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占いという もう一つの眼

豊かな国

2015年02月11日 | 日記・エッセイ・コラム

東京一極集中や都会への人口集中で、地方が崩壊すると言われている。これは日本だけではなく、世界的な傾向だ。

これを何とかしなければならないと、いろいろな対策が出ているが、あまり効果的には思えない。
結局、原因は産業革命パラダイムだ。250年にわたり、世界はそれで動いてきた。部分的な解消はあっても、全体的には止められない流れだ。

大規模な生産消費は、システムとして行われる。大量生産には集中生産が効率が良いから、人、物、金は一カ所に集まる。そして、生産に携わる人間は教育されていなければならないから、技術知術を一貫して習得させる学校が必要になる。
教育された人間ほど仕事が得られるから、誰もが、学校教育を受けようとする。
学校教育を生かせる仕事は、都会に集中している。
学校も、職場も、都会に集中し、若者が集まり、ますます仕事は都会に集中し、地方に帰ろうにも帰れなくなる。それが現状だ。

国の生計を工業生産に頼れば、農業が廃れ土地は不要になり、地域に人がいなくなる。
豊かな国土を復活させようと思えば、大量生産を捨てて、近代以前の農業と家内工業の、地産地消社会にしなければならない。
むろん、情報と流通環境が全く違う現代では、農業や家内工業と言っても、昔と同じではない。地域と個人による、質と個性を重視した産業の展開が可能だ。

大規模生産は大企業の乱立を止め、大同団結で、一業種一企業に集約し、国際競争をしなければならない。国内企業同士が争っているような時代ではない。
そして、地産地消の農業を基本とする地方の再生を目指し、地域に根ざした特殊産業を育て、地方同士が競い合うようでなければ、国全体のエネルギーは復活しない。

少子化の解消
また、婚姻によらない出産育児を大前提に婚姻を考える。子供はどのような形でも産んでも良く、婚姻はそれとは別の問題とする。
もともと、出産育児は養育問題だが、婚姻は納税の基本だ。それを一体化させてきたから、結婚しなければ子供が産めないような常識が生まれた。

子供が社会の子供と認識されれば、親の状態にかかわらず、先ず、子供の養育が考えられるだろう。昔は、子供は家の子と考えられたから、夫婦が離婚しても、一家が育てるのが前提だった(母親にしてみれば奪われる)。これを、家ではなく社会と考えるわけだが、そうなると、親権の基本は母親の方が簡単だし、虐待などから、子供を守るのも容易になる。

社会による子育ては、法的な社会保障も必要だが、地域の活性化と、コミュニティーの構築の方が、より重要だ。
そのためにも、昔の農村のように、地域が一つの生産コアを成している方が結束が固くなる。「隣は何をする人ぞ」は、都会のことだ。
芸術村、職人村、農業村のように、職業による小さな集団を増やしていくのも、地方の活性化に繋がってくだろうし、もちろん、少子化対策になる。