あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

四国遍路道ふた旅(後編)・愛媛その7

2007-03-21 22:24:14 | 四国遍路道ふた旅
 春分の日の今日は、「アートウオークセラピー」という、私にとって
初めてのスタイルのウオーキングで、神奈川県葉山町と横須賀市
の境界付近の斜面を歩いてきました。

 そのレポートは、明日以降にして、本日は四国遍路後半2日目を
報告します。

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 第2日 2007年2月19日(月) 快晴

 45番岩屋寺
 =農祖峠を越えて=



 5時20分起床、6時朝食。おむすび弁当を作ってもらい、おかみ
さんに見送られ、6時35分に内子町小田のふじや旅館を出発した。

 小田川沿いの国道380号を先に進む。まだ明け切らず、暗さが
少し残る。狭い谷間の緩やかな上り道が続き、時折ウグイスが鳴く。


 しばらく家並みがなく、1時間余りで大平(おおひら)へ。三島神社
で小休止し、すぐ先から車道を離れて遍路道に入る。


 ショートカットして国道380号に上がり、少し先で、畑峠への遍路
道を左に分けた。

 新真弓トンネルの手前にある真弓休憩所の東屋で休憩。

ここまで1車線の狭い国道だが、車は少ない。新真弓トンネル
(710m)には、狭い歩道があるが、通過した車は1台だけだった。

 トンネルが、内子町と久万高原町(くまこうげんちょう)の境、久万
高原町側は、開けた谷間の右側に田んぼが続き、国道も片側1車
線となり、歩道もある。

太陽が上がって斜面が暖められ、もやが立ち上がる。


 しかし今朝はかなり冷えたようで、日陰には霜が残っていた。
相変わらず車は少ない。国道380号に分かれて左の旧道に入り、
露峰(つゆみね)バス停のT字路で、二名川沿いの県道42号へ。

 こちらも片側1車線あり歩道も広い。1.5㎞ほどで左への遍路
道に入る。渓流沿いの杉とヒノキの林だが、車も通れる幅で平成
遍路石のあるところまで続いた。

 緩い上りとなり、少しの山道を上がって、標高651mの農祖峠
(のうそのとう)に着く。峠の向こうからの風がやや冷たい。

 峠を下り、馬酔谷から下野尻の集落へ。かやぶき屋根にトタンを
被せた家が幾つか目につく。改良工事中の下野尻の浄水場先で
左への遍路道を下る。

 その先にある平成遍路石が、44番大宝寺と45番岩屋寺への
分岐点。

 今回は先に45番をお参りすることにして、右に向かう。

 杉やヒノキの林を下って行くと、久万高原町の町並みが近づく。
国道33号を横断し、県道153号へ。日向ではポカポカだが、
日陰は涼しく、軍手が脱げない。

 車道の上りが続き、越ノ峠でようやく下りになる。正午を過ぎた
ので、峠のすぐ下で、行く手の谷間を見ながら路傍で昼食。宿の
おかみさんに作ってもらった混ぜご飯の握り飯をいただいた。

 少し下ったら、逆打ちの男性遍路と会う。「この道を下る人は
珍しい。良い道だがきついよ」と教えてくれた。


 3基の大きな石碑が立つ中の村の三差路を右に少し下り、日の
出橋の三差路を左に入る。せせらぎ沿いの町道宮ノ前槙谷線を
上がって、最奥の小集落、槙の谷へ。

 集落の鎮守、素鵞神社には、太い杉3本と町文化財のツクバネ
ガキの古木が群生している。

 そばの家にいる数頭の犬が、珍客の来訪で盛んにほえる。

 一番奥の家の先で簡易舗装が終わり、山道の上りとなった。杉
落ち葉がいっぱいの急坂、ゆっくりと上がる。稜線近くでは、伐採
されたところがあり、上がってきた谷間を振り返り見る展望がよい。


 少し下ってトラバースする道は、幅狭く左右の傾斜があり、谷川
に落ちぬよう注意が必要だ。南南東に、特長あるかなり高い山が
見えてきた。左のピークに2つの塔のようなものが認められる。
何という山なのだろうか。


 間もなく、八丁峠からの道との三差路、八丁の茶屋跡に着いた。


 その先は、稜線上の広葉樹や松など、落ち葉がたっぷりの、快
適な遍路道が続く。


 太い杉林が増え、弘法大師が修行したという、垂直の岩の間に
細いすき間のある逼割(せりわり)道場を経て、45番岩屋寺の
山門をくぐる。

 手前に大師堂、向こうに本堂、いずれも社殿の木彫がみごと。
本堂は巨大な岩を背に、山岳霊場の雰囲気が満ちあふれている。
陽が差し込まず、冷えてきた。納経所背後も大岩が迫っている。

 車道への下りは、赤と青ののぼりや、お地蔵さんがたくさん
並ぶ急坂を下る。下の山門まで9分かかった。下の駐車場には、
上り20分と表示されていた。

 直瀬川のそばまで下り、左岸沿いの遍路道を進む。

 途中で、照明の明るい古岩屋トンネル(254m)を抜ける。
さらに川沿いに進み、16時52分、古岩屋荘(ふるいわやそう)
に着いた。

 洗濯機に洗濯物を入れ、岩風呂に入り汗を流す。といっても、
今日は気温が上がらず、余り汗もかかなかった。

 夕食は18時から、隣の211号室に運んでくれた。結構盛りだく
さんのメニューだ。

 携帯電話は通話圏外で、外へも出て探ってみたが、ブログへの
投稿は出来なかった。

〈コースタイム〉ふじや旅館6:35ー道徳バス停7:10ー三島神社
7:45~55ー真弓休憩所8:35~40ー露峰バス停9:44ー農祖峠上り
口9:58ー農祖峠10:35~45ー下野尻浄水場下(遍路道へ)11:11ー
44番・45番分岐(平成遍路石)11:19~22ー越ノ峠先(昼食)12:02~
33ー日の出橋13:05ー素鵞神社13:35~45ー八丁の茶屋跡14:30~
40ー45番岩屋寺15:30~16:00ー古岩屋荘16:52

(距離 27.5㎞、地図(1/5万) 久万、歩行地 内子町(旧小田
 町)、久万高原町、歩数 49,500)
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四国遍路道ふた旅(後編)・愛媛その6続(内子の町並み)

2007-03-20 22:33:04 | 四国遍路道ふた旅
 昨日報告した愛媛県内子町の、内子駅前のSLと内子の町並み、
特に国の伝統的建造物群保存地区に指定されている八日市護国
地区を中心に、もう少し紹介します。

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 2007年2月18日(日)



 JR内子線内子駅前には、C12 231号SLが展示されている。

 このSLは、内子線を走った蒸気機関車のうち、最後の昭和44年
(1969)4月~昭和45年(1970)3月末まで走った蒸気機関車
とのこと。

 当時、貨物専用列車として、内子駅から伊予大洲駅間を、内子
町内や、この日と翌日歩いた小田川流域で生産される木炭や木材
を運んだという。

 町の中心街、本町通に入り、400mほどで左に入ると、大正5年
(1916)、大正天皇即位の大典を記念して建てられた歌舞伎劇場、
内子座がある。

 建物は、当時全国的に建てられた劇場の基本に習い、妻側を正
面にした木造瓦葺き2階建てで、回り舞台や花道などを整えている。

 その後、映画館や商工会館に転用され、部分的に改造されたので、
昭和60年(1985)に、総事業費7,020万円をかけて復元完成した
という。

 本町通りの中ほどにある下芳我邸(しもはがてい)。

 築後130年の旧家で、石挽きのそばと摘み草御膳が味わえ、
ギャラリーも併設している。

 少し先、伊予銀行内子支店の角を左に入ると、国の重要伝統的
建造物群保存地区に指定されている内子町八日市護国地区がある。

 電線を地中に埋設し、昔ながらの風情の町並みが約600mに
わたり続いている。


 国重要文化財の本芳我家(ほんはがけ)。

 木蝋(もくろう)の生産と海外輸出で財をなした旧家である
(非公開)。


 町並みには、竹材点や民芸品などの店、土産店、喫茶店、そば屋
などが並んでいる。



 内子の典型的な屋根と壁面を見せる建物。


 私が興味を持ったのが、この折り畳み式のぬれ縁。

 夜間はこのように折りたたんでおき、朝になると下のように使え
るようにする。(上と下は別の家)

 内子独特のものだと、使えるようにしていた人が教えてくれた。

 木蝋資料館「上芳我邸」(かみはがてい)。木蝋生産で財をなした
芳我家の分家の一つ。

 木蝋の生産工程や道具などを公開している。国重文である。

 指定地区の最奥、八日市・護国町並み保存センターまで行き、往路
を戻ったら、大森和ろうそく屋ののれんが出ていた。

 内子町で唯一の手づくり和ろうそく店。ハゼの実から搾り取るろうを
年輪のように重ねて塗りつける、独特の製法が見られる。

 

 

 
 

 

 
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四国遍路道ふた旅(後編)・愛媛その6

2007-03-19 17:41:00 | 四国遍路道ふた旅
 本日から、四国遍路後半の行程を報告します。なお、タイトルの
内、県別の番号は、初回の時と同様、前半からの通し番号とします。

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 第1日 2007年2月18日(日) 曇り一時晴
 =ウグイス鳴く小田川沿いを=



 6時20分に起床、6時55分朝食、7時35分にときわ旅館を出る。
雨上がりで暖かい感じ。伊予大洲駅の温度計は10度を示す。

 7時49分発松山行き車内はポカポカ。8時4分に内子駅に着く。
今日は霊場へのお参りはないので白衣は付けず、8時10分に内子
駅を出た。

 駅にあった内子の散策マップを見ながら、古い歌舞伎劇場、内子
座に寄り、国の伝統的建物群保存地区である八日市・護国地区の
通りに入る。


 地中化して電線や電柱のない通りの両側に、古い家並みが続く。
内子特産の木ろうの店、国重文の本芳我邸、上芳我邸を過ぎ、護
国町町並み保存センターまで往復する。

 まだ朝早いので、開店前の店、開店中の店など多く、観光客も
いない。興味を引いたのは、夜間引き上げておいた縁台を、下ろ
して使えるようにしていたこと。聞くと、内子独特の縁台の造りだ
という。

 戻る途中で、開店していた土産店にてお茶のお接待をいただく。
十字路に戻り、反対の東側に出て、国道沿いのコンビニ・サンクス
で弁当を購入した。

 小田川を渡ってすぐの、道の駅内子フレッシュパークに寄ったら、
ここにも弁当が置いてあった。補食用に草餅を買う。晴れてきた
ので菅笠をかぶる。


 国道379号に入り小田川沿いに進むと、今年初めてのウグイス
の鳴き声を聞く。でもまだ調子は何となくたどたどしい。ナノハナ
もあちこちで花を開いていた。


 国道には、2m幅くらいで、自転車通行可の歩道があり、安心し
て歩ける。観光梨園が2つ並んだ先で、長岡トンネル(392m)を
抜ける。

 すぐ先に、お遍路無料宿があった。扉を開けて入ると、若い男性
とテントを干していた自分と同年輩くらいの男性遍路が休んでいた。
若い人は入れ違いに出た。

 もう1人と、テント泊のことや、お勧めの宿とそうでない宿の情報
交換などをして、50分ほど滞在する。気温が上がりそうなので
スボン下を脱ぎ、無料宿を出た。

 すぐ先の下和田には、梨の直売小屋が幾つかある。短い和田
トンネル(190m)を抜けると、柿畑が増え、次の上和田には柿の
選果場もあった。


 桝木(かれぎ)で、小田川右岸の旧道に回ると、幾つかの製材工
場が目に入る。階段を上がって三島神社へ。

 社殿の木彫と木組みがなかなか見ごと。境内のベンチで昼食を
した。

 大瀬小の裏手に「大瀬の館米蔵」の表示があったので行っが、閉
館していた。国道に戻り、左に県道241号を分ける三差路には、
ログハウス調の河口橋バス停がある。


 乙成(おつなり)集落に、「曽我五郎、十郎首塚まで徒歩20分」
との表示があったが、寄り道は省略した。もう一度小田川右岸の
旧道に入り、1㎞足らず進む。

 柿畑が増えたが、幹は関東の柿の木より白っぽい。国道に戻ると
道路幅が狭まり、歩道が無くなる。間もなく番外霊場千人宿大師堂
がある。堂内は畳敷きで、遍路無料宿になっている。

 近くに、筏(いかだ)流し交流センターと筏流し資料館があったが、
やはり日曜で閉館していた。


 小田川の流れが急カーブする路木には、番外霊場、楽水大師が
ある。少し先では国道の拡幅作業が進められていた。

 梅津集落背後の急斜面には、石積みの段が何段も続き、柿畑が
斜面の上の方まで伸びている。


 小田川と吉野川の合流点、突合(つきあわせ)に着く。

 前回宿泊した徳岡旅館前の三差路を右折し、初めての国道380
号に入る。

 水元集落付近から、国道の対岸、小田川左岸に新しい道路の建
設が進められていた。石山橋そばの大久保商店に、ベンチがあっ
たので休憩させてもらう。

 橋向こうの新国道は完成済みで通行できるが、そのまま右岸の
旧道を進む。家並みが増え、小田町寺村に入る。

 小田高そばの街路樹は、赤い実がいっぱい付いている。「道の駅
小田の郷せせらぎ」に寄り、地元農産物などの販売品をひととおり
のぞく。


 内子町小田支所前から旧小田町の中心街に入り、15時47分、
ふじや旅館に着いた。宴会場もあり、にぎやかな歌声も聞こえる。
古い建物の2階の部屋に入り、洗濯機に投入して入浴する。

 夕食は18時から、1階の玄関を入ったところの部屋で。大きな
土鍋に牛肉、豆腐、カニ、コンニャク、うどん、白菜、シイタケなど
盛りだくさんの鍋物。刺身や、とろろもあり、鍋はとても食べきれ
ずに残してしまった。

 小田町の名物、たらいうどんのポスターがある。宿のご主人に
聞いてみたら、桐製だというたらいを見せてくれた。よく煮たやわ
らかいうどんが4、5人前入るとのことで、直径30cm位もあった。

 今日は1日暖か。ジャンパー着用は昼食時だけで済み、汗も
ほとんどかかず、距離も約20㎞でアップダウンもなく、初日の足
慣らしには好い1日だった。

〈コースタイム〉内子駅8:10ー内子の町並み探訪ー道の駅内子
フレッシュパーク9:25~33ー長前橋10:15ーお遍路無料接待所
10:34~11:25ー桝木橋11:55ー三島神社(昼食)12:14~57ー河口
橋13:20ー千人宿大師堂13:50ー筏流し交流センター13:55~14:02
ー楽水大師14:08~10ー突合14:35ー石山橋際・大久保商店14:55
~15:05ー道の駅小田の郷せせらぎ15:38~41ーふじや旅館15:47

(距離 20㎞、地図(1/5万) 大洲、久万、歩行地 愛媛県内子
町、歩数 36,500)
 
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カタツムリ歩行・東武東上線志木駅

2007-03-18 23:13:48 | カタツムリ歩行
 今日から首都圏のほとんどの交通機関で、「PASMO」(パスモ)
が利用できるようになりました。

 電車とバスで使える交通用ICカードです。改札口のリーダーの
ところに近づけるだけで改札できるので、簡単に通過できます。

 従来、首都圏のJRで使用していた「Suica」とも相互利用出来る
ので、大変便利になりました。

 朝出かけたとき、地元・西武池袋線の西所沢で早速Suicaの
カードにて改札でタッチしてみたら、もちろん読みとり可、初利用を
しました。

 今日も真冬並みの気温で、風も冷たい1日でしたが、JR武蔵野
線沿線を歩くウオーキング、「カタツムリ歩行」の第162回例会に
参加しました。

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 東武東上線志木駅を10時過ぎにスタートする。雲ひとつ無い
快晴だが、風が冷たい。


 南口から、マンションの林立する線路沿いに北西に進む。南北
に走る志木街道の西、幸町1丁目に回ると、住宅地の間にわずか
に畑があり、ナノハナが咲いていた。


 線路をまたぐ車道の下をくぐってさらに北西へ。こちらも新しい
マンションなどの住宅が増えているが、畑も残っていて、大きく
育ったコマツナや大根のナノハナが春の到来を告げていた。


 出来たばかりらしいマンションの一角には、ヒュウガミズキや
ユキヤナギが花盛り。


 散在する農家には、ケヤキの高木が残っている。


 西原斜面林と名付けられた辺りに行ってみたが、斜面林はわず
かで、竹林が刈り払われたところに塚の山古墳があった。

 7世紀後半に築造され、かつては数基の古墳があり、大塚古墳
群と呼ばれていたが、現在残るのは、この塚の山古墳一基だけと
いう。

 付近には、屋敷林をめぐらした、かつての武蔵野の農家の面影
を伝える民家が見える。


 東上線の踏切を越え、北側の柏町五丁目に回る。墓地の一角
に千手堂と呼ぶ小さなお堂があった。

 本尊・千手観音菩薩が、鎌倉末期から室町中期ころの作と伝え
られることから、創建もそのころと推定されているようだ。


 近くの畑にはフキノトウが花を開いていた。

 そばにある神明神社は、伊勢の皇太神宮を分祀したもので、
全国に1万5千を数えるという。この社は、元和2年(1616)に
創建したらしい。小さい社殿の一隅に、古いひな人形が奉納され
ていた。


 大きなマンションの間を東に回ると、「柏町ふれあいの森」と呼ぶ
北向きの斜面林があり、竹や広葉樹の林の間に、ささやかな遊歩
道が設けられている。できれば、もう少し広い森を残して欲しかった。


 東西に走る車道の交差点に、「チョウショウインハタザクラ」の
案内用矢印があり、それに従って住宅地を北東に進む。

 志木三小の近くの駐車場に「柏の城西の曲輪(くるわ)跡」の説明
板があった。それによれば、この場所が、関東管領山内上杉家の
重臣・大石氏一族の戦国時代初期からの居館のようだ。

 その一角に長勝院ハタザクラの古木が立っている。

 平安末期、田面群司(たものぐうじ)・藤原長勝(ふじわらのおさ
かつ)の居城(柏城)があったところで、長勝の死後、時の地頭が
主君源頼朝の妻・政子の安産祈祷のために長勝の霊を祭って
長勝院という寺を建てたが、昭和61年に解体されたという。 

 その寺でただ一つ残ったのが、目的のハタザクラ。目通り3.07
m、樹高11.2m、樹齢400年以上で、世界に一つしかないという
珍しい桜は、長勝院ハタザクラと呼ばれている。

 この桜の花は大きく、一重咲きの花におしべの一部が花弁状に
変わった旗弁を生ずる、ヤマザクラ科の一種だという。

 この桜は、埼玉県内でも巨木の中に入り、志木市天然記念物で、
「21世紀に残したい埼玉ふるさと自慢100選」にも選定されている。

 残念ながら花はまだつぼみで、世界でただ1本という珍しい花びら
を見ることは出来なかった。そばに志木市保存樹木、ヒノキの古木
も立っていた。

 志木三小前を経て東に進むと、今日のゴール、「舘(たて)の氷川
様」と呼ぶ氷川神社の森がある。12時ちょうど到着した。すでに
他の皆さんは着いていて、昼食中だった。

 氷川神社は、約1,100年前、武蔵一の宮・大宮氷川神社より勧請
(かんじょう)したもの。その後、この近在・旧館の郷五か村の総鎮守
として、信仰を集めたという。

 境内には背の高いケヤキが数本そびえ、社殿背後には、社殿より
はるかに高いコブシがあり、たくさんの花が咲き始めていた。


 昼食を終えて記念撮影とミーティング。そして山浦敬子さんのオカ
リナ演奏に合わせて、みんなで「早春賦」や「どこかで春を」などを
合唱して散会となった。


 私は、ヒカンザクラやコブシ、ハクモクレンなどの咲く、志木ニュー
タウンのマロニエ通りや、新座団地のはなみずき通りを抜け、2月
例会の集合地、JR武蔵野線新座駅まで歩き、帰途についた。

 

 



 

 

 

  

 
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四国遍路道ふた旅(後編)・出発日

2007-03-17 22:26:17 | 四国遍路道ふた旅
 今日は父母の墓参のため、埼玉県小川町の弟の家と菩提寺に行っ
て来ましたが、相変わらず風が冷たく寒い1日でした。

 今日から、先週末終了した四国遍路後半のレポートを始めます。
 
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 2度目の四国遍路後半は、前半から戻って2か月余りの、2007年
2月中旬から3月上旬にかけて歩くことにした。

 今回は、結願して1番霊山寺に戻った後、岡山のIさん宅に泊まり、
3月10日(土)、11日(日)に開催される第20回瀬戸内倉敷ツーデー
マーチに参加する予定のため、調整日も設けて、それに間に合うよう
に日程を逆算して出発日を決めた。

 =出発日= 
 2007年2月17日(土) 曇後雨

 朝7時8分に自宅を出て、東京駅8時36分発東海道新幹線ひかり
365号自由席に乗る。曇り空で富士山は見えない。

 関西に入ったら雨となった。12時46分岡山着。13時22分発特急
しおかぜ22号で瀬戸大橋を渡って予讃線へ。冷たい雨が続く。

 松山に16時14分に着き、5分の乗換時間で同じホーム前方の特急
宇和海に乗り継ぐ。

 途中から天気は回復模様になり、16時52分、伊予大洲駅に降りた。

 まだ小雨が残っていたが雨具は着けずに宿に向かう。少し行き過ぎて
戻り、17時過ぎ、ときわ旅館に入った。

 前半の最後にお世話になった宿。若いご主人の気持ちよい対応と
食事や部屋が気に入り、もう一度お世話になることにしたもの。


 今回も部屋は暖かくなっていて、早速入浴し、ひな飾りのある部屋で
ひとり夕食をいただく。


 食半ばに若ご主人が来られ、遍路のことなどの話を交わす。若ご主人
は東洋大学野球部OBで、阪神の桧山選手と同期とのことだった。

 なお、ときわ旅館のアドレスは以下のとおり。
http://nttbj.itp.ne.jp/0893243634/index.html?Media_cate=populer&svc=1303

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第20回瀬戸内倉敷ツーデーマーチ・第2日

2007-03-16 19:36:55 | ウオーキング
 2007年3月11日(日)



 前日同様、20kmコースに参加した。コースは、倉敷チボリ公園
~くらしき健康福祉プラザ~連島西小~箆(へら)取神社~水玉ブリ
ッジライン~円通寺公園~倉敷市役所玉野支所である。

 JR倉敷駅北口にある、主会場のチボリ公園を9時7分にスタート
した。

 倉敷駅の南口に出て、昨日同様に市の中心街を南に向かったが、
20kmコースは今日、主会場に戻らないので、昨日の帰路に通過
した美観地区を通り、倉敷市役所を経て、南に向かう。


 2kmほど進んで南西に向きを変え、くらしき健康プラザを抜ける。
今日の予想最高気温は10度台、昨日以上に風が冷たく、ジャンパー
や手袋がなかなか離せない。

 片側3車線ある広い国道を南西に向けて進む。水島臨海鉄道の
浦田駅横を通過し、さらに国道をしばらく進む。車の通過音が耳障り
で、気疲れする。

 3km余りの国道を離れて連島の町並みに入る。高台にある厄神社
に上がった。


 境内を抜け、北側の階段を急降下して昼食会場の西浦小に着いた。

 今日もトン汁サービスがあり、長い列を作って待つ。予約した弁当
も受け取り、校庭にシートを敷き昼食をした。

 食後すぐだが、もう一度坂道を上がって箆取神社に入る。海上安全
の守り神で、天武天皇のころ、前に広がっていた海に「箆の神紋」が
現れたことから、箆取大権現と称せられるようになったという。ちなみ
に箆とは、竹や木などを細く平に削った「へら」のことである。

 神社境内からは、水島工業地帯や、玉島の町並みの展望がよい。

 さらに南西に進み、「水玉ブリッジライン」と呼ぶ、高梁川の水島
大橋を渡る。全長1km以上ある長い橋。冷たい風が吹き通り、帽子
が飛ばされそうになる。遍路だったら、菅笠を押さえるのが大変だ。

 幅広い流れは水量も豊富で、川幅一杯に流れている。どの川も水が
極端に少なかった、四国遍路中の愛媛と香川の川とは対照的である。


 もう一つの川、道口川の玉島大橋も渡り、折り返すように北東に上
がり、国民宿舎良寛荘前の広場で、給茶の接待を受ける。


 ここも高台なので、東側の展望が開けている。


 すぐ先の急坂を上がって、円通寺公園にある円通寺に入る。行基の
開祖といわれる曹洞宗の名刹。大きな本堂はかやぶきである。


 良寛が、22歳から10年間修行した寺としても知られている。


 境内の紅梅が、色鮮やかに咲いていた。

 再び急坂を下り、道口川右岸沿いの古い町並みを抜ける。


 味噌・醤油会社で甘酒のサービス、そばの造り酒屋では、日本酒の
試飲をさせてもらった。


 大正橋を渡って玉島の中心街に入り、倉敷市役所玉島支所のゴール
に、14時57分に着いた。


 無料バスで主会場の倉敷チボリ公園前まで戻り、2日間お世話になり、
一緒に歩いた岡山市のIさんにお礼申し上げて別れ、青春18きっぷで
新大阪に向かった。

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第20回瀬戸内倉敷ツーデーマーチ・第1日

2007-03-15 22:25:52 | ウオーキング
 瀬戸内倉敷ツーデーマーチについては、当日、宿泊先の
パソコンから投稿しましたが、もう少し細かいレポートを
報告します。

==========================
 2007年3月10日(土)



 今年が20回目の記念大会となる、瀬戸内倉敷ツーデーマーチ、
2日間とも20kmコースに参加した。

 主会場は、今年から倉敷駅北口すぐの倉敷チボリ公園。
160年の伝統があるという、デンマーク「チボリ公園」の精神
とノウハウを受け継ぐ倉敷チボリ公園は、平成9年7月に
誕生し、5万本の樹木や湖、季節の花などに恵まれている。

 第1日の20kmコースは、倉敷チボリ公園~藤戸寺~熊野
神社~天城小~美観地区~倉敷チボリ公園というルートで
ある。

 8時50分から主会場で出発式が開催され、倉敷市長の
挨拶、来賓の紹介、全国のウオーキング大会のうち主要
15大会が加わっている日本マーチングリーグの紹介などが
行われ、準備体操の後、9時過ぎにコースに向けて出発した。


 倉敷駅の南に回り、倉敷市の中心街を進み、昨年までの
主会場、倉敷市役所を経て、南方に向けて進む。



 倉敷南高校の近くで川沿いに出て東に向かうと、吹きさら
しで風が少し冷たい。


 粒江小を抜けてさらに東に進み、藤戸寺に上がる。源氏
の武将・佐々木盛綱が再建した真言宗の寺である。


 四国の遍路道を思わせる土の道を上り下りして、自転車道
に入る。旧下津井電鉄の廃線跡で、車を気にせずに歩ける
のがありがたい。

 折返しコースに入り、チェックポイントにもなっている熊野
神社に着いた。地元郷内中学生の扮する巫女が歓迎して
くれた。


 朝注文した弁当と、サービスの豚汁を受け取り、境内で昼
食をする。


 帰路は、往路の東側をほぼ並行して北に向かう。倉敷川
沿いに出て、チェックポイントに寄り、さらに倉敷川沿いを
北西に進む。

 対岸に若木の桜が咲き出していた。


 市街地に戻り、本瓦葺き、白壁、格子窓などの伝統的な
建物群が並ぶ美観地区に入る。




 さらにアーケードの町並みを抜け、倉敷駅を越えて、15時
20分に倉敷チボリ公園に戻った。

 この日の参加者は40km、20km、10km、5kmコース
合わせて5,622人、そのうち20kmコースは最多で、2,395
人だった。

 

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春の「青春18きっぷ」は8千円

2007-03-14 22:02:05 | 鉄道
 毎年春、JRから発売される「青春18きっぷ」、今回は、JR
発足20周年記念特価の8,000円です。



 「青春18」だからといって、18歳しか使えないということは
ありません。気持ちが青春ならば、誰でも利用できるのです。

 従来は、1万1,500円で5回(5日)分でしたから、1回(1日)
あたり2,300円でしたが、この春はなんと1,600円です。

 1600円で、JRの普通列車、快速列車自由席と、宮島航路
に乗り放題ですから、本州のJR3社なら、1日で片道46km
以上の区間の往復、あるいは91km以上の区間を乗車すれば、
普通運賃のきっぷを購入するより割安になるのです。

 片道46kmというと、東京駅からなら東海道線の大船、中央
線の八王子以遠までの往復、91kmというと東海道線真鶴、
中央線初狩以遠に行くのに利用すれば割安になります。

 私は、四国遍路と瀬戸内倉敷ツーデーマーチの帰途に、2回
(2日)利用しました。



 3月11日(日)は、朝、岡山~倉敷間(普通運賃320円)に、
午後は倉敷~新大阪間(普通運賃3,260円)、(計3,580円)、
12日は、新大阪~東京~西国分寺~新秋津間(普通運賃
8,720円)2日間合計では、12,300円分が、3,200円で
済んだというわけです。

 その差額は9,100円ですから、新大阪でのビジネスホテル
代4,095円を差し引いても、5,005円割安になりました。

 仮に、3月11日にウオーキング大会終了後、新幹線のひか
り号利用によるジパング割引で倉敷から帰宅したとすれば、
運賃8,600円、ひかり号自由席4,310円、朝の岡山~倉敷
320円を加えて、計13,230円が、3,200円で済むという
ことになり、さらに割安になります。

 時間を使うか、お金を使うかのどちらかで、新幹線か、「青春
18きっぷ」かということになるのですが、たまには在来線で、
ゆっくり景色を眺めながら時間をたっぷり使う旅も試みてはと
思い、紹介した次第です。

 もちろん、在来線では岡山~東京間の直通列車はありませ
んから、何度か乗り継ぎをしなくてはなりません。でも、東海道
線や山陽線は、乗り継ぎがかなりスムースに出来るようにダイ
ヤが組まれていて、数分から20分程度で乗り継ぎが出来る
ので、駅のトイレに寄る時間がないくらいで、次の列車に乗れる
のです。

 春の「青春18きっぷ」の発売期間は3月31日まで、利用期間
は4月10までです。今年の桜は早いとか、お花見に利用する
のもよいかもしれません。

 発売箇所は、JRの主な駅、駅の旅行センター、主な旅行会社
などです。

 青春18きっぷでの帰途、雪の米原駅構内です。


 こちらは、静岡県富士市周辺からの富士山。 

 こういう写真も、新幹線からだとスピードが速すぎて、なかなか
難しいのですが、在来線の方が撮りやすいようです。

 さて、残り3回(3日)はどこに行こうかなー。

 




 
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四国遍路ふた旅後半第19 日

2007-03-14 20:54:18 | Weblog
2007年3月8日(木)

88番大窪寺そばの宿、八十窪を7時40分に出発した。
明け方に雪が降り、屋根や田畑はうっすらと白い。しかし、すでに青空が広がる。
国道377号を南東に向けて下る。今日は、四国遍路の輪を結ぶため、3番金泉寺近くの宿まで行き、明日、1番霊山寺まで戻る予定である。
香川県東かがわ市と、徳島県阿波市の県境に、徳島県天然記念物、境目のイチョウが立つていた。
黒川沿いになり、国道377号から県道40号へ。山間から田園地帯に出て、海沿いに続く引田の町並みの南側の旧道を東へ。
番外霊場で、屋島合戦の際、義経や弁慶が1泊したという、東海寺に参拝する。
讃岐相生駅近くから、香川、徳島県境の大坂峠への遍路道にかかる。明治初期に開通したという道は、幅広く傾斜も緩く、歩き易い。高度が上がり、引田の町並みや海の展望が開けてきた。
県境の大坂峠から、さらに広葉樹の間を標高380mまで上がって、下りとなる。
JR高徳線沿いに南に進んで、徳島県板野町のばんどう旅館に、16時30分に着く。
添付写真は、大坂峠上りからの、引田町のと海の展望。


(注)この原稿は、8日夜ばんどう旅館で携帯電話により作成し、当日夜発信
したつもりでしたが、アップできていなかったようですので、本日(14日)再度
送信しました。
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快晴の富士山

2007-03-12 15:11:03 | Weblog
青春18きっぷでの東海道線の旅も、静岡県東部まで帰ってきました。
雪の関ヶ原から静岡は、快晴に変わっています。風が強くて冷たいですが、それだけに、富士山がよく見えました。
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