魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

新月乙女

2015年09月12日 | 星の流れに

12日早朝、太陽、月、木星が乙女座の日に、東京で直下地震があった。
東京は乙女座だから、あまりにも出来過ぎているが、気象庁は、今後、余震に注意とのこと。

関東大震災も9月で、火星が乙女座にいた。
ただ、関東大震災の時は、土星が天秤座におり、日本の不幸を表していて、これは、東日本大震災の時の土星と同じだ。だから、今回は壊滅的なことが起こるとは思えないが、東日本大震災の一週間前にはこんな地震が続いていた。
つまり、今日の地震より大きな地震が、余震に過ぎなかったというわけだ。

木星が乙女座にいる今、25日から火星が、乙女座に来る。土星は射手座だから、日本の不幸ではないが、東京には不幸を意味する。今回の鬼怒川の水害も利根川の支流で、東京に近い。
また、射手座乙女座を始めとする変容宮にも問題発生で、要注意。取りあえずは盲動しないこと。


遠近索探

2015年09月11日 | 占いばなし

昔、パソコンが現れる前は、手作りのコンピュータをマイコンと呼んでいた。その後、完成品として発売されたものをパソコンと呼ぶようになり、今日のPCになった。今や、PCも古めかしくなり、スマホやウエアラブルの時代になっている。

その、マイコン、パソコンの時代に、おそらくシミュレーション・ゲームの原型と思われる「スタートレック」というゲームがあった。
エンタープライズから、長距離レーダーや、短距離レーダーで、クリンゴン等の敵を発見し、接近するまでに迎撃態勢を整える・・・確かそんなゲームだった。

長距離レーダーで発見するものと、短距離レーダーで発見するものは、見え方も、対応の仕方も違ってくる。遠くに存在するものは、何かはハッキリ解らないが、今の方向性を考える判断ができる。近づくのか避けるのかを決めることができる。しかし近くに現れたものは、選択の余地はない。敵なら迎撃しなければならない。

占いで考える未来予想も、これとよく似ている。
人生の晩年も、人類の300年先も、考えられる未来ではあるが、今現在それを考えても、直接何の役にも立たない。しかし、未来の色合いが何となく見えていると、今、それに向かってどう生きていくのか、生きる心がけができる。
また、見えてはいなくても、目の前の曲がり角で、救急車の音が聞こえたら、何が起こっているか大体想像ができるし、今どうするか考えることができる。

遠い将来は、地図上の目的地であり、この後すぐ起こることは、自動車の運転だ。
運転している時は、次々と現実が襲いかかってくる。目の前に来た救急車を避けるには、未来予想は要らない。しかし横町で聞こえる警笛は、今は現れていなくても、準備行動に移らなければならない。

占い予想の遠近感
今起こることに対処するには、遠い将来のことも考慮しなければならない。
目的地が念頭にあれば、救急車両が来たら、横に寄るのか、バックして違う道を選ぶのか判断が変わってくる。

また、遠い将来は確定した地図ではない。漠然と白い物体が見えても、それが家か車か判別できない。ただ、白い物であることだけが見える。白い「何」にするかは現在の積み重ねが決めることだ。
次の瞬間を予想し、対処を重ねていく中でも、常に、将来のイメージを持ち続けなければならないということだ。
その時、遠い将来を黒い物だとは思わない方が良いし、ある程度の枠の中で、より良いイメージを持ち続けるということだろう。

こういうことが、10代から分かっていれば・・・と、今思う (;.;)


縄文の魂

2015年09月09日 | 日記・エッセイ・コラム

古いVHS録画を観ようと思い、3台のVHSを試したが、全て機能しなくなっていた。
数年前に動かした時は、いずれもかろうじて動いていたが、今回は、テープの挿入自体が困難になり、挿入できたものも、一台は送りも巻き戻しもできず、もう一台は、テープが出せなくなってしまった。

カバーを開けて見たが、上面からだけではどうにもならない。あまりひねくり回すと、却って手が付けられなくなるかも知れないので、そのまま元に戻し、メーカーのサービスを検索すると、「修理受け付け終了」となっている。

VHSの仕組みは、極めて複雑で、素人はうかつに手を出せないことは知っていたので、途方に暮れたが、どこにも頼めないなら、一か八か、自分でやるしかない。
動かない原因は、おそらく、ゴムベルトの劣化だろうから、こいつさえ替えれば動く可能性はある。

ネット上で探すと、やはり、修理キットのようなものが売られている。需要があるのだろう。直せる保証はないが、これしか道は無さそうだ。ただ、ベルトの位置がどこなのか、どうやって取り替えるのか、まだ、開いてないから皆目、見当が付かない。

ハウルの動く城
日本のVHSが世界を席巻したのは、この複雑な機構を誰もマネできなかったからだが、デジタル時代になって、全てがICに組み込まれ、ガチャポンと組み立てできるようになったら、隣の意地悪じいさんでも、簡単にマネして大金を設けた。

VHSは恐らく、テープレコーダーの仕組みから、発展させたもので、そのアイデアは欧米のものだが、日本の職人に掛かると、『ハウルの動く城』のような、ハード時代の極致にまで発展させてしまった。
縄文土器からカラクリ人形に至る、日本人の凝り性がこんな物をつくり出した。
しかし、この視覚的詳細にこだわる質が、抽象概念の実用化を疎かにしてしまった。

日本が電脳ソフト面で後れを取るのは、能力が無いからではない。関心が無いからだ。
今でこそ、焦って自動運転開発に集中しているが、世界が先行するまで、自動車のハード面にしか関心を持たなかった。もちろん、IC化は進んでいたが、あくまで人の補助としてであり、次元を超える、自動運転には注力されなかった。

日本人の感性が、即物的な美や完成度にこだわり、妄想の実現には興味が無く、ゲームやアニメに熱心なことは、いかにも、AB型的国民性をよく表している。
妄想はゲームやアニメの世界と割り切り、自然に有る物は、庭や盆栽のように、そのまま美しくしようとする。大自然の摂理に従いながら夢を見る。それが、AB型の使命感とメルヘンだ。

ただ、手塚治虫の世界がロボットへの関心を高めたように、妄想を具象化するイメージを、既存の世界のたたき台として、次なる既存世界の完成度へと向かっていく。日本人にはそういうステップが合うようだ。

この点で、妄想をいきなり実現させようとする欧米のような冒険魂はなく、多くは、アイデアを後追いしていくことになる。
そこが残念なところだが、漫画やアニメでイメージ化された物への執着心と、緻密な完成度を求める習性は、ロボットや、ロケット製作には適しているのではなかろうか。


元号星座

2015年09月08日 | 占いばなし

今度は、司法試験の問題漏洩。ズバリ、射手座の土星問題だ。法律、大学。
えこひいき、漏洩は、魚座や乙女座の問題。
一方、問題の明治大学だが、明治は何座だろうか?

明治維新から明治にかけて、山田太一はドラマで「獅子の時代」と呼んだ。
星座を考えてのことではないだろうが、「明治」は、本当に、獅子座にふさわしい。
明るく治める。つまり、太陽と統治は、いずれも獅子座だ。

では、大正、昭和は何になるのだろう。明治ほど解りやすくはないが、魚座、牡羊座、天秤座のような気がする。
大正は大いに正しいのだから、正義を表す牡羊座。昭和は、昭かな平和で天秤座。
しかし、大正ロマンとか、激動の昭和のイメージが強い。つまり両者とも、魚座の「光と影」の様相を帯びている。

大正は、牡羊座と魚座。昭和は、その反対の天秤座と乙女座の雰囲気がある。
時代のイメージから考えると、大正は牡羊座で、その後半から昭和前半は魚座が掛かり、昭和後半は天秤座になる・・・大体そんな感じがする。
したがって、大正を牡羊座、昭和を天秤座として、裏に魚座と、乙女座を秘めていると考えてはどうかと思う。

これにより、昭和電工とか、大正製薬のような名前が持つイメージを考えて、星の影響を考察する。

では、平成は何になるのだろう、平らに成るのだから庶民、民衆の時代であり、カニ座と考えられる。そう言えば、確かに、失われた20年。大きい物が崩れて平らになり、デフレが続き、ナショナリズムが形成されていった。


獅子舞い

2015年09月07日 | 星の流れに

火星の獅子座運行による現象が、あちこちで起こっている。火星の運行は通常、各星座で1~2ヶ月だが、逆行の時は数ヶ月の場合もある。今は、獅子座で金星が逆行しているので、獅子座の金星が4ヶ月も続いて同居している。

エンブレム問題の佐野研二郎氏も獅子座で、まさに、金星と火星の直撃を受けた。
美術(金星)問題で、攻撃(火星)され、焦(火星)って降りた。
オバマ大統領の目立った動きは伝わってこないが、このところ、中国の軍事パレードに韓国大統領列席、アラスカ訪問中に中国艦船出現、イランとロシアが接近・・・と、どう考えても心中穏やかならざる現象が連続している。相当苛立っているはずだ。

逆に、獅子座の反対の水瓶座も、硬軟両方に振り回される。朴大統領は水瓶座だ。
そのつもりではなかったのに、軍事パレードにプーチンと並び、大々的に宣伝され、国内では大喝采を受けた。
獅子座の火星で脇腹を突かれるのが、サソリ座と牡牛座。ただし、この人達には乙女座の木星の援護があるので、むしろチャンスとなる。サソリ座と言えば警察やヤクザ。山口組分裂騒動もこれだろう。サソリ座の朝鮮半島も、どうなりますことやら。


季節がら

2015年09月06日 | 日記・エッセイ・コラム

学生の頃、自炊を始めて、色々な料理を試すのが楽しみになった。
鶏飯を作ったら、思いの外うまくいって、我ながら感動したが、三合は食べられないから、そのまま残して出かけた。その日はたまたま友達のアパートに泊まり、翌日帰って電気釜を開けると、ご飯が糸を引いている。

糸を引くようになったら食べられないという知識はあったが、あまりにも美味しくできていたので、もったいないと思い、もう一度スイッチを入れて加熱して食べた。
さして味は変わらず、美味しかった。

その夜、一晩中、吐き下しに苦しみ、完全復帰までには一週間以上掛かった。

加熱しても、何で食中りをするのか不思議だったが、O157、雪印事件の時にそのメカニズムを知り、長年の謎が解けた。
この時も、ちょうど今頃だったように思うし、赤痢と間違われて隔離された時も9月始めだった。

食中毒が多いのは、梅雨時より、夏の終わりの9月だということは、比較的最近知った。と言っても、20年ぐらい前だが。
菌が繁殖しやすい季節と言われているが、夏バテで、身体が弱っていることの方が大きいのではないかと思う。このところの倦怠感は、どう考えても夏バテだ。

皆様におかれましても、季節がら、ご自愛ください。


イベント

2015年09月04日 | 占いばなし

まだ、東京オリンピックのエンブレム騒動は終わっていない。
審査委員の話から、一端、採用されて後に、意匠登録問題が発生し、審査委員にも知らされず、何度も修正されていたことが明るみに出た。

経緯を聞いて、「やっぱり!」としか言えなかった。
パクリ騒ぎになった最終案は、やはりパクリではなかった。しかし、一目で感じるデザインの不統一性は、プロセスがそのまま現れていたわけだ。
学問であれ芸術であれ、良い作品というものは、最初のヒラメキで生まれることが多い。
ヒラメキには「神が宿る」が、修正は凡夫の常識で汚される。

今回、最初の案には、達人達も認める「何か」があったが、それが既存の意匠と重なっていた。つまり、意図するしないにかかわらず、パクリ疑惑があったことになる。
コンテストであるならば、この時点で、この作品と作者は失格となり、次点なり、再募集なり、選び直さなければいけないはずだ。ところが、担当者は、一端、選んだデザイナーに固執して、修正を繰り返させ、選ばれた元の姿とは全く違うものになってしまった。

占いでも、易経の「蒙」に、「初噬には告ぐ、再三すれば涜る」という言葉がある。
純粋な気持ちで求める者には、真実が告げられるが、邪心で求めても、真実は得られない・・・という教えだ。
プロセスがどうであれ、パクリであれ、最初に選ばれたのは、良い作品だった。
その後は、当事者の邪心が求めるものとなった。

今回のロゴ募集は、始めから、画壇とか業界とかの、馴れ合いが前提になっており、限定されたメンバーから選ばれる仕組みで、しかも、選んだ後には、その世界のメンツを汚さないことだけに傾注されたようだ。まるで、公共事業説明会のような、形式主義だ。

東京オリンピックが決まった時に心配したことが、現実になりつつある。
古いやり方のイベントを、古いやり方通りにやって、世界の進歩に取り残される。次々と出てくる失態は、その始まりだ。
純粋な気持ちで行われた、東京オリンピック64は、世界も日本も、まだ素朴だった。
64エンブレムの、シンプルな日の丸が、それをよく表していた。

手塚治虫の漫画の時代には、今日の技術の粋を尽くした、マンガやアニメには無い、明快なメッセージ、わかり易さがあった。
スポーツも、技術が向上し、記録やファッション性がどんどん高まって、もはや、昔のような、かけっこや、腕相撲や、綱引きのような、素朴な力比べではない。
時代が変わり、技術が変わり、求めるものが変わってきた世界でのイベントは、素朴な遊びを盛り上げるための装置や、それによって金を回すようなシステムから、むしろ、離れなければならなくなってきているのではないか。
スポーツの高度化によって、それを行う装置が邪魔になり始めた。そういうことではなかろうか。

これも一白
ところで、件のデザイナー佐野研二郎氏は、九星一白だ。今回の情実めいた内輪での選定のやり方は、得意とする土俵であり、一白の「人を気持ちよくさせる」プレゼンテーションの才能も抜群らしい。また、問題発覚後、担当者に食らいついて、闇の中でひねり出した経緯そのものが、まさに一白だ。
人の物をさらりと有効利用する一白の要領の良さも、安倍首相と同じ一白だ。
変わり身の早さ、そして上手くいかなくなると、家族や健康など、内輪の事情を持ち出して泣き落としにでる。

最後に一言、問題にされた完成エンブレムは、パクリではない。それだけは確かだ。

 


呼吸困難

2015年09月02日 | 日記・エッセイ・コラム

東京オリンピックエンブレムは終に、白紙撤回となった。
これは、STAP細胞と同じ、ネット時代がもたらした事件だ。
情報氾濫社会は、オリジナリティの概念が無意味化されていく。

特許や意匠登録によって知的財産を守るのは、産業革命パラダイムの錬金術だ。大量生産時代には、誰でも同じ物が作れるので、アイデアの権益を守ることで、さらなるアイデアを奨励しようとするものだが、一方では公益に反する側面もある。

このような、優先権が守られるのは、国家権力、つまりは根底には軍事力がある。軍事バランスがとれていなければ、こうした約束事は守られないからだ。だからこそ、世界中を巻き込むような大戦争が、繰り返された。

ところが、情報化時代に入り、世界中の人間が、監視する中では、力で権益を認めさせることができなくなってきた。力の裏付けによって価値を守ることが、通用しなくなり、情報世界での評価が、価値を守る判定基準になってきた。国家権力や法の庇護よりも、情報世界での比較や判定が、価値を決定し始めた。
意匠裁判は、判決による庇護よりも、印象操作が本当の狙いであり、法や権力は土俵に過ぎない。

情報社会の拡大により、国家や法の権威が希薄化していき、真実や事実の定義も希薄化して来ている。
今回のエンブレム騒動は、権威が定義する権益を、情報市民が「王様は裸だ」と言ったことから始まり、実際に王様が認めた「見えない衣装」の仕立屋自身が、情報社会から拾った、タダの素材で生計を立てていた。

サイバー時代の情報市民は、ネットの素材や、手軽な画像処理によって、「真実」に対する畏怖心を失っている。
STAP細胞事件も、今回のエンブレム事件も、サイバー世代の現実感の喪失であり、事実への敬意を持てない世代の、安易な「処理」感覚から起こったと言えるだろう。

この世代にとって、ネット上の素材は空気であり、空気を吸って、呼吸することに、お金を払ったり許可をもらったりしなければならないとは、誰も思いつかない。
一方で、誰かが空気を使って良い思いをしているのは、まさに濡れ手で粟であり、怒り心頭に発し、総攻撃をかける。ネットゲームのモンスター叩きのように。


お郷言葉

2015年09月01日 | 日記・エッセイ・コラム

沖縄で、「うちなーぐちラジオ体操」が流行ったのに刺激され、全国の方言ラジオ体操が20以上も生まれているそうで、沖縄県内ではさらに、「島くとぅば体操」が幾つも生まれたそうだ。沖縄では、若い人で「うちなーぐち」が話せる人が少なくなり、これをきっかけに、「うちなーぐち」への関心が高まっているとのこと。

東京から離れているほど、標準語が普及して、北海道や沖縄の方が正確な標準語を話す人がいる。東京に近い地域ほど、微妙な違いに気づかず、中途半端な標準語を話す。
本州の中では、大阪弁は標準語と大きく違うため、大阪人は結構、きれいな標準語を話す。

父は、大阪育ちながら、言葉に関わることをしていたため、学校の宿題で、本の朗読練習をしていると、突然、「ちがう!」と、よく直され、父のいる時には、朗読練習をしなくなった。
そうして、言葉には、かなり、神経質に気を配ってきたつもりでも、関西弁の環境の中で暮らしていると、やはり、全く気づかないで使っている言葉が少なくない。

原稿の校正をしてもらったところ、「売っていた」が「売られていた」に直されていた。
何がおかしいのか解らず、東京の友人に尋ねたところ、「やっぱり、それはないよ」と、笑われた。
関西弁では、市場でトマトを見かけたら、「トマト売っとったで」と言う。
しかし、標準語で聞くと、それでは、トマトが鉢巻きをして、「さあ、おいしいよ、おいしいよ」と、商売をしている様が目に浮かぶ。
トマトは「売らない」、あくまで「売られる」商品だ。

友人に大笑いをされている間に、そのことに気がつき、自分でも、可笑しくなって、一緒に笑ってしまった。

言葉遣いは、単語やイントネーションの違いだけではない、概念の違いを含んでいる。
日本語の中でも、イメージや価値観、哲学の違いがあり、互いに誤解して、気を悪くすることが少なくない。
漫才ブーム以後、かなり近づいたが、関西弁では、感動を表すために、「ほんまか!」を連発する。東京に出た頃、これをそのまま置き換えて、「ほんと!」と、言っていたら、「人の言うことを、何でそんなに疑うの!」と、猛烈に怒られてしまった。
もちろん、なぜ怒られたのか、ワケが解らなかった。

近年、テレビによる全国同質化で、方言が消えかけると、かえって方言ブームが起こった。言語、生活が均質化することで、地域文化とのギャップに気づき、各自のアイデンティティに安らぎを感じ始めたようだ。家に帰って制服を脱ぐと、ほっこりする。そんな地方の時代が始まっている。