魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

商の未来

2013年06月30日 | 日記・エッセイ・コラム

今日のニュースで、銀座松坂屋が88年の歴史に幕を閉じると告げていた。周辺のビルも建て直し、最大級の建物になる予定だが、何をするのかが決まっていない。これから何をして良いのか解らないのだそうだ。

確かに、88年目の閉店なのだから、これから同じ時間、続けられることを考えなければならないという思いがあるだろう。
結果は88年だが、天王星周期律から見れば84年であり、とっくの昔に時代は終わっていた。 「斜陽の影

これから何をしたら良いのか、途方に暮れているのなら、頼まれたわけでもないが、少し考えてみよう。

大転換
デパートは、産業革命パラダイムに必要な、大量消費の中心だった。
産革以前の王侯貴族の為の一品生産が、大量生産によって、富裕層なら誰でも王侯貴族の「ような」物を手に入れることができるようになった。だから、ある程度の特別意識を前提に消費が行われ、その場となったのがデパートだった。

しかし、大量生産が加速し、情報と流通が溢れるようになると、お金さえあれば、何時でもどこでも誰でも買える物ばかりになり、特別な空間で特別な応対でなければ、特別な物を手にすることができない・・・ワケではなくなった。
この、手軽な環境の中で、製品に最後の特別意識を持たせたのが、ブランド志向だ。

だが、その、ブランド志向さえも、もはや価値が無くなりつつあるのが現時点だ。
つまり、物によって、自分の存在感やプライドを満足させる時代は終わったという事だ。

では、これからの時代は何によってそれを満たしていくのだろう。
そこが、未来を読み解く鍵になる。
物が重要になるとすれば、過去のような精神的満足のためではなく、むしろ、凶作や災害などによる、切羽詰まった物不足だけだ。

これからの時代は、「私」ではなく「私たち」の時代になる。
物を持つプライドとは、持たない人に対する優越意識だが、物が特別なものではなく、みなが持てるようになると、金持ち喧嘩せずが、もっと進化した、何をする人かが、アイデンティティの源泉になる。

これからの時代を見据えた、ビジネスは、物、流通、情報とは、むしろ関係ない。それらは、単に空気のような手段でしかないからだ。
これから広がるものは、形の無いものだ。

スポーツや文化、学術、ボランティア、NPO、NGO、クラブ結社など、自分の行為が「私たち」として語れるような、社会参加だろう。
ビジネスの意味も変わってくるが、とにかく、そうしたニーズを満たすサービスであり、建設物も物を売る場ではなく、基本的に、人間交流の場でなければ意味が無いだろう。

人間の欲望は、物の次は権力で、権力の次は名誉になる。