魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

ヤドカリ

2015年09月15日 | 日記・エッセイ・コラム

鬼怒川決壊は、想像を上回る被害だ。これまで、風水害と言えば西日本が多く、自治体も住民も慣れていなかったようだ。
温暖化による異常気象で、経験則は全く通用しなくなった。また、土木建設の基準も通用しなくなったと考えるべきだろう。

建築にせよ土木にせよ、あるいはまた、各種の予知予報にせよ、科学的経験値に基づいている。現場で施行する人は、その指標に基づいて、規定通りの物を造る。
住民は、公機関を信じ、指示通りに行動する。
しかし、もはや、こうした科学神話が通用しなくなっている。「安全の器」に隠れていても、それを打ち破って災害が押し寄せてくる。

われわれはヤドカリだ。裸では軟弱だが、社会の殻をかぶって、強くなったような気になって暮らしている。何か事が起これば、すぐ殻を頼って閉じこもろうとする。
そのくせ、殻に守られていることを忘れて、自分を過信し、巨大な敵が来ても逃げようとしない。

地球環境の変化によって、これまでの殻では生きられなくなった。もう次の殻を探さなければならない。次の殻に移るには自分の身の丈を再確認しなければならないし、しばらくは、今までの殻を捨てて裸で行動しなければならない。
何が起こっても、逃げ込むところは無い。先ずは逃げること、日頃からあらゆる敵に備えて、逃げ方を考えておき、気配を感じたら、先ず逃げる。

北前船には船ダンスという物があったそうだ。船が沈んでも水が入らず浮かんでいる。船は必ず沈むものと考えるからこそ生まれた貴重品入れだ。
どんな邸宅に暮らしていても、地震、火事、風水害は必ずあると考えておくべきだ。
これさえ持ち出せば、明日から暮らしていける、自分の歴史を失わない。そういう貴重品を、抱えて逃げられる大きさに、まとめておいた方が良いだろう。

こういう荷物をまとめておけば、別のメリットも生まれる。どうせ裸一貫、何があっても怖くなくなり、東京一郎とはるみのような転勤生活も進んでできるし、第一、何時死んでも後腐れが無い。人生99回?の引越をしたと言われる葛飾北斎の所帯道具は、風呂敷包み一つだったそうだが、当時としては大変な長寿だ。お気楽人生こそ長寿の秘訣なのかも知れない。

しかし、とは言うものの、いまだに死に支度もできていない。あまりにもガラクタに囲まれていると、一体どれが本当に必要なものか、それ自体が分からなくなり、どうせ何も要らないから、今更まとめない・・・結局は、そういうことになる。