魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

あきれた

2012年11月05日 | 日記・エッセイ・コラム

この時期に何だろうと思ったら、また、トムラウシだった。
日中間で、もめているこの時期に、万里の長城で年寄りが集団遭難?
何だろうと思ったら、また、年寄りの暴走トレッキングだった。

状況がわかるにつれ、あきれて物も言えない。トムラウシ事故にも懲りず、再び事故を起こした旅行代理店は、もう犯罪で、許しがたいが、暴走老人が後を絶たないことの方が、もっと大きな問題だ。

お金さえ出せば、安直に冒険できると思うことは、現代のシステム社会の問題だが、高齢化社会に入った今、老人の定義そのものが問われている。
砂を蹴る

年寄りと一言で言っても人様々で、JALを立て直した京セラの稲盛会長や、石原慎太郎、高倉健など、バリバリ老人もいれば、若くても若年性痴呆症ということもある。
しかし、知力、気力ではどうにもならないのが体力だ。

体力の衰えを知力で補うのが、一人前の老人であり、気力だけで何とかなると思うのは半人前の老人だ。
年寄り子供が、一人前に扱われないのは、体力と理解力の不足により、成人と同じことができないからであり、子供に保護者が必要なように、知力で自己コントロールできない年寄りにも保護者が必要だ。

子供の幼さには、経験不足もあるから、保護者は必要だが、これまで立派な成人で、経験を積んでいるはずの老人に、保護者が必要とはなかなか思えない。何より、本人は全く自覚がない。
例え無自覚でも、知力のある老人は、自分の年齢を自覚して行動するが、知力のない老人ほど自分を過信し、気力に頼る。

この、老人の自己過信と、それをエサにするパック旅行会社。
これはどちらにも責任がある。しかし、こうした無自覚な老人は、他のことでも老害になるだろう。
いっそ、パック旅行会社は、こういう老人を集めて、
冬の八甲田に「姥捨て山参り」をしたらいい。

イラクで人質になった人達が叩かれたが、どうであれ、少なくとも、あの人達は、人の役に立ちたいという志があった。
あれと比べれば、こんな時期に、海外にまで行って、我欲で迷惑を掛けるのは、まさに国賊ものだ。

一日20㎞
今回のツアーは、一日、15㎞ぐらいを、数日歩く予定だったそうだが、確かに、年寄りでも歩けない距離ではない。
しかし、全く自己責任意識のないパック旅行で、未踏の地にいきなり飛び込んだのは、パラシュート無しの、スカイダイビングだ。

南京虫だ」で、スペインを一日20㎞歩こうとした友人も、南京虫で挫折した。外国で1日20㎞自体は、無謀だが、これは普通に人のいる地域であり、「遭難」するようなところではない。本人はスペインにも暮らしたことがあり、問題が起ったら中断できた。
また、三浦雄一郎が高齢登山を計画することも、経験に裏打ちされたチャレンジであり、十分に理解できる。むしろ賛同する。

年寄りが歩いたり運動することは、大いに結構なことだが、身の程をわきまえないことが問題なのだ。何時でも中断できるような、ハイキングコースにすべきだろう。


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