく揃い、東屋(あずまや)と周辺の芝
生で昼食をする。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/c5/b1cc1ba15370836b303c64afed57dfdb.jpg)
公園の中心には池があり、何羽かのバンが泳いでいた。
=権現堂堤で花見をして幸手(さって)市街へ=
ゆっくり休憩して記念撮影後、14時に出発する。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/48/e4df586a52d65deef5282cdb96fcc1fc.jpg)
高須賀集落の北側を進んで東武日光線と、花見の車で渋
滞する国道4号を越え、権現堂堤の西北端に入る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/11/c4b117f0f316d693b12a85154eef8d1f.jpg)
1㎞ほど続くソメイヨシノがちょうど見ごろの日曜とあり、どこ
もかしこも花見客で一杯だ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/a0/4895bbc1487a36ddfc60a95298f704a7.jpg)
桜堤と中川の右岸堤防の間にある田んぼにも、満開のナノ
ハナ畑が広がっていて、ソメイヨシノとナノハナ両方の花見が
楽しめる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/d0/2761e6dd0e3228052764e6dd758856bd.jpg)
中川堤防やナノハナの間のあぜ道、桜堤などをゆっくり回っ
て花見を堪能し、桜堤の東南端に出た。
この後は幸手の市街地にある寺社を巡ることとし、まず北
3丁目の熊野権現社に行く。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/5b/e3a7242c2eb376d501aae3f55bc7b0b7.jpg)
紀州(和歌山県)の熊野権現社の分社で、権現堂村や権
現堂川の名の起こりでもある社。この付近は、江戸から大正
にかけ、権現堂河岸の船着場として栄えたとか。
社殿内に、明治28年(1895)に奉納された権現堂堤修復
作業の絵馬が奉納されていた。
国道4号を越えて正福寺へ。江戸時代、学問の研究や子弟
を養成する常法談林(じようほうだんりん)で、徳川家光の代に
は、ご朱印13石を賜っているという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/68/022671a30c3e0e5b9da62b64c941f982.jpg)
境内に「義賑窮餓之碑(ぎしんきゅうがのひ)」がある
(上の写真)。天明3年(1783)の浅間山大噴火で関東
一円が大飢饉になった際、幸手の有志が難民の救済を
したことが関東郡代伊奈忠尊の知るところになり、顕彰
碑を建てさせたものだという。
幸手小の南にある聖福院へ、同院経営の幼稚園側から
入る。大きな本堂とともに、日光街道に面した勅使門が目
についた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/7a/6aa456a762b24cd87875256b59b6facb.jpg)
かつて将軍一行や例幣使(天皇が祭礼に送る使者)が来
たときしか、開くことの無かった門とか。
この寺は、日光東照宮に参詣した歴代将軍や、東照宮例
祭に臨席した例幣使の休憩場所だったという。
南側の雷電神社は、幸手で最も古い神社のひとつ。明治
以前は幸手宿の総鎮守で、水との関係が深いところから
農家の人々の信仰を集めたという。
境内には高さ数mの、御嶽講信仰のミニ御嶽山がある。
さらに南に進むと幸宮神社。創建から400年以上の古社
で、ここも幸手宿の総鎮守だったようだ。
現在の本殿は、文久3年(1863)の再建。本殿の周囲に、
獅子、鳳凰、鷹、松、四季農耕などみごとな木彫が施され
ていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/ef/030ed1aec295bb91e0c2875aced96e60.jpg)
広い境内には、幾つかの社殿があり、ケヤキやイチョウの
大木も何本かある。
権現堂堤で一時散会したメンバーが揃い、ゴールの東武
日光線幸手駅に16時51分に着いた。
(天気 快晴、参加 22人、距離 10㎞、地図(1/2.5万)
栗橋、久喜、歩行地 鷲宮町、幸手市)