21日、たまたま映ったナイナイの番組は、外国の僻地にタレントが放り出されるという企画のようだった。その企画の趣旨もあるのだろう、ボリビアを訪問したお笑いタレントの、現地をバカにする言動は、怒りと恥ずかしさで、到底視聴を続けられるレベルではなかったが、番組の趣旨を確認するため、終いまで観た。
タレントの言動が番組の趣旨であることは解ったが、そうであるならば、こんな番組の企画自体が低俗で、それをまた、喜んで観ている日本人のレベルに愕然とした。
数十年前に出会った多くのアメリカ人の言動と、ほぼ同じで、文明レベルをバカにすることで優越感に浸るのは、自らの人格に自信を持てないからだ。
「てやんでい、江戸っ子でい」と、都会自慢をするのは、それ以外に自慢するものが無いからで、生い立ちや環境を自慢する人は、「わたしには何もありません」と、恥をさらしていることになる。
同じ事は、家系や、持ち物、住まい、身なりにこだわる人にも言える。人格に自信が無いから、他のものをひけらかす。しかも、そこで、自分の優位性を誇示し、相手を蹴り落し、見下そうとするのは、自分の立場が下ではないかと不安だからだ。こういう感情をコンプレックスという。
昔のアメリカ人が、アジアや中東をバカにしていたのは、歴史に対するコンプレックスが有ったのだろうと思う。アメリカは、食い詰め者の集まりであるという、歴史的不安が、戦後ナンバーワンになったことで、一気に弾けたのだろう。
もっとひどかったのは、戦前の日本で、アジアの一等国意識が蔓延し、戦時中は、
「♪わたしのラバさん酋長の娘、色は黒いが南洋じゃ美人」などという歌が、大いに喜ばれた。
これは、「ラバ(lover)さん」なのだから、和合の精神のつもりなのだろうが、蔑視を前提に歌われている。
僻地に行ったタレントの言動は、和合の気持ちが無いだけ、もっと悪かった。
戦後70年。日本は平和と叡智の道を邁進してきたと思いたいが、精神は、むしろ、劣化してきたのではなかろうか。
無知の病気
中国人は「シナ海」という名前だから、当然、中国の物だと信じている。だから、同じ発想で、韓国は、日本海の名前を何としても消そうと躍起になっている。
こんな理屈で言えば、インド洋にあるスリランカもモルディブも全てインドのものだ。
中国の幹部が、本気でこんなことを信じているとは思えないが、無知な自国民を説得するには充分な論拠になるのだろう。
ここまでの無知と比べれば、日本人の知見は神のごとく高い。しかし、その日本人も、未だにあの番組のような文明差別を喜ぶ。
アメリカでは戦後、文化人類学が盛んになり、ベトナム戦争を経て、互いの文化を相対的に尊重する意識が高まって、スタートレックの、メインテーマにまでなっていた。
しかし、草の根には、今回のトランプ候補の、本音トークが支持される現実がある。
全ての差別や争いは、「無知」によるものだ。結核や天然痘のように、ある種の病気と言ってもいいだろう。悪意はなくても、無知は人間を狂気にする。
伝染病撲滅運動と同じように、人類には、「無知」撲滅運動が必要だ。
これからの学校には、道徳教育より、文化人類学的アプローチの方が、よほど役に立ちそうだ。