魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

砂を蹴る

2010年08月03日 | 日記・エッセイ・コラム

No.986

昨年の、北海道トムラウシ山での老人登山事故から1年。またヌカビラ岳で遭難者8人がヘリで救助された。とにかく無事で良かった。
このところの登山ブームで、老人だけでもないのだが、無謀な登山が増えている。

世の中がシステム化され、自然や動物に対する認識も、テーマパークや縫いぐるみのような、人工的な感覚になっている。
後先を考えずに、ペットを飼って、手に余ったら捨てる。
山に登るのも、パックツアーのワンダーランド巡りのように、金額の問題だと考えているようだ。

旅行代理店のパック広告から「どれがいいかな?」と選んで、現地に行けば、お気楽にパック体験できる。問題が起これば、オプションのレスキューヘリを呼べば大丈夫・・・そんな感覚としか思えない。
もし、自分一人で初めて行くなら、こんな無謀は出来ないはずだ。

何よりも、高齢者のブームとは困ったものだ。
相当なベテランでも、高齢になるとやはりトラブルに遭っている。
まして、最近の高齢パックトレッキングは、これまでほとんど経験のないような人が、ガイド頼りでいきなりの大冒険だ。

年寄りの冷や水と言うが、人生50年時代なら、60歳は立派なご老人だ。
♪村の渡しの船頭さんは 今年60のおじいさん
 年をとってもお船をこぐ時は 元気いっぱい櫓がしなる

人生80年時代にはなったとは言え、50、60を過ぎれば、見た目や気持ちは若くても、やはり体質は変わっている。
ヘリコプターを呼ばなければならないような所に行くには、よほどの自覚が必要なのだが、
『気持ちがいけてるから大丈夫だ~あ』だけで、60の足習い。
何よりも、自分がそんな年だとは思いたくない。

老人パワーとなるか、老害となるかは、自覚に掛かっている。
『自分はまだまだいける』と、やり残したことを、金にまかせて挑戦する。
でも、実は身体がついて行ってないが、現実を直視しようとしない。
舗装道路で糞をして、後ろ足で砂を蹴ってる犬のようなものだ。

それでも、山登りやマラソンに挑戦するのは健全だ。
残り火を何とか消すまいと、買春で回春とばかり、血走る残党もいる。