魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

大ハズレ

2011年12月12日 | 日記・エッセイ・コラム

清水寺の今年の漢字一文字は「絆」だった。震災後やたら耳にする言葉だから当然だが、以前に既にあったような気がしていたので、除外して考えていた。二位が「災」だったらしいが、これも前にあったと思うので「厄」ならありかと思ったが、思いつくには少し特殊かもしれない。

世相の動きをイメージするのに、少し口が滑りすぎた。実際の一文字とは違って、大ハズレになった。
大ハズレは認めた上で、イメージが間違っていたわけではないと、
減らず口をたたきたい。

世相イメージで強調したことは、人間の「生き方」が問われるということで、「哲」や「覚」の例を挙げたわけだが、今年の「絆」は、「震」や「災」などの現象ではなく、「人の心」の問題で、「哲」「覚」同様に、精神や生き方を表す言葉だということだ。

同じ観念や智の問題でも、「哲」や「覚」が、精神や知性であるのに対し、「絆」は人情や心だ。大衆心情の琴線に触れるのは、やはり、目に見えるような概念、「絆」だった。

それにしても、前に一度無かったかなあ???

覚覚然然


ぼちぼち

2011年12月11日 | 星の流れに

天秤座・日本の土星も来年10月サソリ座に移る。しかし、その前に既に11月末から、サソリ座の影響圏(天秤25度)に入っている。
天秤の後半生まれの人に、土星の影響が起こるとともに、サソリ座にも来年からの兆候が見え始めている。

12月1日。韓国の原発の伝熱管が3800個が破損したと公表したものの、「大きな問題はない」と、うやむやにした。その後、今度は日本海側に2基の原発を増設することにした。

日本の放射能漏れは、ジェット気流が東の太平洋側に流れるにもかかわらず、「韓国で検知」と大騒ぎをし、日本は迷惑ばかり掛けると苦境にあえぐ日本を罵り、さらに今月に入って、ロシアと太平洋の放射能を測量すると決めた。

しかし、もし、韓国や、中国で放射能漏れが起これば、日本は直撃される。秋に心配していたことの兆候は現れている。来年、本格出現しないことを、天に祈るばかりだ。
超正念場

この「超正念場」の内容に関しては、土星・サソリ座の件とは別に、天王星・牡羊座時代の火星の話として「9」のことを話したが、アメリカは、4月に大統領が有人探査計画を宣言し、この11月26日に、これまで最大の火星探査機を打ち上げた。来年8月到着だそうだが、これまでより話題になりそうだ。(良い方の話題を頼む)

もう一つ、火星の話題と言えば、フェラーリの事故。大事故の後も、次々と事故が相次いでいる。フェラーリと言えば、なぜか火星の赤。スピード狂も、牡羊座・サソリ座の火星。


サムライ

2011年12月10日 | 日記・エッセイ・コラム

先日、タケシだったと思うが、お母さんに「食べ物屋で行列するな」と言われた話をしていた。
「行列してまで食に執着するな」と言われたようなことを話していた。
正に、江戸っ子だ。

「武士は食わねど高楊枝」の、武士文化の江戸っ子気質からすれば、
(食糧難の配給ならいざ知らず)美食という快楽のために、商売人に屈するような根性に成り下がり、行列をしてまで商品を請い願う。
そんな浅ましい真似なんぞ、できるか!
これが、古武士の魂。江戸っ子の粋だ。

武士道精神には、執着を捨てる仏教観も入っている。
江戸文化は、物金に執着する浅ましさを嫌った。
それが戦災の焼土に流れ込んだ餓鬼のエネルギーで、いつの間にか、金、物、名声を追い求める大東京に変わり、江戸っ子は片隅に追いやられてしまった。

東京の至る所に出来る行列は、浅ましさ故に集まってきた餓鬼の習性であり、餓鬼が餓鬼を餌食にするための仕掛けに群がる憐れな性だ・・・
昔の江戸っ子ならそう思っただろうが、もはや、江戸っ子の末裔も並んでいるかも知れない。

「行列の出来る店」と、聞けば並ばずにはいられない無節操を、
「サムライ」を自負する日本人の、どれほどが自覚しているだろう。
電車に並ぶことと、ラーメン屋や新発売に並ぶことは、全く意味が逆だが、同じように日本人の美しさだと思っているなら、サムライを語る資格がない。

ただ」、「


ゴリ押し

2011年12月09日 | 兄弟関係

米中インターネット・フォーラムで、中国代表が「中国はいかなる形式であれ、インターネット利用のサイバー戦や軍備競争に反対する」と述べたそうだ。大笑いだ。

確かに国家的行為という証拠はない。しかし、日本の公機関の事件以前から、世界中で、中国からの攻撃が話題になっている。

この種の「中国的言動」は、共産党国家だからではない。中華文化の伝統だ。国家兄弟論で言う、長子のゴリ押しだ。
自分に非があることが解っている時、あるいは、そうかも知れないと思っていても、「立場上」認めるわけにはいかない時の長子の態度だ。
「知らん、知らん、知らん」と、聞かない振りをする。

こうした、強い立場の横暴は、例え秩序維持のためであっても、弱者側の被害者意識として染みこんでいる。だから、伝説や文学的表現など、文化の至る所に現れる。
常に圧力を受けた朝鮮半島が、被害者として他を攻撃するのに対し、日本の場合は、「あわれ」として判官びいきの感情になる。

日本の判官びいきは、おそらく、平安時代に生まれ、結果として源平物語りのベースになっていったのだろうが、もともとは大陸渡来の「権力者の横暴」物語りがあったのではなかろうか。

大陸様式を真似た頃の正史「日本書紀」の中で、
有間皇子が謀略にハメられ、その謀略の張本人の中大兄皇子に「何で天皇に謀反など起こそうと思ったのだ」と白々しく問われ、
「天と(お前の回し者)赤兄に聞け!」(天与赤兄知。吾全不解。)
と答える下りがある。

力を持った者が弱者を押さえ込む「厚顔」と、それに対する怒りの表現として、当時、大陸的表現の悲劇パターンが既にあり、同時に、力上位の者の、言い回しとして、確立されていたのではなかろうか。

それが今日も中国の、図々しい断言的な言い回しになり、それを見習った朝鮮の、自分のことを棚に上げて先ず相手を避難する表現になっているのではなかろうか。

世界の常識、日本の常識
中国の「サイバー攻撃に反対する」「シナ海を平和の海にする」とか、
朝鮮の「アメリカは和平の席に着け」「南の攻撃に反撃した」など、
「お前が言うか!」と言いたくなる厚顔は、力と力がぶつかり合う世界での「絶対に譲らない」態度としては、大陸の常識なのだろう。

一方、狭い平和な島国では、元来の強弱や勝ち負けの二局対立から、「魚心あれば水心」とか、「鬼の目にも涙」のように、互いに思いやる優しさや、「泥棒にも三分の理」のような多元的な理解力に変わり、それが、判官びいきのような、日本独特の文化になったのだろう。

おそらく、ここまで「お察し」出来るのは日本人だけだ。
日本人は、相手のゴリ押しに、こちらが譲れば「相手も解って譲ってくれるだろう、お互い様だから」と譲るが、ゴリ押しをするような人は「お互い様」という概念が無い。

「あ、何で譲るんだろう。ま、いいや、思いがけない儲けモンだ」ぐらいにしか思わない。
言えば言うほど譲る日本人を見て、「こいつら、アホやで」と全くなめてかかり始める。

そして、そのうち、日本人は、いくら譲っても譲っても解ってくれない相手の横暴に、キレて爆発する。それが日本の戦争だ。

これはA型のブチギレ爆発だが、他の人間には何で爆発したのか解らない。また、A型自身も、爆発した後、脱力し、水に流してしまう。
アメリカは、戦争によって、かなり日本のことを研究して理解しているが、中国は、日本のことを、ほぼ全く理解していない。

日本自身、日本人のことを中国には解ってもらった方が良いだろう。
また、逆に朝鮮半島には解ってもらおうとしない方がいい。全て逆効果になる。弟妹型は原理を理解しない。「空気」を理解する。
原理や誠意を説明しても、『どう対応(利用)したらいいか』ということしか、考えていない。沈黙の上、時に応じて空気を示すしかない。

また、最も警戒すべきは、こちらの様子を黙って窺っているロシアだろう。人は、黙っている相手には、時に自分の都合の良いように誤解してしまうことがある。


覚悟無し

2011年12月07日 | 日記・エッセイ・コラム

5年前、信長の覚悟のことをあげたが、近頃「覚悟」の大バーゲンで、「覚悟」が、「覚悟しない」意味で使われるようになった。
やらなければならないと解っていても、するつもりが無い時「今する」と言い逃れをする様に、「覚悟」も言い逃れの言葉になった。

「覚悟」とは、枝葉末節や行きがかり、しがらみを捨てて、最も重要なことを悟ることだ。娑婆俗世の虚構の迷いを断ちきり、核心によって生きることだ。それを、真理を悟るとか、道を求めるという。

「お覚悟召されよ」と言って、命を奪おうとするのは、「死ね!」ではない。「煩悩から離れて生の真実を知り、死生を捨てよ」の意味で、むしろ、煩悩により殺生する本人こそ必要な言葉だ。

今こそ、信長のような覚悟の大ナタが必要だと、誰も解っている。
だから、「覚悟」という言葉が氾濫する。
しかし、言葉だけが飛び交っても、煩悩の巷で、ますます、誰も覚悟できなくなっている。

鬼神の覚悟
戦後も70年近い。敗戦で一度、掻き出された塵芥が再び溜まって、どうにも動きの取れない、動脈硬化が起こっている。
ついに、救急車で担ぎ込まれた日本だが、手術をする医者がどこにもいない。医療訴訟を恐れて皆逃げてしまった。

この期に及んで、日本のオペレーターは、患者に絆創膏を貼っている。
しかも、絆創膏を貼るのに「覚悟してやります」と言うから笑う。
敗戦寸前に生まれたインチキ年金のように、敗戦時に除去しきれなかった制度が、もう完全に腐りきっているのに、それをどう手当てするかの議論をしている。

もう、年金や健康保険を始めとする様々な福祉も、根本となる政治制度も、絆創膏の上貼りを何度しても悪化するばかりだ。
根本解決をしないで、福祉目的税などと言う、ごまかしがまだ通用すると思っている。

福祉のために借金をし、その借金を払うために、成長の元手を巻き上げる増税をする。家計簿しか解らない、官僚の利権感覚だ。

もはや、税による最終保証のうえ、年金を始めとする福祉の全廃、連邦制前提の政治行政の抜本改革しかない。
こんなことができるのは、信長しかいない。

比叡山焼き討ちは、これより遥かに「大それたコト」だった。
大衆が信じてすがっているものを盾にとって、旧弊を守ろうとする巨大な「抵抗勢力」を、妥協の余地なく叩きつぶす。最も手強い相手は、自分自身だったに違いない。信長は人を捨てて鬼神になった。

しがらみ煩悩の絡まる濁世を改めるには、天地に従うしかない。
覚悟とはそういうものだ。
軽々しい「覚悟」の氾濫に、覚悟の無さを感じる。
おそらく、真に覚悟した人間は「覚悟」を口にできないだろう。


大関小関(3)

2011年12月06日 | 探訪・紀行

「トンネル上のローソン」の三叉路に、朽ちかけた道標が立っている。

<小関越・三井寺7km《京阪四宮駅1.3km》京阪追分駅1km>
(自然の道・歴史の道 大津市)

近年、大津市が立てたらしいが、木製で既に古ぼけ、味がある。

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いよいよ、山に向かう。最初の目標「寂光寺」まで来ると、向こうから、バックパックで、明らかに「道中」と見受けられる60代の男性が二人、黙々と歩いてくる。観光地ですれ違う人とは違い、前を見据え、何か声を掛ける雰囲気ではない。どちらかと言えば、巡礼だ。

後で分かったのだが、分岐点の石柱に刻んであったように、ここはやはり、「三井寺観音道」だ。
西国三十三カ所巡りの十四番札所三井寺から、十五番の京都今熊野に向かう巡礼道で、すれ違った二人は、間違いなく巡礼者だ。
白装束や杖など突いていないところに、かえって本気がある。
ふらふら歩きながら、ノー天気に声を掛けられなかったわけだ。

小川沿いに歩くと、すぐに普門寺が見えてきたが、「西大津バイパス」の高架が巨大過ぎて、小関越の分岐附近が「路地」のようだ。
それでも、頭の中から高架を消すと、川沿いに、のどかな昔の道がそのまま見える。

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※「普門寺の分岐点」右下に拡大

 

11月末とは言え、陽ざしに恵まれた坂道を登って行くと、たちまち汗ばんでくる。散在する資材置き場や作業所は、つや消しではあるが、観光地でもないのだからやむを得ない。

少し開けた谷間まで来ると、一眼を首に下げた70代の男の人がいる。
「こんにちは」と挨拶を交わすと、
「カメラお持ちですか、あれは収めといた方が良いですよ」
と、谷間の円筒状の構造物を指し、たたみかけて
「あれは、立坑ですわ」
「ああ、琵琶湖疎水の? へー、これですか!」
むしょうに解説したそうだったが、見ると横に案内板もある。

「上まで、行かはるんですか?」
「ええ、行けるところまで行ってみようと思って・・・熊でも出ませんか?」
「なんぞ、鳴るもんでもありますか?」
「歌でも歌いながら行きますわ」

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さらに、登って行くと、道は、金網に囲われた施設の脇で、申し訳程度に、肩身の狭い姿になる。最近の建造物だが何か分からない。
そこを曲がると、すぐ、峠の地蔵がある自動車道に出た。

行けるところまでと思っていたが、案外、簡単に来てしまったから、大津側に下ることにした。
とは言え、もう汗だくだ。上着を脱ぎ長袖をまくり上げて、下っていくと、道の脇に、また道標がある。バイクでは気づかなかった。
乗物でもよく見ているようだが、やはり、徒歩ならではの発見がある。

山路の手前に「神出開町・小関越えハイキングコース入口」として、
「↑三井寺(観音堂)1.2km」とあり、手書きで500円と書き添えてある。
このまま山路を進めば、観音堂に出るのだろうが、500円取られた人の「心外」が、にじみ出ているようだ。

昼なお暗き、森の自動車道を下っていくと、グレープ色のレインスーツにバックパックの、40代の女の人が登ってくる。
「こんにちは」と挨拶はしたが、峠の地蔵以来、初めて遭った人だ。
小関越のハイキングだろうか、観音巡礼だろうか。いまだに解からないが、『ええかいな』の思いがする。

もちろん男女平等の時代だが、京都には昔、迷宮入りした「蕨採り殺人」や「ジョギング失踪」事件があったし、最近も、九州で温泉旅行の女の人が殺された。海外一人旅の女性失踪は常時あるが、日本でも、女性の解放ムードで、事件はむしろ増えている。

男が女に襲われて暴行されて殺されたという事件はあまり聞かないが、女性の解放には、女性自らの自覚と防衛も必要だ。
昔から観光地には、暴行目的で女性や男女のカップルを狙う輩が徘徊している。自由平等の「立前」だけでは、身を守ってくれない。

小関町まで下りて、長等公園に行くと、何のことはない
「いにしえの旅をしのぶ・小関越え・旧東海道」の、解りやすい案内板が立っていた。

そのまま、浜大津まで歩いて、13000歩、のんびり歩いて3時間程度だった。

やっぱり、自転車は無理だろう

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長等公園案内板(ダブルクリック)

大関小関(1)へ

続編:大関越え(東海道回り)へ


大関小関(2)

2011年12月05日 | 探訪・紀行

うっそうとした森の中を、登りながら『こりゃ、自転車は無理かもな』と弱気になる。思ったより急峻だ。

頂上付近に来ると、陽が差してきた。小さな祠(ホコラ)が見えて、道の反対に、わき水がある。
「飲用」とも「飲めません」とも書いてないが、歌らしきものが書いてあるから飲めるのだろう。

その先の下り坂で道が二手に分かれ、道標が立っている。
「小関越えの道分岐点」として、左手が「琵琶湖疎水1.6km」右手が「西大津バイバス藤尾I.C.0.8km」と記され、右手のバイパス方面は広いが、左手の疎水方面は1mほどの遊歩道だ。

バイクだからとりあえず、バイパス方面に向かうが、寂しげな道にもかかわらず、意外と追い越して行くバイクや車がある。
急勾配を下っていくと、突然開けて、眼下に高速道路を行き交う車が見えた。湖西道路に続く161号線「西大津バイパス」だ。

坂を下りきって、161号の下をくぐり抜け、反対方向に思える「京都方面」に従うと、また、曲がって小川沿いに下っていく。
高架の下をくぐると、寺があり、そこにも道標「藤尾奥町・普門寺前」があった。

普門寺に向って、右手に細道があり、地蔵の祠がある。
『あ、こっちが本来の小関越えの道だ
人が歩く道だから、バイクも行けるだろう。行ける所まで行ってみようと登って行くと、案外、あっけなく、さっきの、わき水と祠の分岐点に出た。

歩いてみる
日を改めて、歩いてみることにした。(自転車の自信はなかった)
勝手が分かった今回は、山科駅前の旧東海道を東に進み、小関に折れて普門寺に向かう。

すっかり脇道のようになった旧東海道だが、古めかしいお店や、街道の厄除け「山科地蔵」などがあり、往時がしのべる。
京阪四宮駅前を過ぎると、「三井寺観音道・小関越」の大きな石柱が立っている。ここから小関越が始まる。

Photo

 

京阪の藤尾道踏切を渡り、線路の先「追分」方面を見ると、ガソリンスタンドが見える。あそこが、ややこしい「京都東I.C.周辺」だ。

倉庫や工場で雑然としているが、小川沿いに進む道は、昔の街道を彷彿とさせる。藤尾小学校を過ぎると、大鉄道パノラマが開けた。
『ああ、ここが電車で見る、山科の家並か』と、驚いていると、
トンネルから電車が出てきた。

東海道線と湖西線が、それぞれ別れてトンネルに入る。道はその入り口の上に続き、ローソンが建っている。何時も通り過ぎるトンネルの上にも、ちゃんとローソンがあったのだ。その周辺に多くの人が住んでいたことに、今頃気づいた自分が、妙に滑稽で、顔がほころぶ。

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つづく


大関小関(1)

2011年12月04日 | 探訪・紀行

滋賀と京都は極めて近く、京都市庁と大津市庁の直線距離は10kmもない。県庁が最も近い府県だ。

にもかかわらず、相互に往来するのは容易ではない。
足で歩くしかない昔なら、むしろ「近い」と思える距離だが、
自動車にしては時間がかかり過ぎる。道の広さや交通量の関係で、どの道も激しく渋滞し、時間距離が大幅に伸びるからだ。

鉄道なら、京都-大津間は、僅か10分。驚愕の近さだが、京都府庁から、大津県庁までの実時間は、乗換、徒歩、待ち時間などを含めれば、やはり、1時間は見ておかなければならない。

それとくらべれば、琵琶湖から鴨川に、毎日通うユリカモメにとっては、実にチョロい距離だ。通勤に片道1時間もかからない。
何と言っても、直線距離は10kmだ。

真っ直ぐなら近いのだから、渋滞や待ち時間がない自転車やバイクの方が、むしろ近いんじゃないか。そう思って地図を見た。
見れば見るほど、滋賀と京都には、まともな道が無い。

「まともな道」とは、2車線以上で歩道を加えた、都市と都市をつなぐ幹線道路のことだが、古道や旧街道をそのまま使っているため、道幅が狭く、国道1号線でさえ一車線が多い。
もちろん、遠回りをすれば、名神や京滋道の高速道があるが、そこに行くまでの時間がかかるから、結局、旧道が自動車の幹線道路となり、自転車の入る余地はない。

京滋をつなぐ一般道は、北は大原から途中を通り堅田に抜ける「途中周り」か、下鴨から比叡山を越える「山中越え」。
南は、三条から蹴上げ山科か、五条の国道一号線を山科に抜ける。

中でも、南ルートは、高速道路I.C.の繋ぎ線と化して、常に渋滞するから、自転車は走れないし、バイクすら肩身が狭い。
一方、「途中周り」も「山中越え」も、険しい坂道で、しかも狭いから、自転車道とは言えない。(自転車のトレーニングコースだが)

「大関小関」
何とか自動車におびえずに走れる道はないものかと探していると、
「おや~っ」と、発見したのが、三井寺から、山科に抜ける道だ。
その入口の地名が「小関」。『こりゃ、きっと裏街道だ

そこで調べてみると、東海道の逢坂の関を「大関越」と呼ぶのに対し、この裏道を「小関越」と呼んで、昔は頻繁に利用されていたのだという。峠ほど険しくない坂を「越え」と呼ぶ。(ハ天城越~え~)

で、さっそくバイクで現地調査に出かけた。(寒い日だった)
分かりやすい大津側の「小関町」から行くと、昔の街道らしい狭い道が上へ上へと続いている。自動車も通れる舗装道だが、相当古い。

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小関越登口
つづく


冒険の血

2011年12月03日 | 日記・エッセイ・コラム

サーチナの、仏国ブログ・ピックアップで、
「日本人は食に進歩的だが、ビスケット類を飲み物に浸して食べることには、異常に拒否感を持つ。ことに抹茶に浸してはいけない」と紹介していた。

これを読んで、日本人ながら、驚いた。
確かに、日本人好みの美しい作法ではないが、おそらく、50才以上の日本人だったら、抹茶は別として、特に違和感を持たなかったのではなかろうか。

アメリカ文化が、新鮮で輝いていた頃の「戦後の日本」では、アメリカ流に、パンやビスケットをミルクに浸して食べるのが、ある種の憧れだったし、そんなCMもあったくらいだから、欧米人がコーヒーや紅茶に浸して食べるのを見ても、全く違和感を持たなかっただろう。

だから、ブログのフランス人に「躾け」をしたのは、おそらく若い日本人だろうが、古い日本人として、これは看過できない問題だ。

若い日本人が、それだけ、無知で柔軟性が無くなっているのではないかと、非常に気になる。
ただ、無知は問題ではない。異文化に対し、先ず寛容に受け入れる姿勢を持つなら、その時、知ればいいからだ。

しかし、進歩的に受け入れているように見える日本人も、知識として異文化を受け入れているだけだから、実際には閉鎖的で、固定概念に凝り固まり、自分の判断で、新しい状況や概念を受け付けない。

近年の日本製品に見られる保守性は、「教わった知識」しか受け付けない、平安期の歌の作法のような、美しい衰退に陥っているからでは無かろうか。

近年言われてきた、「箸の持ち方」「鉛筆の削り方」「漢字の書き順」等の教育「問題」こそが、最も肝心なことを封殺してきたのであって、変事や、異文化に対する積極的な柔軟性を削り取ってきた。
新しい事態に、自分のアイデアで対処する心構えが失われてきた。

その傾向をいち早く解決したのは、外国人選手や監督に接したサッカーであり、おそらく、日本の教育問題解決のカギは、サッカーにある。

海外留学や海外就職を嫌い、パイの少ない就職に追われ、新しい体験を避ける昨今の若者は、サッカー選手同様に、外国の洗礼を受けるしか救われないだろう。
布団にもぐり込んでいても、屋根が吹っ飛んで、吹雪が向こうからやって来れば、嫌でも冒険するしか生き残れなくなる。

その時初めて、サッカーのように、日本人の冒険魂が目覚めるに違いない。日本人の深いDNAは、日本列島までやってきた冒険者なのだ。

ところで、抹茶にビスケットを浸したら、抹茶ミルク風の味がして、きっと美味いに違いない。


先進国病

2011年12月02日 | 日記・エッセイ・コラム

国立社会保障・人口問題研究所の未婚者アンケート調査で、
男の61%女の50%は、交際している人が無く、うち45%は特に望まず、30代後半の25%は未経験で、16~9才の男36%女59%が、セックスに感心ないか嫌悪している・・・
という結果が出たと、香港(CNN)の報道で教えてくれた。

なんだか、何が言いたいのか、良く解らない話だが、
「ゆゆしき問題」なのだそうだ。
確かに、二十歳前の「いい若い衆」にしては普通ではないが、少子化を問題とは思わない者には、あまりピンと来ない。
むしろ問題は、この原因が定かではないことだ。

誰でも、先ず思い浮かべるのは、世界に冠たる日本のAV産業だが、中国では、日本のAVのおかげで、性教育レベルが上がったと喜んでいるぐらいだから、必ずしもAVの害毒だけとは言えないようだ。

しかし、何でも真面目に「学習」する中国人には良い「教材」でも、基本的に淡泊で情緒的な、日本人の若者には毒なのかも知れない。
親切な知人がわざわざ送ってくれた最近のAVを見たが、超リアリストの中国人には、役に立つかも知れないが、日本人にはカエルの解剖のような話は、楽しくない。しかも必ず、顔面フィニッシュだ。

良い作品?に当たってないのかも知れないが、全編まともに見られるものが一本もなかった。あんなものをセックスだと思ったのでは、若者がやる気を失うのも当然だ。

金持ち興奮せず
AVと比べれば、ロマンポルノにはまだ情緒があったが、当時、野坂昭如がしきりに訴えていたのは、伝統としての性文化の崩壊だ。
時代の変化で、桂米朝も古典落語がやれなくなったと嘆いていた。
炭に火を起こしてご飯を炊く話に、若者がきょとんとしている。

人間の性は、動物のように、季節が来れば自動的にそこに向かうのではない。人間が勝者になったのは、「常時繁殖期」で増えたからだが、季節に左右されない人間は、文化で発情するようになった。

「やりたい」「気持ちいい」と思うのも、その最中に、自分の予備知識と照合して再確認しているからで、文明が高度になるほど、セックスを文化で行うようになる。

動物は、常に絶滅の危機に瀕しているので、可能な限り繁殖を試みるが、頂点に立つ人間は、種の保存のためのセックスは必要無い。
ことに、満ち足りた先進国になるほど、繁殖は何時でも出来るから、切実ではなくなり、文化の力を必要とするし、文化によってコントロールすることが出来る。それが草食化であり、少子化につながる。

しかし、生活苦にあえぐ地域では、やはり、絶滅の危機感があり、本能的な性欲が高まる。貧乏人の子だくさんだ。

先進国の女が、後進地域から現れた男に惹かれるのは、野性的ギラギラに刺激を受けるからであり、昔からの図式「美女と野獣」はこのドラマだ。(昔の春本に多い「お嬢さんと運転手」のからみなど)

うんざりだ
また、もう一つ、日本男子の草食化の原因として、何度も言うことなのだが、本質的に日本は女系社会であることだ。

日本の男尊女卑は表向きで、本当は、女の掌で男が甘えている社会だ。
にもかかわらず、欧米的男系社会の「女性を立てるルール」を持ち込んだことで、日本の男が身も心も「出る幕」を失ったことがある。

男を「男」と呼びながら、女は「女性」と呼ばなければ非難されそうな空気や、何か、うかつなことを言えば、セクハラと言われそうだし、女の方が収入にゆとりも出てきている。

男女平等と言いながら、家事から子育てまで、「やらせてもらう」代償としては、あまりにも失うものが大きい。
今の若い男なら、「セックスってそんなにいいですか」と言いたくなるのではなかろうか。
ただし、欧米式にやるならトコトン育児環境を整えれば、男の立場に関係なく出産も増えるだろう。ついでに、もっと進めて、出産の苦痛を除去する必要がある。

ところで、若い女がセックスに興味がないのは、生理的に自然のことで、男と比べたのでは、男がかわいそうだ。