魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

商人職人

2015年09月29日 | 日記・エッセイ・コラム

インドネシアの高速鉄道は中国の手に落ちた。しかし、日本の敗北を告げたのは、日本のメディアだけだった。中国のメディアは日本の報道を通して報道している。
これは中国政府のスタイルだ。

日本を出し抜くために、全額提供という非常手段を用いたことにより、内外からの様々な反応が予想される。先ずは、「相手の手の内」を確認してから行動を起こすため、沈黙しているのだろう。この場合の相手とは、国民や日本政府など、関わる全てだ。

中国の現実主義は、現象に対して一切の予断を持たず、忠実に捉える。
ああではないか、こうではないかの、予想や思い込みがあったとしても、現実が出たら直ちに予断を捨てて、現実を最高の形で利用しようとする。
漁船の体当たり事件の後、日本では中国の策謀と考えられているが、中国にとっては、瓢箪から駒で、しかも、極めて有り難い駒であると気がついた。それだけのことだ。

日本人と中国人は似て非なるものだ。欧米人に比べれば区別が付かないが、中国人は合理性に於いて欧米人に似ており、日本人は情緒に於いて欧米人に似ている。
外見が似ているからと言って、同じだと思えば、どこまで行っても誤解が解けないし、違うことに気づけば寛容になれる。もっとも、現在、この理解がより必要なのは、中国人の方だろうが、ほぼ同程度に、日本人も中国人を理解する必要がありそうだ。

今回、中国政府が、インドネシア高速鉄道の件に沈黙しているのは、「マズイかも知れない」と、認識しているからで、もし中国が日本の立場なら、徹底的に問題を叩き始めるだろうが、日本が沈黙し、中国国民が歓喜すれば、おもむろに、インドネシアに請われた既成事実として、実績宣伝に利用するのだろう。
が、それはあくまで中国のやり方で、日本は日本らしく、黙々と努力をしていくしかないだろう。技術で勝って商売に負けると言われる、その商売の総本家が相手なのだから。