魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

ピケティ

2015年02月16日 | 占いばなし

どんな流行も、渦中では近寄らないことにしている。

21世紀の試本
このところ話題の、ピケティ『21世紀の資本』とやらも、全く読む気がしない。
中身の是非より、ブームになっていることに拒否感がある。
何しろ、6000円もするそうだ(ゲームより安いが)。その内、ほとぼりが冷めて、ブックオフにでも出回れば、買うかもしれないが、村上春樹本の様に、拒絶反応で手にできないかもしれない。

子供の頃は読書三昧の健康要注意児童だったが、色々あって、読書を止めた。
それ以来、物事は先ず自分の目で様子を見てから、本は参考にする程度だ。
小説にも浸れないし、専門書やノウハウ本も情報収拾で、とにかく本を信用できない。

本は著者の排泄物に過ぎない。その人が何を食べ、どんな生活をしているかの方が本質で、それを知り、排泄物を見た時、本当は何を食べてどんな生活をすべきなのかが解る。
逆に、それを続けていると、化石になった排泄物からでも、在りし日の生き様が見えてくる。

物事の実態は、言葉や本ではない。車の運転も、法律だけを信じていては、事故に合う。違法駐車の影から飛び出す子供や、信号無視のバイクに、ブレーキの故障まで、何でも起こるのが現実だ。占いの視点は、「フォーチュン」どころか、冷徹なリアリストだ。
占いは現代の価値の体系とは無縁の存在だ。同時に、夢でもなければ、信仰の対象でもない。馬鹿にされようと罵られようと、建前に頼らず、占いの論理にさえ拘らず、ひたすら現実を見つめる。

そういう視点から見ると、ピケティ本も、ブームの実態の方に先に目が行く。
ピケティは格差論の総本山らしい。「持てる者と持たざる者」と言えば、すぐマルクスを思い浮かべる。
面白いことに、マルクスもピケティも2日違いの牡牛座だ。(1818/5/5、1971/5/7)
牡牛座は「所有」を表し、食べること、稼ぐことを考える。

すると、牡牛座の2人の発想の原点は、自分が食うことに始まっている。
そこから、「一体?世の中の人はどうやって食べているんだ」と、発展したのだろう。
マルクスが『資本論』を書いたのは40歳。ピケティの『21世紀の資本』は、30歳で発刊した、「フランス20世紀の高所得」とやらが基になって格差論が拡大し、今回の大当たり本は42歳で出ている。大体、同じ年代に業績を残したことになる。

それぞれの大家の主張は、専門家も争うぐらいだから、素人が論じることではない。
ただ、占い的人物像と時代背景だけ見てみたい。
マルクスが資本論を著した頃、天王星が牡牛座におり、現在、天王星はまた牡牛座に差しかかつている。そして、何より、海王星が同じ魚座にいる。

天王星は集中と爆発、革命の星でもある。
海王星は愛とエロス、鏡に映った虚像と実像だ。

天王星によって、牡牛座の集中力が、所得に関する革命的主張を生みだし、
海王星が社会心理の妄想を増幅し、一つの宗教を生み出した、あるいは生みだそうとしている。
さらに冥王星は資本論の頃は牡牛座で、労働と蓄積の問題が中心だったのに対し、山羊座にいる今は税制問題が中心になっている。

自動車人間では、マルクスはシャーシ。ピケティはハンドルだ。
どちらも意志の人、決めつけタイプだが、シャーシは思い込みを勢いと理屈で主張し、ハンドルは客観的事実で証明しようとする。

また、面白いのは空亡論で、いわゆる大殺界や天中殺で知られているものだが、
マルクスは戌亥空亡、ピケティは午未空亡だ。
戌亥空亡は、気位が高く、情緒的精神的でカリスマ性がある。
午未空亡は、悲観的で、現金な被害妄想が多く、「背に腹はかえられない」と考える。

ここから、マルクスが上から目線で経済の構造を考えたのに対し、ピケティは下から目線、貧者の被害妄想を証明するためにデータを集めた。・・・と、いうことになる。
つまり、マルクスの資本論は思想だが、ピケティの格差論は会計士の報告と考えられる。

中身のことは一切知らない。
だが、生物学を知らない子供にも、芋虫とミミズの違いが分かるのはなぜだろう。