あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

関東百駅巡礼歩行 見沼代親水公園駅

2008-04-12 23:19:51 | 関東百駅巡礼歩行
 2008年4月12日(土)



 やまさんの「関東百駅巡礼歩行」の第44回目は東京都
内の駅。

 今回は3月30日に開通したばかりの東京都交通局の
「日暮里・舎人(とねり)ライナー」の終点、見沼代(みぬま
だい)親水公園駅である。

 集合したメンバー10人は、記念撮影をして10時5分に
駅を出た。

 日暮里・舎人ライナーは、JR日暮里駅そばから尾久橋
通りの上を高架で走るモノレール。ほぼ真っ直ぐに北へ
9.7㎞、日暮里駅のほか12の駅があり、見沼代親水公
園駅までは約20分(320円)である。

 この駅自体が東京の最北端の駅だが、駅付近も東京23
区の最北端に近い。北に300mほどの舎人4丁目に回っ
て、最北端の場所を確認する。

 このカーブミラー付近が最北端だと、近くの民家の奥さん
が教えてくれた。小さい流れを隔てた左側は埼玉県草加市
で、武田薬品の大きな建物がある。

 150mほど南を流れる毛長川。

 東側や西側は、この川が都県境なのだが、最北端付近の
600mほどが一つ北の細い流れが都県境になっている。
むかしは、毛長川の流れがこのあたりで蛇行していたもの
と思われる。
 
 駅のそばに戻り、東南に向かう小さい流れに沿って緑陰
の続く、見沼代親水公園に入った。


 公園沿いにあった諏訪神社、覆い屋に保護された本殿
の、周囲を飾る木彫がすばらしい。


 少し先の「すいしゃ池」では、小さい水車が回っていた。


 すいしゃ池で見沼代親水公園を離れ、近くの西門寺へ。
朱塗りの山門の正面に本堂があり、そばのシダレザクラが
見ごろだった。


 本堂前の小さい石の水たまりに、メダカがたくさん泳いで
いた。

 普通のメダカより赤っぽい、ちょっと変わったメダカだ。

 門前を南に進んで車道に出る。

 「赤山道」と呼ばれ、江戸時代の関東郡代伊奈氏の赤山
陣屋(埼玉県川口市)と日光道中の増田橋を結んだ古道だ
ったようで、当時の舎人宿はこの北側になることを記す石碑
が立っていた。


 その通りを越えて南側の古千谷本町2丁目に入り、全学寺
を経て、すぐ東側の常光寺に行く。

 享禄3年(1530)の創建で、開基は古千谷開拓者の一人、
花井肥前守正義といわれているという。
 
 墓地には、珍しい唐破風付の墓が並んでいる。

 開基した花井肥前守正義など、花井家のものらしい。

 ご住職夫人が居られ、3~40年前のこの周辺のことなど
をお聞きした。

 南に400mほどで、足立区最大の公園、23区内でも有
数の広さを持つ舎人公園に正午頃入り、豊富なクローバー
の上で昼食にした。


 昼食後は、3月初めに香港から北京までの約3000㎞を
野宿しながら歩く計画で出かけたが、シンセン郊外の無人の
原っぱで寝ていた深夜に、着衣とシュラフ代わりのシート以
外の身ぐるみ全部を盗難に遭い、やむなく帰国したてんまつ
を、Dさんから聞く。

 外国旅行での注意点の幾つかを知る、貴重な話だった。

 ここで解散となり、Dさんを囲んでもう1度記念撮影をして
散会した。


 公園の中心にある池のそばまで行ったが、今日はイベントが
あるようで園内は大勢の人出で賑わっている。

 いかに広い公園といえども、こんな混雑する人出ではその
先まで回る気にならず、入ってきた北東に戻り、公園を出た。

 その後は、用意してきた地図で見つけた、10数か寺が集ま
った「寺町」ともいうべき伊興4丁目に回って寺を一巡し、東武
伊勢崎線竹の塚駅に15時30分に着いた。

 寺町周辺の様子は、別途紹介することとしたい。


  

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする