魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

遠近索探

2015年09月11日 | 占いばなし

昔、パソコンが現れる前は、手作りのコンピュータをマイコンと呼んでいた。その後、完成品として発売されたものをパソコンと呼ぶようになり、今日のPCになった。今や、PCも古めかしくなり、スマホやウエアラブルの時代になっている。

その、マイコン、パソコンの時代に、おそらくシミュレーション・ゲームの原型と思われる「スタートレック」というゲームがあった。
エンタープライズから、長距離レーダーや、短距離レーダーで、クリンゴン等の敵を発見し、接近するまでに迎撃態勢を整える・・・確かそんなゲームだった。

長距離レーダーで発見するものと、短距離レーダーで発見するものは、見え方も、対応の仕方も違ってくる。遠くに存在するものは、何かはハッキリ解らないが、今の方向性を考える判断ができる。近づくのか避けるのかを決めることができる。しかし近くに現れたものは、選択の余地はない。敵なら迎撃しなければならない。

占いで考える未来予想も、これとよく似ている。
人生の晩年も、人類の300年先も、考えられる未来ではあるが、今現在それを考えても、直接何の役にも立たない。しかし、未来の色合いが何となく見えていると、今、それに向かってどう生きていくのか、生きる心がけができる。
また、見えてはいなくても、目の前の曲がり角で、救急車の音が聞こえたら、何が起こっているか大体想像ができるし、今どうするか考えることができる。

遠い将来は、地図上の目的地であり、この後すぐ起こることは、自動車の運転だ。
運転している時は、次々と現実が襲いかかってくる。目の前に来た救急車を避けるには、未来予想は要らない。しかし横町で聞こえる警笛は、今は現れていなくても、準備行動に移らなければならない。

占い予想の遠近感
今起こることに対処するには、遠い将来のことも考慮しなければならない。
目的地が念頭にあれば、救急車両が来たら、横に寄るのか、バックして違う道を選ぶのか判断が変わってくる。

また、遠い将来は確定した地図ではない。漠然と白い物体が見えても、それが家か車か判別できない。ただ、白い物であることだけが見える。白い「何」にするかは現在の積み重ねが決めることだ。
次の瞬間を予想し、対処を重ねていく中でも、常に、将来のイメージを持ち続けなければならないということだ。
その時、遠い将来を黒い物だとは思わない方が良いし、ある程度の枠の中で、より良いイメージを持ち続けるということだろう。

こういうことが、10代から分かっていれば・・・と、今思う (;.;)