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新生日本 2

2023年10月01日 | 星の流れに

今の日本、新生日本が誕生したのは70年代だった。
それまで、江戸の日本が続いていたのに対し、70年代を起点として新しい価値観、新しい日本のイメージが生まれ、成長し続けている。
江戸の日本とは、「家」を軸とする秩序であり、新しい日本はまだハッキリ定まっていないが「日本人」ではないかと思う。

国も無くなろうかというグローバル時代に、「日本人」とは変な話だが、氏も家も無い個人の時代が来れば、アイデンティティを確認するのは宗教だろう。この場合の宗教とは、生き方のルール、哲学であり、生きる理由、生き方の指針だ。
移民国を始め、多民族国家では国民意識とは別に、宗教が個々のアイデンティティを保っている。この中で、宗教を持たない中国人のように中華街など物理的ルーツで中国人であり続ける人々は、アメリカ人から見ると、同化しない人々と見られている。

戦前は、日本人も同様に日本人街を拠点にしていたので、真珠湾攻撃で収容所に集められたが、実は、日本人は物理的ルーツにはこだわらない。中華型の氏族文化に対し、日本人は「家」文化であり、土地を離れる時、氏素性と縁が切れる。江戸以来、日本人を支えていたのは、「善」を信じる日本教のようなもので、一人一人がその価値観で生きていたから、何国人になっても家風として、その教え「日本人」を守って生きてきた。

幕末、清国を経て日本に上陸したシュリーマンが、税関で荷物を開くのが面倒くさいので、賄賂を渡そうとしたら、役人は「ニッポンムスコ」と言って断った。
「日本男児は賄賂など受け取らない」と、胸を張ったのだ。シュリーマンは「めんどくせえなあ」と思ったが、その後の親切に感動したようだ。
こうして、日本人が信じてきたものが日本教であり、おそらく仏教や儒教を日本流に昇華したものだろう。

世界の中で
70年代に誕生した新生日本は、先代の「世界と日本」から、「世界の中の日本」として生まれた。言わば、移民国で生まれた日系人のような存在だ。異文化に同化しながら、日本教を信じて生きていく。日本教には神も教条もないから、他の宗教と衝突することもない。
移民国の日系人はリーダーにはならないが、信頼される存在になっている。
これからの半世紀、日本は押しつけではない日本のモラルを貫いて行けば、自ずと世界に尊重される存在になっていくだろう。

「誠意を見せろ」と叫ぶ誠意のない連中とは逆に、黙々と誠意で生きていけば、やがて、世界の喧騒の中から、いぶし銀の「日本人」が浮かび上がる。リーダーシップや戦争の才はないのだから、ヘタにしゃしゃり出ようとすれば、太平洋戦争やペルーのフジモリ大統領のようなことになる。
目先のウケ狙い、勝ち負けを遠ざけ、真実一路を続けていれば、布教活動をしなくても、日本教が世界に広がっていくだろう。
世界のリーダーではなく、愛されて一目置かれる存在として成長していくのが、新生日本の「日本人」としての歩みなのかも知れない。当然、これがピークを迎えるとどんな弊害が現れるか、今から考えておくことも大切だろう。


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