魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

バカ賢い

2015年02月25日 | 日記・エッセイ・コラム

何か言われた時に、いきなり反撃する人がいる。
相手が何を言いたいのかよく確かめないで、「だって、それは・・・」と、怒り出す。
あくまで個人の人格によるが、民族によってもそうした傾向がある。
民族的な差異は、おそらく、言語によるのだろうが、文化によっては、即断即決を好む文化もあれば、ああでもないこうでもないと議論したがる文化もある。

いきなり怒り出すのは、多元的な思考ができない人だ。目に見える一つの事実を全てと考えるか、そこに様々な可能性を想像できるかで、反応の仕方は変わってくる。
自分が理解したこと以外にも、とらえ方があるのかもしれないと思えば、
「それは、どういう意味ですか?」とか、「と、言いますと?」とか、とりあえず「ほーう」とか、「なるほど」とか言いながら、真意を知ろうとする。

すると、言い出した側が逆に、すぐ怒り出すようなタイプの場合、
「何だ、文句があるんか?」と、怒り出す。自分の考えを直ちに受け入れないからだが、相手の言うことに、いきなり怒り出す場合も、自分の考え以外を許容できないからだ。
つまり、これで、すぐ怒り出す人は、視野が狭く、知識と想像力の無い人で、自分の考えや立場が壊されることを恐れている人だ。

すぐ怒る人には、これとは真逆の人もいる。知識、想像力があり、洞察力にも優れているため、ほとんどの場合、ゆとりを持って正しい対応ができると、自信を持っている。ところが、その正解を何が何でも聴こうとしない人が現れた時、その人を説得しようとして深入りし、エネルギーに巻き込まれてしまい、ミイラ取りがミイラになる。

こういう自信家は、自分の思考を上回る概念がでてくると、感動し、多くはとりこになる。
自分の知識や論理で理解可能な範囲での、超越した結論を提示されると、
「ああ、そうだったのか!」と、恐れ入る。
自分の解けない問題の答えを知っている「尊師」だと錯覚する。

例えば、花が美しいのは色と形があるからだと思っている人に、あなたが見ている色と形は本当の花のものではない。本当の花の色と形は、実は私にしか見えないのだ。
そんなことを言われると、花と色と形の関係を知っている人の中には、「そうなのか!」と信じる人がいる。花の美しさについて始めから関心の無い人は、興味を持たないから信じない。

視野が狭くて理解力に自信の無い人、その逆に、自信家故に何でも無理に理解してしまう人。どちらが罪が大きいのかよく解らない。
他人に対して、とりあえず感情のままに無理難題をふっかける人。何でも相手のいうことを理解しようとする人。両者が存在するところに、トラブルが起こる。
しかも、この関係は、家族、友達、集団、国家・・・案外、どこにでも転がっている。
馬鹿すぎるのも賢すぎるのも、問題だ。