魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

経済戦国

2013年06月01日 | 日記・エッセイ・コラム

ローカル鉄道の下校時間帯に乗り合わせた。
四人がけに向かい合わせで高校生が二人座っているので、小柄な方に「空いてますか」と了解を取って同席した。混み合ってきても、向かいのもう一人は横にバッグを置いて、譲る気がない。どうするか見ていると、立っている人も増えてきたが、まったく気にしていない。

目測してみると、仮に、この太った子が荷物をとって席を譲ろうとしても、おそらく大人は座れないだろう。実際にそういう経験があったとも思えないが、自分が立たない限り、人を座らせることはできない。おそらくその結果、「一人掛け」だと考えるようになり、バッグは除けるだけムダとなったのだろう。

この子は単に太った子だが、上背があれば関取だ。(よく冗談で席取りと言う)
その子らが降りて、次に乗ってきた子もスリムだが190㎝近くありそうな子で、イヤホンをしたまま居眠りを始めた。

通路側でもたれられないため、膝に両手をついて懸命に体を支えようとしているが、どうにも眠い。
グラリ、ガクッガクッ、突然、シャキッ、体を回して頭を下からグイッ・・・
これを撮影して、新手のヒップホップだと言えば、再生回数が稼げるかも知れない。大柄だからすごい迫力だ。

おかしいけれど、かわいそうになって、思わず、起こして「壁側にもたれたら」と言いながら、荷物を取って通路側にやり、足も通路側に伸ばすように言った。
「あ、ありがとうございます」と言いながら、寝入ってしまった。

大きくなった
戦後、進駐軍が日本に上陸してきたとき、日本人規格の家屋や乗物のため、至る所で悲喜劇が起こった。
その後、日本人の体格の向上に伴い、生活規格が大きくなったが、今の青少年はほぼまったく、欧米並みになった。

ことに、俳優はことさらに大柄が使われ、時代劇のロケなど、歴史的建築物に明らかに不適合な役者が、何とか自然に見せるために苦労して演じているのが見て取れる。将軍が鴨居をくぐらなければならないような部屋があるわけがない。

一方で遺伝的な小柄もあるから、平均身長はそれほどでもないが、大は小を兼ねるので、社会的な規格はほとんど欧米並みでいいだろう。

ただ、戦国の奪い合いが無くなり、完全リサイクル社会で、ムダのない生活をしていた江戸時代は、日本人の平均身長は極端に小さくなっていた。これが何を意味しているか、経済戦国時代の今、世界中が考える問題だろう。

大きいことは良いことか?」